Kおばちゃんのつぶやき

日々徒然に思うことの備忘録

マタ・ハリの家?(レワーデン)

2007-05-26 22:52:06 | オランダ
今日も『やっと来たお休み』とつくづく感じた日。
昨日は近年まれに見る・・忙しい日だった。公私共に・・
だから・・本来だったら『飲み会』で午前様・・の予定だったのだが・・1次会(kおんちゃには2次会)で退散することに・・なんだか疲労困憊してしまった・・ああ、年だ!徹夜の飲み会なんか・・集中力がなくなる・・昔はなんともなかったのに・・

なんてぼやきはおいといて・・

久々に日本国外の旅行の記憶を・・

数年前にオランダにちょこっと遊びに行ったことは何回かブログにかいたが・・
そうお財布騒動のあった日・・まさかそんなことが起きるとは思わずのほほんと観光していたころの思い出・・

レーワルデンLeeuwardenという町に遊びに行った。この町は締め切り大堤防を通るバスのターミナルがあるから・・だったのだが・・

小さな町、ぷらぷら歩きにはもってこい・・と思ったこともあったから立ち寄ったkおばちゃんなのだが・・
そして、この町の地図を見たとき『へぇー』と興味を持ったのは『マタ・ハリ』という名前を目にしたからだ。

マタ・ハリ(Mata Hari)は第一次世界大戦中に名をはせた『おんなスパイ』『2重スパイ』という程度の知識しかないkおばちゃんでしたが・・

その生涯は・・・1876年8月7日ここレーワルデンLeeuwardenで帽子屋を営んでいた父 Adam Zelleと母Antje van der Meulenとの間に生まれたようだ。そして、6歳までこの地で育ったそうである。

18歳で彼女は Rudolf MacLeod という海軍の軍人と結婚。その後ジャワに移り2児を持つが、一人は中毒死してしまい、その後オランダに戻るが離婚。もう一人の養育権も失ってしまったようだ。

その後パリに移り芸術家のモデルやサーカスの馬乗り?などのあとマタ・ハリMata Hariと名乗り「オリエンタル・スタイル」の舞踊で人気を得たようである。「マタ・ハリ」とは「太陽」あるいは「日の眼」を意味するムラユ語(マレー語またはインドネシア語)からきているようである。

そして夜の世界で高級売春婦といしても沢山の顧客?を持つようになってゆき、多くの高級士官あるいは政治家そして外交官もつようになったようである。

時は第一次世界大戦下、多少の諜報活動は寝物語にしていたようだが、真実はそんなに大物のスパイというわけではなかったとか。戦況が悪くなったフランスに『言い訳』といして利用された節があるが、とにかく1917年10月15日に諜報活動による有罪となり処刑されているとか。

そんな波乱にと富んだ生涯を送った彼女の生家がある場所というのが地図に記されていたので、眺めに行ったkおばちゃん。

しかしながら、はっきりとした場所は分からなかった。
現在はフリースラント文学の博物館になっているということだったのだが・・時間も遅かったのもあるが・・

kおばちゃんがうろうろしていたら、徒歩観光の一団がやってきた。しかしkおばちゃんがこの建物と思っていた建物の前に差し掛かったが・・・

     つれなく素通りしてしまった。

地図によるとここなんだけどな・・と思いながら・・・

このご一行様は手前の角のところでなにか説明は受けていたけど・・分からないなーーーと今でも思っているkおばちゃんです。

ここかなあ?といまだに思ってい『マタ・ハリの家Mata Hari's Huis 』が冒頭の写真。
彼女の活動と同じ、真実は闇の中・・であります。
コメント (2)
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