『キャロル』という映画を見てきました。
1952年、ニューヨーク。高級百貨店でアルバイトをするテレーズは、クリスマスで賑わう売り場で、そのひとを見た。鮮やかな金髪。艶めいた赤い唇。真っ白な肌。ゆったりした毛皮のコート。そのひともすぐにテレーズを見た。彼女の名はキャロル。このうえなく美しいそのひとにテレーズは憧れた。しかし、美しさに隠された本当の姿を知ったとき、テレーズの憧れは思いもよらなかった感情へと変わってゆく......。キャロルを演じるのはケイト・ブランシェット、テレーズを演じるのはルーニー・マーラ。いま最も輝いているふたりの女優。ふたりの視線が交わる瞬間、忘れられない愛の名作が誕生した。(公式サイトより)
とても素晴らしい映画だったのですが、まだ公開が始まったばかりですし詳細は省いて片手袋研究家として一言だけ。
本作は手袋を忘れる人がいてそれを届ける人がいる、という何気ない善意から物語が始まります(片手袋ではなく両手袋ですが)。何度も当ブログでも触れてますが、既に1881年の時点でドイツの画家マックス・クリンガーはこの行為を起点とした連作版画を制作しています。
マックス・クリンガー 『手袋』:行為
マックス・クリンガーの連作版画は、男性が女性の手袋を拾い上げる所から、思いもよらぬ物語が展開します。『キャロル』も同じ行為を起点として人間の繊細な心の動きを描写していきます。冗談のようですが、片手袋から様々な物語を想起してしまうのは僕だけではないのです。
さて、逆に手袋を忘れる事で物語を終える作品もあります。それはスピルバーグ監督の2012年作、『リンカーン』。この映画については、既に公開当時当ブログでも触れました。 その時は公開されたばかりで書かなかったのですが、実はあの映画はリンカーンが手袋を忘れる(置いていく)シーンで終わるんですよね。
『リンカーン』が何故手袋を置いていくシーンで終わるのか、解釈は色々あるようです。単純にリンカーンが物忘れの激しい人だったからとか、正装時に手袋をするような堅苦しさが嫌いだったとか。
でも僕は、町で落ちている手袋を見ると思わず拾ってしまうように、リンカーンの置いていった物を今の時代に皆が拾い上げなくては、というスピルバーグの意思かな?と強引に解釈しております。
それでは、『キャロル』は何故忘れられた手袋を届ける所から始まるのでしょうか?
それはキャロルが忘れた(忘れようとしていた)ものを、テレーズが再びキャロルのもとへ送り届ける(思い出させる)という事だと思うのです。果たしてキャロルの忘れたものとは何なのか?それこそ映画のテーマそのものなので、是非ご覧になって下さい!
以上、片手袋研究家目線の感想でした。