Kおばちゃんのつぶやき

日々徒然に思うことの備忘録

漢字の文化(台湾)

2007-05-13 21:59:49 | 旅行
今日は天気予報では午前中雨が残る・・という予報にかかわらずそれなりのお天気。得したような、損したような・・と思いながら何にもしていなかったと振り返りますです。
買い物に行こうにも・・めんどくさくなってしまって・・近所のスーパーにさえ行っていない。

昨日は久しぶりにご近所のお知り合い(といっても友人の母上)と立ち話。この辺は『未亡人』がほんとに多い・・とご自分も含めて・・とおっしゃってました。
『最近ではなんとか子供達に世話をかけないでころっと逝きたいと本当に思ってるのよ』としみじみと・・そういえばご主人は割りと早くに『痴呆』の症状が出て・・けっこう苦労していたみたいだったなあ・・と思い出しました。

さて、昔話・・のついでに・・ちょっと彼女達の年代にもかかわりのある思い出?かな?

5年前の台湾行きの話題は何回か書いたけれど、今日の思いでも一部はそれに引っかかるけど・・さらにその前のお話で・・15年ほど前になるのかな?最初に台湾に行ったのは?半分お仕事みたいな感じ(本職にはあらず)だったけれど、初めての台湾行き、いったいどのようなところやら・・疑問詞いっぱいでたどり着いた。

そのときの印象でいちばん驚いたのがある程度の年配の方が流暢に日本語をお話してくださること。それも積極的に・・
朝鮮半島なんかの感覚とは全然違った対日意識を持っているんだということを認識しましたです。

台湾の歴史はそれこそ複雑でkおばちゃんなんかは語れないけど・・

台湾全域ははもともと、マレー・ポリネシア系の原住民の住む島だったとか。
17世紀のころから大陸からの移民が相次ぎ、オランダ東インド会社の領地になったり、明の復興のために立ち上がった鄭成功の根拠地になったり、いろいろな変遷を経て、清国の一部となり、1894年の日清戦争の結果、台湾は日本に割譲され日本の植民地となった時代もあり、これが1945年まで続き、その間に教育を受けた年代の人はみな流暢にに日本語がしゃべることが出来る・・ということのようらしい。

そして、kおばちゃんにはもうひとつ理由があったように思われた。
それは・・発音記号年の利用である。

前述のような歴史の中で・・そしてポツダム宣言以降国民党の支配下に入り、やがて毛沢東の共産党との内戦に敗た国民党が丸ごと台湾に渡ってきてしまったことも大いに関係していると思うが、同じ漢字を利用する中国語でありながらも、北京語とは違った音韻体系、文法をもっている台湾語(福建系住民利用(「ホーロー語、福建語、ビン南語」とほぼ同じ))が全体の7割以上のが使用していたにもかかわらず、1割強を占める戦後台湾に渡ってきた大陸からの人々の北京語でこれが台湾では「國語」と呼ばれて文化、政治の言語となりったこと。(さらに1割ほどの客家系住民の母語は客家語で、その他に原住民の言語などもあり)

そう、書いただけでも分かるように複雑・・発音も同じ漢字を利用しながら違うらしい。そして、面白いことに・・その発音を表すのに日本語教育を受けた人間は『カナ』が便利!と利用していたのだ!

確かに漢字で発音を表記できないかもしれない。現在・・というかkおばちゃんがそのことを知った当時ではもう学校教育では日本語を教えいないからどうやって小さい子供に発音を教えるのか不思議?とおもったのでが、『ボポモフォ (Bopomofo)』 ともいうものを利用しているとこのと。

それはこんな感じのもの。

たとえば『台 灣 』をあらわすには『ㄊㄞ ・ ㄨㄢ 』Tái wān となるらしい。(違ってたらごめんなさい・・なんせ記憶があいまい)

そういえば、5年前に滞在したホテルのテレビでドラマを見ていたら・・漢字の字幕がついていた。発音はいわゆる『北京語』だと思ったが・・字幕をつけないと分からない人たちがいるのね・・と思ったkおばちゃんでした。

そう、冒頭の写真はそのとき泊まったホテルのお部屋。なぜかスイートに格上げしてくれました。

でも、ベットルームもなんとなく中国風??
ほら

と思うのはkおばちゃんだけかしら?
コメント (2)
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