今日は午後から雷ゴロゴロ・・渇水だときいていたので嬉しいのは嬉しいけどここで降ってもね・・
どうせだったら水源地でお願いします。
Y県の限界集落のようなところでおこった殺人事件。なんだか一昔前の横溝正史の小説のようね。
小さな集落は人間関係も濃いでしょうからこじれたら怖いかも。
kおばちゃんの所属している世界も色んな人がいますからね。
○5月25日(土)
さて、お待ちかね・・やっと門があきました。あ、手動でしたね。
で、早速向ったのは地図のコーナー
あ、ここはペール・ラシェーズ墓地Cimetière du Père-Lachaiseです。そう、kおばちゃんお墓参りにやってきました。
お目当てのお墓は一つなんですけど、ここはパリ最大の墓地ともいわれている程広く、また有名人もたくさん埋葬されているそうです。
あとで気がつきましたが、kおばちゃんが入ってきた入り口は正門ではなかったみたい。
迷子になるといけないので、ばっちり地図を画像にとって・・せっかくだから・・とデジイチをだして・・とごそごそやっておりました。
それにしても春のこの季節・・気持ち良いですね。
ぱっと見た目では大きさは分かりませんね。広いと言われても・・
まずは第一目的のお墓参りを済ませないと・・こっちの方かな?と歩いていたときです。突然kおばちゃんを手招きする男性が・・といってもおっちゃんですけどね。
『誰のお墓を捜しているの?案内してあげるよ・・』とのこと。うーーん。限りなく胡散臭いヤツだな・・と警戒します。多聞・・ガイドの押し売り?
『ショパンの墓だろ?こっちだよ・・』と親切さを装って・・kおばちゃんをせかします。こいつ何者??
身なりはまあ普通です。足には真新しい感じのスニーカーです。そう、靴で人を見たほうがいいかなと思ったのです。
で、とりあえず案内されたのは・・第一目的地のショパンの墓ではありませんでした。こちらのお墓です。
あれ?ショパンじゃないじゃん・・とは思ったのですが『これはね、ビゼーのお墓』とのこと。うーーむ。なかなか商売上手。
『このお墓には胸像がついていたんだけど、盗まれちゃったんだよ。で、このお墓の裏に廻ってご覧』と言います。
まさか・・ここからつきおとされる・・いえいえそんなはずはありませよね。
裏にまわったところで、『ここには彼の代表作が彫り込まれいるんだよ。』とのこと。ヘェーーですね。
確かに『真珠採りLes Pêcheurs de perles』の文字が見えます。美しきパースの娘La Jolie fille de Perth、
『ジャミレDjamileh』これは全然知りません。
『祖国』Patrieというのは演奏会用の序曲だとか。
そして、一番有名なのは『カルメンCarmen』でしょうね。
ビゼーの墓を見せた後、彼は本題にはいりました『幾ら払ってくれるか?』ってね。うーむ、アラブ系か?
その前に、kおばちゃんは『私時間があんまいないから・・』とか『尋ねたいお墓はそんなに無いから・・』と煙幕を張ったんですけどね。
まあ、最初のお仕事で、お墓の裏まで説明してくれたし・・どうも聞けばこの墓地の『墓堀人』だそうですので隅から隅まで知っている・・とのたまいますしね。kおばちゃんも本と時間はあまりないですし・・
と、とりあえず10ユーロ札を渡すと、にんまりして『OK!』とのことです。
あーあ。最初からひっかかっちゃったよ。でも、ま、いいか・・
で、やっと連れられて来たのは当初の目的の墓ショパンの墓です。
別にショパンのファンではないのですが・・一応偉大な音楽家だったので敬意を表しに来たかったのです。
この墓地のおそらく一番人気かな?祖国ポーランドの旗が飾ってありますね。
『次ぎは何処のお墓がいい?』と聞いてきます。『うーーん。音楽関係がいいな』『判った』と・・
金魚のフン状態であるくkおばちゃんです。
ジム・モリソンJames Douglas "Jim" Morrison。えーと、ロックですね。彼のジャンルは。
生きていれば・・彼は70歳か・・どんな爺さんになってたんでしょうね?
通りすがりに・・ジョアシャン・ミュラ Joachim Murat-Jordy。ナポレオン・ボナパルトの妹カロリーヌ・ボナパルトと結婚して義理の弟になったとか。
私はこのお墓よりも、このお墓の後にあったお墓の方に興味が・・
だって、トルコでの埋蔵物としてみたものに良く似ていたのでね。
そしてこちらはおパリでは有名な・・エディット・ピアフÉdith Piafのお墓。
ピアフ家のお墓だそうで、彼女の夫たちも仲良く一緒に埋葬されているそうです。
こちら側に名前のあるのは右側から父親のルイス=アルフォンス・ガションLouis-Alphonse Gassion
そして真中がご本人エディット・ピアフÉdith Piaf
一番右側が彼女を看取った最後の夫テオファニス・ランボウカスTheophanis Lamboukas
そしてその反対側にあるのが最初の夫(正式には結婚して無い?)ルイ・デュポンLouis Dupont。
彼との間には娘も授かったそうですが・・病で二人とも亡くなったそうです。
そう、kおばちゃんが『え!!夫達も一緒なの!?』とびっくりしたら、案内人氏は『最初の夫の死んだあとだよ。再婚したのは』と説明されました。彼らパリっ子にとってピアフは誇りなんでしょうね。
一応有名な墓ということで、オスカー・ワイルドOscar Wildeのお墓。
ジェイコブ・エプスタイン(Jacob Epstein)が1912年に彫ったそうですが、物議をかもした・・男性のシンボルは誰かに持っていかれてしまったそうです。
彼の生きた時代のせいか、その作品のせいか・・アクリル板で覆われて居ます。
それでも、何故か墓石には沢山のキスマーク・・・
注意書きがあるのにね。
いやーー人気者のお墓はつらいですね。
そして、どちらかというと案内人氏が見せたかったイブ・モンタンYves Montand
いかにもパリジャン・・といった彼の生涯・・案内人氏の理想かしら?
そして次ぎの目的のお墓に向いますが・・・本当に広いこの墓地。どこをどう歩いているのはもう全然判りません。
案内人がいてよかった!
ただし、彼は『通』すぎる道(お墓とお墓の間とか)を通るので絶対再訪できませんけどね。
そんな彼に連れていかれたのは丘の上にある建物のところ。クレマトリウム。crematoriumです。
案内人氏は『クレマトリウムって知ってる?こうするところ』といって手持ちのライターで火をつけて自分を焼く仕草をしました。
kおばちゃんはもちろんしっています。だってね、アウシュビッツを訪問した時に書きましたからね。
日本ではたしか法律で土葬は禁じられており、火葬のみと記憶してましたが・・おフランスはどうなんでしょうね?
と案内人氏に聞いて見ました。『自由に選択できるよ。パリの人でも1/5程度かな?火葬を選択するのは』とのこと。まあ、土葬だけだと墓地がたりなくなりますからね。
この日も火葬場は稼動中のようで、何台か車が止まっていました。ただ、車から降りたつ人の姿は『喪服』というよりも、普通の小奇麗な服という感じでした。なんだか日本の火葬場と全然違いますね。
次ぎの目的のお墓はこの火葬場の前庭の地下だそうです。
どうせだったら水源地でお願いします。
Y県の限界集落のようなところでおこった殺人事件。なんだか一昔前の横溝正史の小説のようね。
小さな集落は人間関係も濃いでしょうからこじれたら怖いかも。
kおばちゃんの所属している世界も色んな人がいますからね。
○5月25日(土)
さて、お待ちかね・・やっと門があきました。あ、手動でしたね。
で、早速向ったのは地図のコーナー
あ、ここはペール・ラシェーズ墓地Cimetière du Père-Lachaiseです。そう、kおばちゃんお墓参りにやってきました。
お目当てのお墓は一つなんですけど、ここはパリ最大の墓地ともいわれている程広く、また有名人もたくさん埋葬されているそうです。
あとで気がつきましたが、kおばちゃんが入ってきた入り口は正門ではなかったみたい。
迷子になるといけないので、ばっちり地図を画像にとって・・せっかくだから・・とデジイチをだして・・とごそごそやっておりました。
それにしても春のこの季節・・気持ち良いですね。
ぱっと見た目では大きさは分かりませんね。広いと言われても・・
まずは第一目的のお墓参りを済ませないと・・こっちの方かな?と歩いていたときです。突然kおばちゃんを手招きする男性が・・といってもおっちゃんですけどね。
『誰のお墓を捜しているの?案内してあげるよ・・』とのこと。うーーん。限りなく胡散臭いヤツだな・・と警戒します。多聞・・ガイドの押し売り?
『ショパンの墓だろ?こっちだよ・・』と親切さを装って・・kおばちゃんをせかします。こいつ何者??
身なりはまあ普通です。足には真新しい感じのスニーカーです。そう、靴で人を見たほうがいいかなと思ったのです。
で、とりあえず案内されたのは・・第一目的地のショパンの墓ではありませんでした。こちらのお墓です。
あれ?ショパンじゃないじゃん・・とは思ったのですが『これはね、ビゼーのお墓』とのこと。うーーむ。なかなか商売上手。
『このお墓には胸像がついていたんだけど、盗まれちゃったんだよ。で、このお墓の裏に廻ってご覧』と言います。
まさか・・ここからつきおとされる・・いえいえそんなはずはありませよね。
裏にまわったところで、『ここには彼の代表作が彫り込まれいるんだよ。』とのこと。ヘェーーですね。
確かに『真珠採りLes Pêcheurs de perles』の文字が見えます。美しきパースの娘La Jolie fille de Perth、
『ジャミレDjamileh』これは全然知りません。
『祖国』Patrieというのは演奏会用の序曲だとか。
そして、一番有名なのは『カルメンCarmen』でしょうね。
ビゼーの墓を見せた後、彼は本題にはいりました『幾ら払ってくれるか?』ってね。うーむ、アラブ系か?
その前に、kおばちゃんは『私時間があんまいないから・・』とか『尋ねたいお墓はそんなに無いから・・』と煙幕を張ったんですけどね。
まあ、最初のお仕事で、お墓の裏まで説明してくれたし・・どうも聞けばこの墓地の『墓堀人』だそうですので隅から隅まで知っている・・とのたまいますしね。kおばちゃんも本と時間はあまりないですし・・
と、とりあえず10ユーロ札を渡すと、にんまりして『OK!』とのことです。
あーあ。最初からひっかかっちゃったよ。でも、ま、いいか・・
で、やっと連れられて来たのは当初の目的の墓ショパンの墓です。
別にショパンのファンではないのですが・・一応偉大な音楽家だったので敬意を表しに来たかったのです。
この墓地のおそらく一番人気かな?祖国ポーランドの旗が飾ってありますね。
『次ぎは何処のお墓がいい?』と聞いてきます。『うーーん。音楽関係がいいな』『判った』と・・
金魚のフン状態であるくkおばちゃんです。
ジム・モリソンJames Douglas "Jim" Morrison。えーと、ロックですね。彼のジャンルは。
生きていれば・・彼は70歳か・・どんな爺さんになってたんでしょうね?
通りすがりに・・ジョアシャン・ミュラ Joachim Murat-Jordy。ナポレオン・ボナパルトの妹カロリーヌ・ボナパルトと結婚して義理の弟になったとか。
私はこのお墓よりも、このお墓の後にあったお墓の方に興味が・・
だって、トルコでの埋蔵物としてみたものに良く似ていたのでね。
そしてこちらはおパリでは有名な・・エディット・ピアフÉdith Piafのお墓。
ピアフ家のお墓だそうで、彼女の夫たちも仲良く一緒に埋葬されているそうです。
こちら側に名前のあるのは右側から父親のルイス=アルフォンス・ガションLouis-Alphonse Gassion
そして真中がご本人エディット・ピアフÉdith Piaf
一番右側が彼女を看取った最後の夫テオファニス・ランボウカスTheophanis Lamboukas
そしてその反対側にあるのが最初の夫(正式には結婚して無い?)ルイ・デュポンLouis Dupont。
彼との間には娘も授かったそうですが・・病で二人とも亡くなったそうです。
そう、kおばちゃんが『え!!夫達も一緒なの!?』とびっくりしたら、案内人氏は『最初の夫の死んだあとだよ。再婚したのは』と説明されました。彼らパリっ子にとってピアフは誇りなんでしょうね。
一応有名な墓ということで、オスカー・ワイルドOscar Wildeのお墓。
ジェイコブ・エプスタイン(Jacob Epstein)が1912年に彫ったそうですが、物議をかもした・・男性のシンボルは誰かに持っていかれてしまったそうです。
彼の生きた時代のせいか、その作品のせいか・・アクリル板で覆われて居ます。
それでも、何故か墓石には沢山のキスマーク・・・
注意書きがあるのにね。
いやーー人気者のお墓はつらいですね。
そして、どちらかというと案内人氏が見せたかったイブ・モンタンYves Montand
いかにもパリジャン・・といった彼の生涯・・案内人氏の理想かしら?
そして次ぎの目的のお墓に向いますが・・・本当に広いこの墓地。どこをどう歩いているのはもう全然判りません。
案内人がいてよかった!
ただし、彼は『通』すぎる道(お墓とお墓の間とか)を通るので絶対再訪できませんけどね。
そんな彼に連れていかれたのは丘の上にある建物のところ。クレマトリウム。crematoriumです。
案内人氏は『クレマトリウムって知ってる?こうするところ』といって手持ちのライターで火をつけて自分を焼く仕草をしました。
kおばちゃんはもちろんしっています。だってね、アウシュビッツを訪問した時に書きましたからね。
日本ではたしか法律で土葬は禁じられており、火葬のみと記憶してましたが・・おフランスはどうなんでしょうね?
と案内人氏に聞いて見ました。『自由に選択できるよ。パリの人でも1/5程度かな?火葬を選択するのは』とのこと。まあ、土葬だけだと墓地がたりなくなりますからね。
この日も火葬場は稼動中のようで、何台か車が止まっていました。ただ、車から降りたつ人の姿は『喪服』というよりも、普通の小奇麗な服という感じでした。なんだか日本の火葬場と全然違いますね。
次ぎの目的のお墓はこの火葬場の前庭の地下だそうです。