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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

マスコミ 3/3

2019-08-23 13:31:09 | 政治

>  読売新聞の正力松太郎、朝日新聞の緒方竹虎など大本営発表に加担していた張本人たちが、戦後はCIAのエージェントとして言論界、政界で幅を利かし、今度はアメリカに隷属しながら対日占領の協力者となり、今日の大新聞にその遺伝子は脈々と引き継がれている。

彼らの身変わりの早さは、他を圧倒していますね。‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’  (あるアメリカの国務長官)
日本人には、世界観がない。だから、’あるべき姿’ の内容がない。世界観 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、その人は、批判精神を示したことになる。
非現実 (考え) の内容は、時制のある文章になる。その文章は、それぞれに独立した非現実の三世界 (過去・現在・未来) の内容を示している。初めは、誰もかれもが非現実の世界は白紙の状態である。そこで、各自で世界観の内容をうずめて行く。世界観は、何処までも展開が可能である。だから、人間は ‘考える人’ になる。各人に哲学が必要である。Everyone needs a philosophy. 英米人は、思春期になって言語能力が急速に発達すると大学に進学して、哲学を学ぶ。そして、教養人となる。
英語には、時制がある。英米人には、世界観がある。だから、批判精神もある。日本語の文法には、時制がなく、日本人には世界観がない、そして、日本人には、批判精神がない。比較の議論はもっぱら現実対現実の上下比較になるので、時流に流される。つかみどころ (非現実) がない。

>  現在、安倍政府が戦争の反省を覆して戦時法制の改定を急ぐなかで、NHK会長が「政府が右といえば左とはいえない」「正式に政府のスタンスというのがよくまだ見えないうちは慎重に報道する」とのべて物議を醸している。

彼の発言は、日和見主義 (機会主義) の発言ですね。

> 報道機関が権力の監視という任務を投げ捨てて提灯持ちになり、再び大本営発表をくり返すことを何ら悪びれていない。

日本人には、世界観がない。だから、自己の世界観 (非現実) の内容を基準にして、現実の内容を批判することができない。だから、批判精神がない。日和見 (現実) 主義になる。
非現実 (考え) の内容は、頭の中にある。それは、見ることができない。ただの話である。話の内容が分かる為には文法に従って文章内容を理解しなくてはならない。これは、骨の折れる仕事である。だから、日本人は、通常、理解をしない。忖度 (推察) で行く。
しかし、忖度は、理解とは似ても似つかない代物である。理解は、発言者の内容に関することである。しかるに、忖度は、聞き手の勝手な解釈による内容である。話者には、何の責任もない。議論にもならない。忖度の日本人は、現実直視 (実験・観察) ができていない。これが、大問題である。議論が出来ない。伝統的な歌詠みのようなものである。

>安倍ブレーンが送り込まれたNHKに限らず、どの報道機関もおしなべて口をつむり、選挙になると期間中から「自民党圧勝!」と書き立てて低投票率を仕組んだり、悪質極まりない報道をくり返している。>「郵政劇場」しかりである。

マスコミは、自己主張に慣れていませんね。これは、日本人全体の問題でもあります。

>大本営発表が米国発になっただけで、ジャーナリズム精神など早くから喪失していることを暴露している。

そうですね。ジャーナリズムは、自己実現の手段となるべきですね。提灯持ちは、我々日本人の ‘受け売り万能’ の性質を表していますね。
我々日本人は、日本語と英語の両言語を良く学び、時制の大切さを十分深く理解する必要がありますね。そして、自己の世界観と意思の表現方法を獲得すべきですね。さすれば、外国人からも自己の考え (非現実) に理解が得られて信頼されます。自己の未来社会の建設計画に賛同が得られて、国際的に指導力を発揮できます。英米人は、日本語を話す時も日本語特有の閉塞感に襲われることはありません。誰らは、日本語以外にも考え方を持っているからです。我々日本人も、彼らの方法を学べば日本語特有の良さと併せ持つことになり、’鬼に金棒’ の状態になります。

>・・・・・・・・・・・・・引用ここまで・・・・・・・・・・・・・


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マスコミ 2/3

2019-08-23 11:23:17 | 政治

> (中略) > このとき情報局は「記事差し止め事項」を発し、「一般世論の指導方針」として、①今回の対英米戦は帝国の生存と権威の確保のため、まことにやむをえず起ち上った戦争であることを強調すること。

日本人には、意思がない。だから、全てを ‘事の次第・成り行き’ で説明することになる。だから、政治家の責任問題には至らない。この国がひっくり返った時にも、責任者は出なかった。兎角、この世は、無責任。

>②敵国の利己的世界制覇の野望が戦争勃発の真因であるというように立論すること。

個人主義は日本人にとって理解するのが難しいが、利己主義ならよくわかる。

>③世界新秩序は「八紘一宇」の理想に立ち、その目的とするゆえんを強調すること、を全報道や出版関係者に通達した。

‘八紘一宇’ (世界を一つにまとめて、一家のように和合 させること) は、わが国の海外進出の口実になりましたね。島国根性との関係は、どうなっているのでしょうかね。

> 終戦の年に入ると米軍による日本全土への空襲が始まったが、この空襲については「国民の士気を損ねる」としてまともな報道はされなかった。

‘見ざる、聞かざる、言わざる’ ですね。(See-not, hear-not, and speak-not) しかし、現実は、無視できませんね。

>「敵襲時ニ於ケル報道措置要領」(大本営陸海軍部、情報局協定、昭和17年)では、1、被害地点明示、町村以下の地名。2、人畜の被害状況、死傷者数。3、家屋の他、建造物の被害状況。被害戸数、建造物の名称。4、電信、電話施設の被害状況、地点。5、鉄道、軌道の被害状況。6、道路、橋梁、港湾の被害状況はいっさい報道不可としている。

国民は、つんぼ桟敷に置かれていましたね。勝っているのか、負けているのかわからない。

> (中略) > 昭和19年から始まった学徒出陣は、「征くも送るも決意新たに」の見出しに「胸も潰れるような感激」(『朝日』)と報じ、女子挺身隊は「乙女につづけ」「ここにも女の戦場」「勤労生活にひらく新生命」(同)と美化され、若者を死地に赴かせた政策は最大限に称賛された。

人命は、尊重されませんでしたね。命より大切なものがあったのか。

> 連合軍が提示したポツダム宣言に対しては、「帝国政府としては米、英、重慶三国の共同声明に関しては何ら重大な価値あるものに非ずとしてこれを黙殺すると共に、断乎戦争完遂に邁進するのみとの決意を更に固めている」として国民には徹底抗戦を主張した。

‘一億総玉砕’ のことですね。それほど戦争がしたいのか。

>8月6日に広島、9日に長崎に原子爆弾を投下されることで、天皇は敗戦の口実を得ることになる。

我々は、敗戦の口実 (原爆) で命拾いをしたのでしたね。

>  国民に一億総ざんげ 敗戦になれば被害者面 >  そして、戦後、『朝日新聞』は、「言論機関の責任は極めて重いものがあるといわねばなるまい」といいながら、「(敗戦の責任は)決して特定の人人に帰すべきでなく、1億国民の偕(とも)に負うべきものであらねばならぬ」(8月23日付社説)と主張。

戦争指導者は、責任をもって国民を指導したのではないのですか。世俗の上下は存在しても、責任の上下はなかったのですね。
意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 意思の無い日本人には仕方がなく、無為無策でいました。だから、指導力は、発揮されなかった。成り行き任せであった。

>  東久邇宮首相が「一億総懺悔論」を発してその責任を全国民に押しつけると同時に、『朝日』は「国民とともに起たん」とする社告で、「開戦より戦時中を通じ、幾多の制約があったとはいえ、真実の報道、厳正なる批判の重責を十分に果たし得ず、またこの制約打破に微力、ついに敗戦にいたり、国民をして事態の進展に無知なるまま今日の窮境に陥らしめた罪を天下に謝せん」とのべた。>散々戦争に協力してきた者が被害者面をして戦後出発したのである。

日本人には、意思がない。だから、能動がなくて、受動ばかりがある。加害者意識がなくて、被害者意識ばかりがある。これは、日本人の通常の成り行きですね。



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マスコミ 1/3

2019-08-23 05:56:15 | 政治

>302879 国家(支配層)の片棒を担ぐマスコミのねつ造、厚顔無恥なDNAは根こそぎ抜き取らないと変わらない  >匿名希望 15/04/09 PM07 【印刷用へ】
>どこの国でも、いつの時代でも、戦争を起こすのは国家(支配層)であり、その片棒を担ぐのはマスコミ。

そうですね。マスコミは、常に政府の役に立つ存在ですね。

>戦争が終わった後も、その片棒を担いだことはまるで忘れて、国家(支配層)の片棒を担ぎ続ける。

‘寄らば大樹の陰’ ですね。片棒を担ぐことは、処世術になっていますね。

>そろそろ、連中を根こそぎ排除しなければならない。

そうですね。しかし、これは、非常にむずかしいでしょうね。

>リンクより引用します。 >・・・・・・・・・・・・引用開始・・・・・・・・・・・・・・・・
>捏造報道で戦争の片棒担ぐ  日米開戦時の大新聞の犯罪
> 今は米国発の大本営発表  2015年3月27日付  > 戦後70年を迎えるなかで、憲法解釈変更、安保法制の改定など安倍政府による戦時体制づくりが着着と進められている。 >かつての戦争で320万人の親兄弟を無残に殺され、焦土のなかから二度と戦争をくり返させぬことを誓って郷土を復興してきた国民にとって看過できない事態を迎えている。

‘歴史は繰り返す’ でしょうね。受け身の考え方ばかりでは、事態の変革は、難しいでしょうね。

> だが、それを正面から批判するメディアは見当たらない。

‘雉も鳴かずば打たれまい’ ということですね。保身第一ですね。日本人には、批判精神がありませんからね。

>戦後、あの戦争を「愚かで無謀な戦争」といい、「軍部の横暴によって言論を弾圧された」というものが、今度はアメリカの鉄砲玉となって日本が戦争に突っ込むという愚かさや無謀さを問題にしないのである。

我が国のマスコミにとっては、全てが人ごとですからね。自分が意思を示せば、当事者・関係者になる。示さなければ、傍観者にとどまる。日本人には、意思がない。だから、日本人は傍観者で、事態は他人事です。
意思 (will) は、未来時制の文章内容になる。ところが、日本語の文法には、時制 (tense) というものがない。だから、日本語の脳裏には未来時制がなく、日本人には意思がない。

> 大本営発表をくり返して国民を戦争に動員した反省などどこ吹く風で、アメリカの戦争協力者になっている姿が暴露されている。

日本人には意思がない。だから、加害者意識というものがない。罪の意識もない。深刻な反省に至ることもない。だから、どこ吹く風になるのである。浮いた感じで生きている。

> (中略) >  満州事変に始まった日中戦争が行きづまるなかで、1941年12月8日、日本の支配層は真珠湾攻撃へと踏み切った。

‘窮鼠、猫をかむ’ ということでしょうね。

>日中戦争に動員された100万人もの日本軍の主力は抗日戦争の高まりのなかで中国に釘付けになり、すでに戦死者は18万5000人を数え、中国の植民地化という野望を実現する見込みは完全に断ち切られていた。

泥沼の戦争でしたね。

>一方、日本への経済制裁を強めながら対日参戦の機会をうかがっていたアメリカは「日本に最初の一発を撃たせる」(スティムソン米陸軍長官)ことによって、日本との植民地争奪戦に乗り出す口実を得ることになった。

アメリカは、開戦の機会をうかがっていましたね。

> 「帝国陸海軍は今8日未明、西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり」。 >1941(昭和16)年12月8日午前6時、ラジオから流れた大本営発表第1号は太平洋戦争の開戦を告げた。>以降、破滅的な敗戦を迎えるまでに合計846回くり返され、国民を戦争に組織していった。 > 負けることはわかりきった戦争に政府も報道機関も口を揃えて「鬼畜米英を殺せ」と叫び、反論するものには血なまぐさい弾圧を加えた。

感情的な日本人には、論理は通じませんからね。 山本七平は「『空気』の研究」のなかで、そのことを指摘しています。
「驚いたことに、『文藝春秋』昭和五十年八月号の『戦艦大和』でも、『全般の空気よりして、当時も今日も(大和の)特攻出撃は当然と思う』という発言が出てくる。この文章を読んでみると、大和の出撃を無謀とする人びとにはすべて、それを無謀と断ずるに至る細かいデータ、すなわち明確の根拠がある。だが一方、当然とする方の主張はそういったデータ乃至根拠は全くなく、その正当性の根拠は専ら『空気』なのである。最終的決定を下し、『そうせざるを得なくしている』力をもっているのは一に『空気』であって、それ以外にない。これは非常に興味深い事実である。」と書いています。

>実際に殺されたのは国民の側であり、邦人保護を叫んで突っ込んだ日中戦争、そしてその後の太平洋戦争で320万人の命が失われた。>とくに敗戦までの1年間で死者は著しく増大することになった。

日本人は、未来に関する予測を立てることが苦手ですからね。’なってみなければ分からない’ の発言ばかりですね。


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