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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

当事者

2019-08-25 22:33:05 | 教育

>168544 誰もが当事者になれる次代へ!  >川井孝浩 HP ( 34 設計 ) 08/01/06 AM01 【印刷用へ】 >ネットサロンへの初参加、お疲れ様でした!
> < おそらく、今はテレビや新聞といったマスコミの意見を一方的に聞かされてばかりで「自分の頭で考える事」が少なかったのかなと気づかされました。 168521

そうですね。生徒に自主性を持たせずに押し込むように教えることが多かったですね。

>この気付きは、とても大きな前進だと想います。

そうですね。アクティブ・ラーニングの始まりですね。

>これまでは生存圧力の元で、私権の強制圧力とそれを制御する序列原理によって頭を押さえつけられて来たお陰で、自ら考え、発信する事すら封じ込められていた訳ですから。

そうですね。序列に従って受信ばかりをしていましたね。

> 考えてみれば、生存圧力というものも、黙っていても向うから迫ってくる外圧であり、頭を使うこと以上に本能的に、あるいは反射的に反応(適応)するのが精一杯だったとも言えます。

そうですね。我々は、長い間食うのに追われていましたね。

>そして、貧困の消滅(生存圧力の消滅)以降も、その名残で一方的に与えられるものにだけしか反応できない現代人が大量生産されてきたのが実態なのでしょう。

思考停止の状態ですからね。他人の受け売りしかできない人たちでしたね。

>しかし、外圧状況が大きく変わってしまった現代となっては、その受身な日常でただひたすら消費を繰り返すだけの毎日に違和感を感じ始める事も当然です。

そうですね。日本人には、意思がない。だから、能動がなくて、受動ばかりになっています。何か違和感がありますね。

>日々与え続けられる娯楽に埋没していたところで、なんの充足も得られない上に、不適応体として活力衰弱していくばかり。

それは、人生の目的を見失っているからではありませんか。

>そこで認識転換し、自ら頭を使って考える事の可能性に気付けば、大きく状況は変わっていきます。

そうですね。我々には、気づきが必要ですね。
非現実 (考え) の内容は、頭の中にある。それは、見ることができない。ただの話である。その話の内容を理解するには、文法に従って文章内容を理解しなくてはならない。
全ての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。
矛盾を含まない文章は、全て正しい考えを示している。だから、正解は、一つではない。考えの内容は、人様々である。だから、正解はいくらでもある。
矛盾を含む文章も、その矛盾を取り除けば、正しい考えを表す文章になる。正しい考えを得るためには、対話・議論が役に立つ。 

>今度は自らが外圧となり、当事者として、そして答えの供給者として人々に活力を与える側へと一気に転換していけるんだから!

各人に哲学は、必要である。Everyone needs a philosophy. 他人に教えを垂れることは、やめにしましょうよ。また、元の道に戻ります。

> 実現論の〆の言葉に、次の一文があります。>jig:040707  >> 現に、彼ら電源の切れかかったロボットたちは、何もしようとせず、ただ廃棄処分される日をじっと待っているだけではないか。>>それが嫌なら、考えればいい、立ち上がればいい。

そうですね。でも、そう簡単にできることでしょうかね。

>>共認闘争は、新たな活力源として、人類が待ち望むところである。> 私達は、家畜でもなければ、ロボットでもない。>紛れも無く、この社会を形成している当事者に他ならない。

そうですね。自己の意思を示せば、当事者・関係者になる。示さなければ傍観者にとどまる。
日本人には、意思がない。意思 (will) は、未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には、時制 (tense) というものがない。だから、日本語の脳裏には未来時制は存在せず、日本人には意思がない。

>その事を肝に銘じて、是非とも頭(新認識)をフル稼働させて活きましょう!

そうですね。頭をフル稼働させる為には、その前に解決すべき問題が色々ありますね。
我々日本人は、日本語と英語の両言語を良く学び、時制の大切さを十分に深く理解しなくてはなりませんね。さすれば、自己の意思と世界観を文章にすることが可能になります。
このようにして、相手の理解を通して信頼を得ることが可能になります。未来社会の構想を明らかにして、その建設計画に協力者を得て、人類の進歩に貢献をすることができます。
英米人は、日本語で話す時でも、日本語思考に特有な閉塞感に襲われることはありません。それは、英語として別に考え方を持っているからです。我々は、英米人の考え方を見習うべきです。彼らは、英語の勉強をしても ‘ただの人’ になるばかりです。しかし、我々の英語は違います。日本人に正しい考え方を教え、外国人に日本人特有な長所を論理的に説明することができます。ですから、我々にとって英語の勉強は、宝の山を探検するようなものになるでしょう。ぜひ、知的な英語を話すように努めましょう。


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仕方がない

2019-08-25 05:08:16 | 政治

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way.
ところが、日本人には、意思がない。
意思 (will) は、未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には、時制 (tense) というものがない。だから、日本語の脳裏には未来時制は無く、日本人には意思がない。
日本人は、意思決定ができない。’仕方がない’ ので、日本人は無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。日本人には、特に精神修養が必要であるのか。

カレル・ヴァン・ウォルフレン 氏 (Karel van Wolferen) は、<日本/権力構造の謎> (The Enigma of Japanese Power) の<日本語文庫新版への序文>の中で下記の段落のように述べています。
、、、、、日本の政治を語るうえで欠かせない表現の一つである「仕方がない」という言葉を放逐することに、本書がいささかなりとも役立てばと願っている。本書は、本当の意味での政治参加をさせまいとして日本に広く作用する力について詳述している。この力こそは、個々人の、市民になろうとする決意と、有効に機能する民主主義を守ろうという意志を弱めるものである。日本に作用するこの力は、独裁政権があってそこからくり出されてくるのではない。それは日本の社会環境のあらゆる場所から発現する。、、、、、この力こそが、多くの日本人が身をおく境遇に対して唯一、適当な対応は「仕方がない」とうけいれることだと思わせるのである。(引用終わり) 

‘仕方がない’ を ‘仕方がある’ に変えるためには、意思の存在が必要である。だが、日本語には、意思がない。それで、現在わが国では、意思の代わりに恣意を使っている。
意思には文章内容があるので、意味がある。恣意 (私意・我儘・身勝手) は、バラバラな単語 (小言・片言・独り言) のままで存在するので、意味がない。’それがどうした’ (So what?) の問いには、答えが出ない。だから、誰からも信頼もされない。意思決定 (理性判断) の代わりに、恣意決定 (盲目の判断) を使う。意思疎通の代わりに恣意疎通 (阿吽の呼吸・つうかあの仲) を使う。 だから、市民になろうとする決意と、有効に機能する民主主義は守れない。

司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調している。
「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」

我々日本人は、日本語と英語の両言語を良く学び、時制の重要性を十分に深く理解しなければならない。さすれば、我々も自己の世界観と意思を表明できるようになり、相手からも信頼されるようになる。英米人が英語を勉強しても、それは ‘ただの人’ になるだけである。しかし、我々日本人が英語を利用できれば、唯の日本人ではない。日本人の考え方を世界に伝え、英米人の長所をわが国に知らせる希望の星になる。だから、我々にはとりわけ努力のし甲斐がある英語の勉強である。



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