そういえば、この前の土曜日、季節の病気が出たので久々にご近所の医者に。
で、ショックなことを・・何時も見ていただいていた先生がこの1月にお亡くなりになっていたのです。
玄関の張り紙をみて呆然!!
たしかに季節病なので、春先にしか通院していないけれど、そのたびに『元気にしてる?しっかりしなきゃだめよ!』と尻をたたかれていたのです。
我が家の事情もよくご存知で・・散歩のたびに見かける我が家の梅ノ木を褒めて下さっていたのです。
高齢ではあったけれどもあっけないお分かれ。
kおばちゃんがしょっちゅう脱国するのもご存知だったので、『ちゃんと保険かけてかなきゃダメヨ!』と言われていました。
町内会が違っていたので、訃報も知らず・・お別れもできなくて残念でした。
ご冥福をこころよりお祈りいたします。
さて、つづきをとっととね。
○2014年10月12日(日)
コンチェルト・ハウスの子供向け演奏会を終って・・時間はお昼過ぎです。
kおばちゃんのフライトは夕方。まだ時間があります。さてどうしよう・・
このあたりは日曜日だから閑散としています。
とりあえずプラプラ歩いて・・コミッシュ・オペラの方面へ
ということで、ベルリン一の繁華街?というか観光地?ウンター・デン・リンデンUnter den Lindenにやってまいりました。
さすがです。観光客がいっぱいいます。kおばちゃんもその一人ですけれどね。
アイスクリームのスタンドも。今日はお天気がよいですからね。
それにしても・・すごい色ですね。でも人気アリ!
別に目的地があったわけではないのですが、ただプラプラとさんぽしていたのですが、飲食店以外で開いている建物がありあました。
なんだろう?ショールーム??Forum Willy Brandt Berlinと書いてあります。
お土産物ののようなものが置いてあるのも見えました。とりあえず入って見ましょう。
Willy Brandtって誰??と思いながら中を覗いて見ます。きいたことあるようなないような・・
みたことあるような・・
ないような・・
あれ、やっぱり見た事がある!
と、ここまで来て気が付きました。
ヴィリー・ブラントWilly Brandtそう、ブラント元首相です。ヴィリーなんて名前が付いているから判りませんでした。
ドイツ連邦共和国(旧西ドイツ)の政治家で第4代連邦首相(1969年-1974年)だった方です。
へーー!こんなところに記念館があるんだ・・と。
彼は、戦後初めて『東ドイツ』と言う国家を認識して、国家として承認した人・・ときいています。
1958年ベルリン危機 、さらに1961年東ドイツがベルリンの壁を建設たときには西ベルリン市長。1969年の連邦議会選挙彼はドイツ社会民主党・自由民主党の連立政権を誕生させ、西ドイツで初めてのドイツ社会民主党出身の連邦首相となり、東ドイツやソ連の共産主義諸国と「東方外交」を展開しり、1970ワルシャワで、ナチス・ドイツのユダヤ人虐殺について謝罪の意を表したとして有名な方ですね。
この画像だと分かりますよね。
彼は東西融和に尽力した功績が認められて、1971年にはノーベル平和賞を受賞しています。
これがそのノーベル平和賞。
そういえば、数日前10日に今年のノーベル平和賞が発表になってニュースになっていましたね。カイラシュ・サティヤルティ、マララ・ユスフザイの両氏に送られると。
ノーベル賞で平和賞だけは後付けで序章に関してはノルウェー政府がおこなっているんでしたよね。
そんなことを思い出しながら展示をみていました。
良くも悪くも西ドイツを引っ張って入った人。だとおもいます。
1989年にベルリンの壁が崩壊後、翌年首都をボンからベルリンに移転することを提議したのも彼だとか。
彼の言葉・・心に響きます。
『平和が全てじゃない。でも全ては平和なしではなりたたない』・・というような意味でしょうか?
いまだに平和を求めてあがき続けている世界ですからね。
外に出るとお決まりのブランデンブルグ門Brandenburger Torがお出迎えです。
でも、その前には・・このような展示が。『Vernichtungskrieg in Polen』ポーランドでの絶滅戦争とでも言う意味でしょうか。
ドイツ統一20周年行事の関連でしょうか?それともヴィリー・ブラント氏関連でしょうか?
先日のシュパンダウの城塞の展示でも、この時代だけは曖昧。
ナチスだけが、ヒトラーだけが悪かったわけではなく、それについていった国民も悪い・・という総括は日本よりはできていると思いますが。
平和ボケしている日本人は、戦争当事者の原罪という統括をしないで歴史をつなげてきているような気もしました。
なかなか興味深い展示を見させていただき、良い時間つぶしになりました。
で、ショックなことを・・何時も見ていただいていた先生がこの1月にお亡くなりになっていたのです。
玄関の張り紙をみて呆然!!
たしかに季節病なので、春先にしか通院していないけれど、そのたびに『元気にしてる?しっかりしなきゃだめよ!』と尻をたたかれていたのです。
我が家の事情もよくご存知で・・散歩のたびに見かける我が家の梅ノ木を褒めて下さっていたのです。
高齢ではあったけれどもあっけないお分かれ。
kおばちゃんがしょっちゅう脱国するのもご存知だったので、『ちゃんと保険かけてかなきゃダメヨ!』と言われていました。
町内会が違っていたので、訃報も知らず・・お別れもできなくて残念でした。
ご冥福をこころよりお祈りいたします。
さて、つづきをとっととね。
○2014年10月12日(日)
コンチェルト・ハウスの子供向け演奏会を終って・・時間はお昼過ぎです。
kおばちゃんのフライトは夕方。まだ時間があります。さてどうしよう・・
このあたりは日曜日だから閑散としています。
とりあえずプラプラ歩いて・・コミッシュ・オペラの方面へ
ということで、ベルリン一の繁華街?というか観光地?ウンター・デン・リンデンUnter den Lindenにやってまいりました。
さすがです。観光客がいっぱいいます。kおばちゃんもその一人ですけれどね。
アイスクリームのスタンドも。今日はお天気がよいですからね。
それにしても・・すごい色ですね。でも人気アリ!
別に目的地があったわけではないのですが、ただプラプラとさんぽしていたのですが、飲食店以外で開いている建物がありあました。
なんだろう?ショールーム??Forum Willy Brandt Berlinと書いてあります。
お土産物ののようなものが置いてあるのも見えました。とりあえず入って見ましょう。
Willy Brandtって誰??と思いながら中を覗いて見ます。きいたことあるようなないような・・
みたことあるような・・
ないような・・
あれ、やっぱり見た事がある!
と、ここまで来て気が付きました。
ヴィリー・ブラントWilly Brandtそう、ブラント元首相です。ヴィリーなんて名前が付いているから判りませんでした。
ドイツ連邦共和国(旧西ドイツ)の政治家で第4代連邦首相(1969年-1974年)だった方です。
へーー!こんなところに記念館があるんだ・・と。
彼は、戦後初めて『東ドイツ』と言う国家を認識して、国家として承認した人・・ときいています。
1958年ベルリン危機 、さらに1961年東ドイツがベルリンの壁を建設たときには西ベルリン市長。1969年の連邦議会選挙彼はドイツ社会民主党・自由民主党の連立政権を誕生させ、西ドイツで初めてのドイツ社会民主党出身の連邦首相となり、東ドイツやソ連の共産主義諸国と「東方外交」を展開しり、1970ワルシャワで、ナチス・ドイツのユダヤ人虐殺について謝罪の意を表したとして有名な方ですね。
この画像だと分かりますよね。
彼は東西融和に尽力した功績が認められて、1971年にはノーベル平和賞を受賞しています。
これがそのノーベル平和賞。
そういえば、数日前10日に今年のノーベル平和賞が発表になってニュースになっていましたね。カイラシュ・サティヤルティ、マララ・ユスフザイの両氏に送られると。
ノーベル賞で平和賞だけは後付けで序章に関してはノルウェー政府がおこなっているんでしたよね。
そんなことを思い出しながら展示をみていました。
良くも悪くも西ドイツを引っ張って入った人。だとおもいます。
1989年にベルリンの壁が崩壊後、翌年首都をボンからベルリンに移転することを提議したのも彼だとか。
彼の言葉・・心に響きます。
『平和が全てじゃない。でも全ては平和なしではなりたたない』・・というような意味でしょうか?
いまだに平和を求めてあがき続けている世界ですからね。
外に出るとお決まりのブランデンブルグ門Brandenburger Torがお出迎えです。
でも、その前には・・このような展示が。『Vernichtungskrieg in Polen』ポーランドでの絶滅戦争とでも言う意味でしょうか。
ドイツ統一20周年行事の関連でしょうか?それともヴィリー・ブラント氏関連でしょうか?
先日のシュパンダウの城塞の展示でも、この時代だけは曖昧。
ナチスだけが、ヒトラーだけが悪かったわけではなく、それについていった国民も悪い・・という総括は日本よりはできていると思いますが。
平和ボケしている日本人は、戦争当事者の原罪という統括をしないで歴史をつなげてきているような気もしました。
なかなか興味深い展示を見させていただき、良い時間つぶしになりました。