>また、日本人は漢民族がその激しい生存競争故に陥りがちな自己中心的・反公共的行動に批判的だが、これも日本人の世界観が原因である。>多くの日本人は自覚していないが確固たる世界観を有しているのだ。
序列メンタリティの人間には、自己中心的・反公共的行動は難しいですね。日本人の判断は、世界観 (非現実) による判断ではなくて処世術 (現実) による判断でしょうね。
> 多くの中国人は日本に留学して、日本が儒教の徳目により統治されていることに気付く。
そうですね。中国人は、儒教を嫌っていますね。孔子の話など、彼らの口から聞いたこともない。勉強もしていないのでしょうね。
>そして、儒教のふるさとである中国も、全世界も、儒教の徳目によって統治されるべきであると考えるようになる。
老師が儒教の徳目を弟子に垂れる。それは、思考を停止した自己実現のない国々の有様ですね。
>1924年11月に訪日中の孫文は神戸で有名な「大アジア主義講演」を行う。>日本に対して「西洋覇道の走狗となるのか、東洋王道の守護者となるのか」と問い、欧米の帝国主義にたいし東洋の王道・平和の思想を説き、日中の友好を訴えた。
アジアは、個性のない人々の地域ですね。 東洋の王道は、思考を停止している人たちの生活の場ですね。ただ、暗記力のみが頼りでしょう。
>この「東洋王道」とは統治者の徳による統治という儒教的価値観に他ならない。
そうですね。各人に哲学は必要ですね。Everyone needs a philosophy. 無哲学・能天気のままで存在すれば、為政者は徳目を人民に垂れることになるでしょう。自主性の無さが問題ですね。
>また、2004年以降の中国で叫ばれている「和諧社会」も、日本的、あるいは儒教的な価値観の中国への導入に他ならない。[和諧=むつびあうこと]
特亜三国 (日本・中国・韓国) の国民は、思考を停止していますね。ですから、既成の ‘あるべき姿’ を受け入れるのでしょう。思考を停止している国においては、個人主義がない。そして、思考を停止している人たちには、個性がない。
>このことは、日本人と中国人の理想とすべき社会が一致したことを示している。
日本人と中国人は、大きく違いますね。中国は、総選挙をやりませんからね。彼らは、似非民主主義の国です。中国は、天安門事件や第二の天安門事件の震源地になっています。
> 米国政府要人は「米国と日本は民主主義という理念を共有している」とたびたび発言し、日本が米国の政策に従うことを正当化する。
そうですね。‘求大同 存小異’ 。 ‘大同を求めて、小異を預ける’ ということですね。
>しかし、米国の民主主義とは有色人種を虐殺し生命と財産を奪う行為を正義とする人々が主権者として意思決定を行っているのであり、日本とは全く相容れないのだ。
そうでしょうかね。日本人は、有色人種を差別しない国であるだろうか。白人をありがたがる国ではなかったのか。
>多くの米国国民はイスラエル支援によってイスラム世界で激しく憎まれていることを理解せず、米国が正義の国であると思い込んでいる。
憎しみの解決は容易ではないですね。何処の国にもある悩み事でしょう。
>このような愚かな人々が投票して選ばれる統治者が極めて愚かなのは自明である。
自業自得であれば、諦めますね。そうするしかないからです。日韓の間柄のようなものか。
>重要なのは統治者が賢明であることであって、その統治者が君主であれ貴族であれ役人であれ一般大衆であれどうでもよいことなのだ。
民主主義がよいですね。この世には、完全な人間はいない。自分たちの選んだ統治者の愚行ならば、諦めざるを得ない。自分たちでなれば、革命が必要になるでしょう。
>そして、日本を始め世界主要国は伝統的に、君主、あるいは君主の周囲の賢明な人々の集団によってうまく統治されてきたのだ。
日本を始め世界の主要国は、民主主義を知らなかったからでしょう。その間に立ち上がる者はいなかった。ただ、それだけの事でしょう。賢明な人々もあまり当てにはなりませんね。
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