> 読売新聞の正力松太郎、朝日新聞の緒方竹虎など大本営発表に加担していた張本人たちが、戦後はCIAのエージェントとして言論界、政界で幅を利かし、今度はアメリカに隷属しながら対日占領の協力者となり、今日の大新聞にその遺伝子は脈々と引き継がれている。
彼らの身変わりの早さは、他を圧倒していますね。‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官)
日本人には、世界観がない。だから、’あるべき姿’ の内容がない。世界観 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、その人は、批判精神を示したことになる。
非現実 (考え) の内容は、時制のある文章になる。その文章は、それぞれに独立した非現実の三世界 (過去・現在・未来) の内容を示している。初めは、誰もかれもが非現実の世界は白紙の状態である。そこで、各自で世界観の内容をうずめて行く。世界観は、何処までも展開が可能である。だから、人間は ‘考える人’ になる。各人に哲学が必要である。Everyone needs a philosophy. 英米人は、思春期になって言語能力が急速に発達すると大学に進学して、哲学を学ぶ。そして、教養人となる。
英語には、時制がある。英米人には、世界観がある。だから、批判精神もある。日本語の文法には、時制がなく、日本人には世界観がない、そして、日本人には、批判精神がない。比較の議論はもっぱら現実対現実の上下比較になるので、時流に流される。つかみどころ (非現実) がない。
> 現在、安倍政府が戦争の反省を覆して戦時法制の改定を急ぐなかで、NHK会長が「政府が右といえば左とはいえない」「正式に政府のスタンスというのがよくまだ見えないうちは慎重に報道する」とのべて物議を醸している。
彼の発言は、日和見主義 (機会主義) の発言ですね。
> 報道機関が権力の監視という任務を投げ捨てて提灯持ちになり、再び大本営発表をくり返すことを何ら悪びれていない。
日本人には、世界観がない。だから、自己の世界観 (非現実) の内容を基準にして、現実の内容を批判することができない。だから、批判精神がない。日和見 (現実) 主義になる。
非現実 (考え) の内容は、頭の中にある。それは、見ることができない。ただの話である。話の内容が分かる為には文法に従って文章内容を理解しなくてはならない。これは、骨の折れる仕事である。だから、日本人は、通常、理解をしない。忖度 (推察) で行く。
しかし、忖度は、理解とは似ても似つかない代物である。理解は、発言者の内容に関することである。しかるに、忖度は、聞き手の勝手な解釈による内容である。話者には、何の責任もない。議論にもならない。忖度の日本人は、現実直視 (実験・観察) ができていない。これが、大問題である。議論が出来ない。伝統的な歌詠みのようなものである。
>安倍ブレーンが送り込まれたNHKに限らず、どの報道機関もおしなべて口をつむり、選挙になると期間中から「自民党圧勝!」と書き立てて低投票率を仕組んだり、悪質極まりない報道をくり返している。>「郵政劇場」しかりである。
マスコミは、自己主張に慣れていませんね。これは、日本人全体の問題でもあります。
>大本営発表が米国発になっただけで、ジャーナリズム精神など早くから喪失していることを暴露している。
そうですね。ジャーナリズムは、自己実現の手段となるべきですね。提灯持ちは、我々日本人の ‘受け売り万能’ の性質を表していますね。
我々日本人は、日本語と英語の両言語を良く学び、時制の大切さを十分深く理解する必要がありますね。そして、自己の世界観と意思の表現方法を獲得すべきですね。さすれば、外国人からも自己の考え (非現実) に理解が得られて信頼されます。自己の未来社会の建設計画に賛同が得られて、国際的に指導力を発揮できます。英米人は、日本語を話す時も日本語特有の閉塞感に襲われることはありません。誰らは、日本語以外にも考え方を持っているからです。我々日本人も、彼らの方法を学べば日本語特有の良さと併せ持つことになり、’鬼に金棒’ の状態になります。
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