自分の周りの空を写します
北東気流の街に生まれて
「こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち」渡辺一史を読んでの感想
僕は北海道浦河べてるの家に来て2年近くになる。でもどうもしっくり来ない。みんなの仲間に入れないでいる。
何とか成らないものかと思いこの本を読むことにした。僕は「シカノさん」をべてると考えながら読んだ。
ワガママなシカノさんとその周りのボランティアの人たち。
病院を退院して人工呼吸器を付けながらも自立してアパートで生活する道を選んだ鹿野さん。
自分だけでは体を動かすことが出来ないシカノさんは真夜中に自分の横で仮眠しているボランティアを起こしてバナナを食べたいと言いバナナを食べる。
そして何を言うかと思うと「もう一本」と言った。
そんな状況に吹っ切れたと思ったボランティアもいる。
いろいろな人を巻き込んで繰り広げられたドラマ。
シカノさんの魅力にひきつけられていった人もいる。
でも当然馬鹿らしく成り去って行く人もいる。
そんな話を僕は読んで行った。
僕はシカノさんの話を読んでいて何てこの人はわがままなのだろう。でも自分の主張を通し続ける。すごいなとも思った。
そして本の終わりに出て来た斎藤さんのシカノさんへの接し方に僕はこれだなと思った。
障碍者も健常者も同じなんだ。合う人がいれば合わない人もいる。いろいろめぐりあってそこに行き着くのかな。
そして斎藤さんは「シカノさんは外国の実習生」「これは実験なんだ」と思ったという。僕はこれだなと思った。
どたんばで逃げなかった斎藤さんはシカノさんとのボランティアがその後の人生の糧と成った。
そして僕もシカノさんのように自分を出してみたいと思った。
鹿野邸では支援する人も支援される人もごちゃ混ぜに成っている。ある時は支援しているけれど同時に支援されてもいる。
そんな関係で繰り広げられる世界が僕のべてるでの生活に成ったらいいなと思った。
今の僕はシカノさんと正反対の生き方をしているな。
「人に迷惑かけない、かけられたくない」そんなさみしい生活をしているな。
それよりも僕もワガママ言って相手からもワガママ言われてお互いに影響し合う間柄で生活するのも楽しいかなと思って来た。
なぜもっと会話しないか。ぶつかっていかないか。
ワガママ、あつかましさがいかに人間にとって大切か。
僕ももっと自分を出そう。
障碍者も健常者も僕もべてるの人もみんな同じ苦労をしているのだ。
そしてシカノさんは幸せだったのかな?ただ一生懸命生きていたのだと僕は思う。
当然のこととして。そして最期死ぬ瞬間は一人なのだな。それまでに何をするかだなと思う。
シカノ邸でのボランティアたちの生活はすごく濃い生活だったのだろう。
僕もべてるでそんな濃い生活が出来たらいいなと今、千葉の実家に草刈りの為に帰って来てこの本を読み終えて思いました。
山田太一さんの文庫本解説を読んでいたら昔家族、特にお母さんと観た山田太一さん脚本のドラマ「男たちの旅路」を思い出した。
僕は覚えていた。僕の人生観がつながったと感じた。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )