gooブログはじめました!

日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

科挙官僚 3/3

2019-08-03 14:16:10 | 政治

>義和団事件までは整然としていた日本の軍隊も、無学な山県有朋より酷い、陸士出身の司令官に指揮されるようになり、政治も東大卒官僚によって運営される時代に入っていました。

恣意の横行ですね。意思の無い人には、責任がない。ちょうど死刑執行人のようなものである。人は死んでも、彼らは殺人罪には問われない。彼らには殺意というものがないからである。意思の無い人間は、責任者・指導者としては欠格である。それらがのさばるのでは、国は破滅しますね。
意思の無い社会には、責任者を探すのが難しい。
カレル・ヴァン・ウォルフレンは、<日本/権力構造の謎>の中の <とらえどころのない国家> で、次の段落のように述べています。
国会両院以外に、国家の中核として権力を持っているらしく見える組織は、官僚と大企業である。だが、この両者のどちらにも、究極的な権力はない。ボスはたくさんいるが、ボス中のボスといえる存在はないし、他を統率するだけの支配力のあるボス集団があるわけでもない。首都が国の経済、文化の中心だという意味では、日本は高度に中央集中型の国と言える。東京は、パリやロンドンに負けず劣らず、”すべてのものがある”大都市である。大企業は、中央官庁の役人から離れないよう、本社あるいは重要な支社を東京に構える。主要教育機関も、ここに集中している。予算陳情のためには、地方自治体も国の中央官僚に取り入らなければならない。東京以外には、重要な出版産業も娯楽産業もほとんど存在しない。ところが、この地理的中心地には、政治の中核がないのである。どの国についても、国家の実態をとらえるのは容易ではないが、日本の場合はとくに、バケツの中のウナギを素手でつかまえる、ということわざのたとえそのものである。指令の流れる経路、責任の中心、見え隠れする政策決定上の実際の動きなどが、すべて気が変になるほど、とらえどころがない。(引用終り)

>加藤内閣の後継でもある浜口雄幸内閣で大蔵大臣を務めた井上準之助も東大卒ですが、この内閣が強引に推し進めた金本位制の解禁では内外で論争がありました。>井上も加藤に劣らず傲岸不遜な人間で、石橋湛山などの平価切下げ金解禁論を一蹴しました。>早稲田や一橋出身者の意見には耳を貸さない傲慢さで、満州事変へつながる国家経済破綻のデフレを引き起こす大失策を犯した人物でした。

序列メンタリティ万能の時代であったのですね。’上意下達’ 万能の時代でしたね。
東大卒の本人もそれ以外の周りの人々も批判精神を持っていなかったのですね。批判を渇望する民衆もいなかった。
英文法には、時制 (tense) というものがある。時制のある文章内容は、互いに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容を表すことができる。各世界の内容は、果てしなく展開が可能である。初めは、各人の世界観が白紙の状態にある。めいめいにその内容を埋めていくことになる。思春期になると言語能力が急速に発達するので、’各人に哲学が必要である’ (Everyone needs a philosophy.) ということになる。それで、彼らには、高等教育が必要になる。’あるべき姿’ の内容は、未来時制の文章内容になっている。自己の基準を基にして現実の内容を批判すれば、彼は批判精神を示したことになる。だが、日本語には時制がないので、日本人には世界観がない。自己の基準を確立させることができない。それで、日本人は、批判精神を示すこともできない。

>浜口自身は日本経済の政商・財閥もたれあい体質を改善する意味があると信じ、「玉砕するとも男子の本懐」という名台詞で有名ですが、この政策は金貸し財閥の三井銀行などが円買いドル売りで大儲けしただけで、アメリカの大恐慌の煽りを喰らって日本の外貨準備は底をつき、昭和の大恐慌を招いたのです。

それは、残念なことでしたね。

> 東大卒の官僚が政治の世界に進出してその実像を現した所見は、雑多な出身者が多い政界や官界或いは実業界の中で、傲岸不遜や慇懃無礼が飛びぬけて顕著であったことです。

東大卒の官僚は、わが国の序列信仰に深い信頼寄せていたのですね。日本の常識は、世界の非常識か。

>若槻礼次郎は線が細いと言われた人物でも慇懃無礼な人物でした。

彼は、序列メンタリティの虜になっていたのですね。’序列なきところに礼儀なし’ となりますかね。

>「ああ玉杯に花うけて」の天下の秀才達は、欧米に向かっては劣等感を、内にあっては「人民ばかりでなく、元勲や貴族までをも見下す」集団でもありました。

‘上と見るか・下と見るか’ の序列メンタリティを抱えていては、そうなることは必然ですね。大きくなったり小さくなったりして見せるのは、日本人の得意技でしたね。無哲学・能天気の社会の常識では、どうにもなりませんね。
自己の世界観が持てなくて、批判精神を発揮できない。常に時流に流されている。そのやるせなさが浪花節のテーマになる。昔ながらの山桜かな。
我々日本人は、日本語と英語の両言語を良く学び、時制の大切さを十分に理解すべきでしょうね。さすれば、自己の世界観を持つことも可能になり、自己の意思を表明することも可能になります。日本語オンリーの世界にある閉塞感からも逃れられます。考え方は、まだ他にもあるということです。自己の世界観と意思の内容を広く公表して、国際社会から未来社会の建設のための協力者を得よう。


.




科挙官僚 2/3

2019-08-03 13:19:40 | 政治

> 明治維新から日露戦争までに至る日本の近代化は、藩閥政治という腐敗を抱えながらも近代教育を受けない世代に担われてきました。> 日本の高等教育は藩閥政治や士農工商という旧弊を克服するために意味があったかもしれませんが、継ぐべき財産を持たないけれども学業に覚えのある旧士族や有力農家の次男、三男が立身出世を目指してこの難関に挑戦したのです。

四民 (士農工商) 参加の序列競争が始まったのですね。競争倍率が高ければ、それだけ価値も高くなると言うことですね。単純で分かりやすいが、本当に聡明な判断とは言えないでしょうね。

>そしてこの教育機関は入学試験や学業成績を重視し、点数の高低により人間の頭の良し悪しの順位を決めることに使われました。 

点数が得られたら、序列形成が可能になりますね。しかし、序列人間は、必ずしも頭の良し悪しとは関係しませんね。

>日本の知性はこの時から入学試験の点数で決定づけられるようになり、それが人物評価の絶対的尺度となったのです。 

点数化は、序列形成の基礎となりましたね。しかし、入試を知性と関係づけるのには、疑問がありますね。知性の順に序列人間ができているとは、考えられませんね。

>日本の国家が腐敗する原点はここにありました。

序列人間の腐敗は、至極当然ですね。彼らには、リーズン (理性・理由・適当) がない。リーズナブルな回答が序列社会に払底しています。

> 頭の良い人間が決めたことに一般の国民は文句が言えなくなりました。 

そうですね。リーズンの無い人間を頭の良い人とみなす我が国人の判断には、深刻な問題がありますね。

>そしてこれらの高等教育機関とその生徒達は、国家を、そして国民を睥睨し、自らの立身出生にのみ強い関心を抱くようになったのです。

日本人には、非現実 (考え) の内容がないですからね。つまり、世界観 (world view) というものがない。
すると、現実の内容に専念するしかない。だから、処世術・立身出世から目を離すことができない。

> 山本権兵衛首相は成人後に教育を受けた受験世代ではない首相でしたが、極めて優れた政治家でした。>しかし山本内閣は、中堅幹部になりつつあった陸士、海兵出身の軍事官僚の汚職によって崩壊したのです。

現実のみを考察する頭では、純然たる潔白は考えられないことですからね。
 
>日露戦争以後、軍事官僚に東大出身の官僚が加わりますが、日中戦争の遠因となる近代外交史上でも恥ずべき、「21か条の要求」は東大首席の加藤高明外務大臣(後に東大出身の最初の首相)が世界第一次大戦のドサクサに紛れて中国に突きつけたものでした。

加藤は、恣意の人でしたね。

> 彼は三菱財閥の娘婿でもあり、国家と財閥企業との癒着と、それを取り持つ高級官僚の腐敗を象徴する人物だと思います。

加藤は、癒着の人ですね。だから、彼は、リーズナブルではなかった。

>このように、日本の構造的な汚職政治は近代日本の高等教育機関が育んだ天下の秀才達により始められたのです。

日本人には、意思がない。しかし、恣意 (私意・我儘・身勝手) がある。
恣意の自由は ‘自由のはき違え’ であるから、認めるわけには行けませんね。それでも、序列メンタリティに甘えて実行する。

>日露戦争後は世界の5大国として、陸奥宗光や小村寿太郎が江戸時代に締結された西欧諸国との不平等条約の解消に努力した成果と相俟って、日本の内政・外交は近代教育を受けた文官官僚により取り仕切られていました。

民主政治には、なりませんね。官僚は、国民の代表ではありませんから。

>軍事は勿論、天下の難関、陸士、海兵組が進出していました。

教養のない人たちの進出ですね。リーズナブルな判断は、期待できませんね。

>しかし、20世紀に入り、世界が大きく変化する時代にあって、日本の国家運営は独善的な政策の連発により、国際的に孤立してゆく道でもありました。

日本人は、議論が得意ではありませんからね。無哲学・能天気では、相手を説得することは難しいですね。

>その一つはロシア革命後に列強がロシアに干渉した時にも、地理的理由から日本のシベリア出兵は日米共同1歩調という原敬内閣の計画に反し、すでに形成されていた陸軍参謀本部は勝手に、そして世界の情勢分析も何の将来展望もなく、アメリカの撤兵後も居座り続け、国際的な非難を一身に浴びることになったのです。

残念でしたね。日本人の恣意 (私意・我儘・身勝手) の結果ですね。陸軍参謀本部には、原敬内閣による責任体制が十分に理解されてはいなかったのですね。意思の存在を認めない国 (日本) では、責任者の意思はないがしろにされていますね。きわめて危険な傾向ですね。国の舵取りを危うくするものです。



.



科挙官僚 1/3

2019-08-03 12:01:53 | 政治

>最初は各藩にあった藩校の優等生が推薦されて日本の高等教育機関の難関校に入学しましたが、この入学は文字通りの推薦入学で、藩校の教師や周囲から秀才と認められたものが選ばれました。>従って最初はペーパー入学試験はありませんでした。 >旧制中学の第一回卒業生が出始まったころから、入学試験が始まりましたが、小学から中学を終えるまで、難関校は入学者がいなかったわけではありません。>すでに学齢に達していた子供や青年は推薦でそれぞれの学校に入学しましたから、入学試験が始まるまで5,6年の年月が必要でした。>この期間、中国の科挙のような試験はなかったのです。

我が国に試験地獄の無かった期間ですね。

>週刊新潮にコラムを連載している帝京大の高山教授によると、遣唐使の時代から日本の政府は中国の政治制度や文化を取り入れましたが、採用しなかったものに科挙試験、宦官そして纏足の3つを挙げています。>内閣や大臣、昔の関白、相国などの官名も中国の文献に由来します。>しかし科挙はそれ以後の歴代政権でも採用しなかったので、科挙官僚による亡国の歴史を見ずに済んだと述べています。

我が国のよき時代ですかね。

>ところが明治維新政府は高等教育学校に科挙試験のようなペーパー試験を採用してしまいました。 >さて、明治維新に生きた日本の英傑を、現在の偏差値入試に当てはめて、どの程度のものかを推定するのも意義があると思います。(中略)結論からいうと、明治維新を起こした日本人で東大に合格したものは恐らく一人もいなかったと推定されます。

それは、驚くべき結果ですね。

>なぜなら彼らは我利我利ではなく、この国家の近代化に興味があり、立身出世のために一日中机に向かうことなど考えられなかった人間達だったからです。

我利我利亡者は、処世術に専念しますね。処世術は、現実の内容に対する対処法ですからね。

>日本の政治腐敗や国家としての後進性は実はこの日本のエリート教育にあったと私は考えています。

そうですね。リーズン (理性・理由・適当) のない教育の結果ですね。リーズンは、日本人には縁のない考え (非現実) の内容ですからね。
現実の内容、頭の外にある。それは、見ることができる。見ればわかる。考える必要はない。楽ちんである。
非現実 (考え) の内容は、頭の中にある。それは、見ることができない。ただの話である。話の内容を理解するためには、その文章内容を理解しなくてはならない。これは、骨の折れる仕事である。だから、日本人は、理解をしない。そして、忖度・推察を使って、日常の事柄を処理している。
しかし、理解と忖度は、お互いに似て非なるものである。理解は、話者の内容に関する事柄である。忖度は、聞き手の勝手に解釈した内容で、話者には何の責任もない。話者との内容を比較して忖度の間違いを指摘すれば、忖度の人は ‘だって、本当にそう思ったのだから仕方がないではないか’と言い訳をする。だが忖度の人は、初めから現実直視ができていない。これが我々日本人の大きな問題である。

>つまり日本の政治の腐敗の原点は創立順に陸軍士官学校、海軍兵学校そして東大なのです。

リーズンのない教育をすれば、どのような学校を作っても腐敗しますね。それは、批判精神がないからです。

>いずれも当時、超難関という教育機関の名門中の名門でした。

競争倍率で名門の価値が決まるのですね。わかりやすい価値ですが、それほど意義があるのですかね。


.