落葉松亭日記

ニュース・評論スクラップ、凡夫の日々雑感、山歩記など

元横綱大鵬死去

2013年01月21日 | 日常・身辺
大相撲の元横綱大鵬、納谷幸喜さんが死去 2013.1.19 16:03 [有名人の訃報]
http://sankei.jp.msn.com/sports/news/130119/mrt13011916030000-n1.htm

65歳の誕生日を前に、日本相撲協会の定年会見を行なった際の大鵬親方(元横綱・大鵬)=2005年5月21日、両国国技館(撮影・千村安雄)
 大相撲の第48代横綱で同じく名横綱の柏戸と「柏鵬時代」と呼ばれる黄金期を築いた元横綱大鵬の納谷幸喜さんが19日午後3時15分、東京都内の病院で死去した。72歳だった。・・・

「巨人・大鵬・玉子焼き」の生みの親 堺屋太一さん 「残念、昭和ははるか遠くに」 2013.1.20 21:50
http://sankei.jp.msn.com/sports/news/130120/mrt13012021550008-n1.htm

昭和46年の初場所で土俵入りをする横綱大鵬=蔵前国技館

 大相撲の元横綱大鵬、納谷幸喜(なや・こうき)さん(享年72歳)の死去から一夜明けた20日、ゆかりの地には多くの弔問客が訪れ、昭和の大横綱の死を悼んだ。流行語になった「巨人・大鵬・玉子焼き」を生んだ作家の堺屋太一・元経済企画庁長官(77)は「圧倒的な強さにみんなが憧れを抱いた時代だった。残念です」と惜しんだ。
 堺屋さんは通商産業省(現経済産業省)の官僚時代、会見で「子供はみんな巨人、大鵬、玉子焼きが好き」と話した。
 圧倒的に強い野球の巨人と相撲の大鵬、値段が上がらず物価の優等生とされた卵。「時代の象徴」として若手役人で言い合った冗談を記者らに伝えたところ、すぐに広がったという。
 納谷さんは昭和36年に、当時史上最年少で横綱になったが、この年は旧ソ連のガガーリン少佐が人類初の宇宙旅行に成功して述べた「地球は青かった」や、坂本九さんの大ヒット曲「上を向いて歩こう」など多くの流行語が生まれた年。日本はその後、「いざなぎ景気」と呼ばれる高度経済成長を迎え、カラーテレビ、クーラー、自家用車の新・三種の神器が普及していった。
 堺屋さんは「当時は高度経済成長期のまっただ中で、みんなの憧れが1つに向かっていた」と振り返った。「映画監督、歌手、俳優、昭和の懐かしい名前が次々と消え、昭和ははるか遠くになってしまった。大鵬のように強い力士が再び出てきてほしい」と話した。

2013-01-20 大鵬が生まれたのは「サハリン」ではなく樺太
http://d.hatena.ne.jp/sankeiaidokusya/20130120

<埼玉県川口市の元公務員さんからの投稿>
大鵬(納谷幸喜さん)の死去を伝えるきょうの産経新聞で「サハリン(旧樺太)で生まれ」(1面)、「サハリンから母、キヨさんの故郷、北海道に引き揚げた」(31面)とあるのに違和感を覚えました。
  大鵬が生まれた南樺太は当時、日本領ですよ。大鵬を外国出身力士と誰も呼ばないのはそのためです。大東亜戦争末期にソ連が侵略してきて、サンフランシスコ講和条約で日本が放棄したけどどこに放棄したとは言っていないのに、ソ連が勝手に占拠してサハリンと呼んでロシアが継承しているわけです(こんなこといちいち説明するまでもないんですが)。だから「樺太(現ロシア・サハリン)」と書くなら分かりますが、「サハリン(旧樺太)」は変じゃないでしょうか。
  それに樺太は朝鮮などとは違い「内地」だったんです。「サハリンから引き揚げた」という表現はいかがなものでしょうか。

  ネットを検索したら、他の新聞ではちゃんと書いているところがあります。
日本経済新聞
「樺太の敷香(しすか=現サハリンのポロナイスク)で生まれた」
東京スポーツ
「樺太敷香郡敷香町に生まれ」
スポーツニッポン
「樺太(現在のサハリン)敷香郡敷香町生まれ」
中日新聞
「ソ連の侵攻で生まれ故郷の樺太から飛び乗った船」
しんぶん赤旗
「日本領だった樺太の生まれ」「樺太からの引き揚げ船」

ついこの間まで「明治は遠くなりにけり」とよく聞いた。
とうとう「昭和ははるか遠くになってしまった・・・」こう云われるようになった。