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儒教 2/2

2019-08-21 21:29:21 | 政治

>また、日本人は漢民族がその激しい生存競争故に陥りがちな自己中心的・反公共的行動に批判的だが、これも日本人の世界観が原因である。>多くの日本人は自覚していないが確固たる世界観を有しているのだ。

序列メンタリティの人間には、自己中心的・反公共的行動は難しいですね。日本人の判断は、世界観 (非現実) による判断ではなくて処世術 (現実) による判断でしょうね。

> 多くの中国人は日本に留学して、日本が儒教の徳目により統治されていることに気付く。

そうですね。中国人は、儒教を嫌っていますね。孔子の話など、彼らの口から聞いたこともない。勉強もしていないのでしょうね。

>そして、儒教のふるさとである中国も、全世界も、儒教の徳目によって統治されるべきであると考えるようになる。

老師が儒教の徳目を弟子に垂れる。それは、思考を停止した自己実現のない国々の有様ですね。

>1924年11月に訪日中の孫文は神戸で有名な「大アジア主義講演」を行う。>日本に対して「西洋覇道の走狗となるのか、東洋王道の守護者となるのか」と問い、欧米の帝国主義にたいし東洋の王道・平和の思想を説き、日中の友好を訴えた。

アジアは、個性のない人々の地域ですね。 東洋の王道は、思考を停止している人たちの生活の場ですね。ただ、暗記力のみが頼りでしょう。

>この「東洋王道」とは統治者の徳による統治という儒教的価値観に他ならない。

そうですね。各人に哲学は必要ですね。Everyone needs a philosophy. 無哲学・能天気のままで存在すれば、為政者は徳目を人民に垂れることになるでしょう。自主性の無さが問題ですね。

>また、2004年以降の中国で叫ばれている「和諧社会」も、日本的、あるいは儒教的な価値観の中国への導入に他ならない。[和諧=むつびあうこと]

特亜三国 (日本・中国・韓国) の国民は、思考を停止していますね。ですから、既成の ‘あるべき姿’ を受け入れるのでしょう。思考を停止している国においては、個人主義がない。そして、思考を停止している人たちには、個性がない。

>このことは、日本人と中国人の理想とすべき社会が一致したことを示している。

日本人と中国人は、大きく違いますね。中国は、総選挙をやりませんからね。彼らは、似非民主主義の国です。中国は、天安門事件や第二の天安門事件の震源地になっています。

> 米国政府要人は「米国と日本は民主主義という理念を共有している」とたびたび発言し、日本が米国の政策に従うことを正当化する。

そうですね。‘求大同 存小異’ 。 ‘大同を求めて、小異を預ける’ ということですね。

>しかし、米国の民主主義とは有色人種を虐殺し生命と財産を奪う行為を正義とする人々が主権者として意思決定を行っているのであり、日本とは全く相容れないのだ。

そうでしょうかね。日本人は、有色人種を差別しない国であるだろうか。白人をありがたがる国ではなかったのか。

>多くの米国国民はイスラエル支援によってイスラム世界で激しく憎まれていることを理解せず、米国が正義の国であると思い込んでいる。

憎しみの解決は容易ではないですね。何処の国にもある悩み事でしょう。

>このような愚かな人々が投票して選ばれる統治者が極めて愚かなのは自明である。

自業自得であれば、諦めますね。そうするしかないからです。日韓の間柄のようなものか。

>重要なのは統治者が賢明であることであって、その統治者が君主であれ貴族であれ役人であれ一般大衆であれどうでもよいことなのだ。

民主主義がよいですね。この世には、完全な人間はいない。自分たちの選んだ統治者の愚行ならば、諦めざるを得ない。自分たちでなれば、革命が必要になるでしょう。

>そして、日本を始め世界主要国は伝統的に、君主、あるいは君主の周囲の賢明な人々の集団によってうまく統治されてきたのだ。

日本を始め世界の主要国は、民主主義を知らなかったからでしょう。その間に立ち上がる者はいなかった。ただ、それだけの事でしょう。賢明な人々もあまり当てにはなりませんね。


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儒教 1/2

2019-08-21 21:14:23 | 政治

>大東亜戦争では「八紘一宇」という理念が掲げられたが、これも人々の間の和と思い遣りを至上とする儒教的価値観である。

大東亜戦争は、儒教的価値観に基づく戦争でしたかね。

>これは神武天皇に由来するとされるが、神武天皇は日本の先住民族の王であったと思われる出雲の大国主命を虐殺してその土地を占領した人物であり、そこには思い遣りも和も感じられない。 >出雲大社が日本最大の建築物とされてきたのは、国を奪われ命も奪われた大国主命の強い怨念を封じ込めるためであるという井沢元彦氏の指摘は恐らく真実だろう。

そうかもしれませんね。

>「八紘一宇」は大正時代に作られた概念であり、元来は「神武天皇による先住民虐殺と日本統一」を意味するに過ぎないと思われる。>従ってこれは日本人の世界観には該当させるべきで無い。

そういうことになるでしょうかね。

> 「自然との共生」も日本人の価値観の一つだが、これは神道というシャーマニズム的宗教を日本が持つことに関係していると思われる。>そして、日本以外のシャーマニズム系集団にも共通する価値観のように思われる。

神道は、シャーマニズムですかね。

>これも確かに重要であるが、「仁=思い遣り」や「和」を超える重要性があるとは思えない。

‘仁’ や ‘和’ は、徳目して暗記物になっていますね。

>我々は神道にのみ注目すべきでは無く、世界の各民族のシャーマニズム的多神教(道教やヒンズー教を含む)を比較・分析していくべきである。

シャーマニズム的多神教の比較・分析がすすむと良いですね。

> 「島国であること」も日本人の自己認識の一つだが、日本人と全く相容れない世界観を持つ米英人も自己を「世界島周囲の大洋に浮かぶ島国」と自己認識しているのであり、日本人の世界観とするべきではないだろう。

非現実 (考え) の内容は、時制のある文章内容として表現される。時制 (tense) のある文章内容は、それぞれに独立した非現実の三世界 (過去・現在・未来) を表すことができる。これは、世界観 (非現実) と呼ばれるものである。初めは、誰もがその内容は白紙の状態である。各人が、個人的に少しずつその空白を埋めて行く。非現実の世界の内容は、限りなく展開が可能である。’あるべき姿’ の内容は、未来時制の文章内容になっている。この内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、その人は批判精神の持ち主ということになる。しかるに、日本人には、時制がなく世界観がない。自己の ‘あるべき姿’ の内容がなく、批判精神がない。暗記力ばかりでは、世界を動かすことはできない。

> 日本の武道は他国のスポーツと異なり、肉体を鍛えることや競技に勝つことよりも精神修養を重視する。

そうですね。日本人には、意思がない。意思は、未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがない。だから、日本語の脳裏には未来時制は無く、日本人には意思がない。
意思のあるところに、方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 日本人は仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。だから、特に精神修養を重視しなくてはならない。

(略)
>では、なぜ精神修養が必要なのだろうか? >それは、「思い遣り=仁」を実現するには、全ての者が自己の欲望や怠惰な心を我慢して、同情すべきかわいそうな人に恩恵を与える必要があるからである。

日本人には、意思がない。しかし、恣意 (私意・我儘・身勝手) がある。恣意の自由は、何処の国でも認められていない。だから、我慢が必要である。つまり、精神修養が必要である。

(略)
> 日本人は本能的に貧富の格差の縮小を善と考えており、新自由主義やTPPに代表される格差社会に批判的である。

そうですね。日本人は、小刻みの順位差の中で生活していますから、貧富の差もまた小刻みなものになりますね。

>これは、日本人の世界観が新自由主義と相容れないことに由来する。

日本人の序列感は、新自由主義とは相容れませんね。序列感は、形式ばった堅ぐるしい感覚です。


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