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田口ランディ「寄る辺なき時代の希望」に考えたこと

僕はいわゆる統合失調症の当事者で、その道の先導役となって来ているべてるの家に近づこうと努力してきた。
でも何か違和感がある。
べてるの家の放つメッセージ「降りていく生き方」に素直に共感出来ないでいる自分を感じてきた。
僕はブルース・スプリングスティーンの歌う「夢を持ち、努力して手に入れて、その代価を払う」生き方が好きなのだ。

田口ランディさんの「寄る辺なき時代の希望」第2章べてるの家の希望、までを読んで考えた。
ランディさんも「降りたくもないし、降りることも出来ない。でもべてるに興味を持っている」と書いているのだけれど、
僕も無理して降りる人生を目指さなくてもいい。
でも自分に正直に自分を出す。相手と比べない、相手と比較して自分の方がましだとか思わない。
それを実践しているのがべてるの家なのだと。
べてるの家の人たちは社会から認めらてこないで、そういう生き方をせざるをえなかったところもあるのだろうけれど。

僕の調子がいい時の生き方、やりたいことを一生懸命やる。相手のやっていることも認める、という方法はそれに合っているのではと思い当たった。
僕は調子悪くなるとつい他者の嫌な所を見て、それを非難し出す。自分も疲れる。
それよりもそのままの自分を出して、相手もそのままを出して、それをお互い認め合えればいい関係になれるのではと僕は思う。
そしてその中でべてるの家の人たちが編み出してきた智恵「弱さを絆に」などを使わせてもらうのだ。
べてるの家の人たちはそうせざるをえなかった所もあるだろう。僕もそうせざるをえない所がある。
そんな時にべてるの家の人たちの智恵が生きて来るのだと思う。
まずは自分を出す。自分の生き方をする。
そうすると僕も楽に生きられるのではと僕は思う。

ずいぶんと雑なべてるの家への接し方かもしれないけれど今の僕はそう思っています。
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