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中空構造

2019-08-02 05:44:43 | 政治

> 自分たちの力で立つことができる文化 >リンク転用
>[日本航空の]この改革の背景には、改革前の「中央集権的」な組織から脱却し、自ら考え行動する組織に変えたいという思いがあったと [稲盛氏は] 語っていました。

自らの考えは、大切ですね。

>トップダウン、ミドルアップ、ボトムアップという言葉こそは使っていませんが、これまでのような本社あるいは中央機能が決めたことを現場が黙ってこなすトップダウン的な組織ではなく、現場が当事者意識を持って自律的に考えて動くミドルアップ、ボトムアップ的な組織へ意図的に移行していった改革であったと思われます。

伝統的な ‘序列体制と上意下達’ だけでは、身動きが取れませんね。

>1便当たりの収支管理の重要性や、心をこめたサービスの在り方などをスタッフの一人ひとりに説いて回ったという、稲盛氏が行った改革についての一連の記事などを読むと、現場の目線、現場の感覚を重視した改革だったがことがよく分かります。>稲盛氏と日本航空は、改革したことが現場で、そして現場の人々によって再現、維持されなければ意味がないと考えたのではないでしょうか。

現実直視の実行ですね。

>さて、この改革を「中空構造」の観点からみていくと、次のような特徴があります。
>まず、経営破たんを食い止めることができる人材なり仕組みがなかったこと、あるいは改革をリードできる人材が日本航空内にいなかったこと自体が、「強力なリーダーがいない」、「中心が空」の状態であったということができます。

‘兎角、この世は無責任’ ですね。

>それを構成する人の心も「中心が空」であるがゆえに、経営破たんしたにも関わらず当事者意識や危機感の欠如、社内慣習、人間関係のしがらみ、個人的な感情から脱却できない状態に陥っていました。

‘赤信号 みんなで渡れば怖くない’ ということですか。

>「中空構造」のマイナス面、つまり求心力がないが故に周辺同士が依存的、癒着的になり、放射的に影響力が及ばないが故に全体の統制がとれずにまとまりがないといった状態に支配されていたのです。

‘多くして 船山に上がる’ といったようなものですか。

>しかし、組織や人の心の「中心が空」であったからこそ、外部から中心となるべき人を招き入れ、相応の軋轢(あつれき)がありながらもその人の力を借りながら改革と再建を成し遂げることができました。

アメリカから来たマッカーサを ‘中心の空’ に据えたようなものですね。

>そして最後には、周辺の自律的な力や調整力、そのバランスで成り立つことができる「中空構造」のプラス面、つまり自分たちで考え行動する組織に転換していくことができたといえるのです。

無哲学・能天気では、いられませんね。

> 特に、精力的に改革をリードした稲盛氏は一見するとトップダウン式の強力なリーダーであったように感じますが、先述した現場の自律を促そうとする改革内容やその行動は、自分が退任した後も、たとえ「中心が空」となっても、社員たちが自らの力で立って歩くことができる組織作りめざしたものです。

‘もとの木阿弥にかえった’ のでは、困りますからね。

>その姿はまさに河合氏のいう「世話役」であり、「自らの力に頼るのではなく、全体のバランスを図ることが大切であり」「たとい力や能力を有するにしても、それに頼らずに無為であることが理想とされる」という「中空構造」のリーダーの在り方そのもののような気がするのです。

‘船頭多くして船山に上がる’ ということは、無いのですかね。

> 一方、そのようなリーダーに対して、現場で働く人々の中にも最初は抵抗があったようですが、この改革で「自分たちが何のために働き、この仕事を通じて社会にどんな価値を提供していきたいのか」を改めて考えることを通じて、自分たちの役割や仕事の価値を再認識したといいます。

‘頑張って’ ですかね。

>そのような現場の人たちの思いと自律的な改革への取り組みなくして、この再建はなかったといえるでしょう。

そうでしょうね。
日本人には、世界観がない。だから、マスター・ブランとか、グランド・デザインといったようなものは発想できない。そして、日本人の作業は常に現状の修復的なものに限られている。
英文法には、時制 (tense) というものがある。時制のある文章内容は、非現実 (考え) の内容を表すことができる。
非現実 (考え) の内容は、三つの非現実な独立した世界 (過去・現在・未来) に分かれて存在する。時制は、その枠組みとなっている。各人の内容が初めは白紙の状態にある。英米人は、思春期になって言語能力が発達すると自分自身の考えで、その空白の部分を埋めようとする。だから、’考える人’ になる。考えは、三世界において、際限なく展開できる。だから、それは、各人の世界観 (world view) になる。’各人に、哲学は、必要である’ と考えられいている。Everyone needs a philosophy. 考えなければ、無哲学・能天気の人になる。

>これまで見てきたとおり、日本における社会や組織、それを構成する日本人の心性の「中心が空」であるからこそ、ときには頼りない状態に陥り、第三者の目にはあいまいなもの、責任感のないものに映ります。

日本人には、意思がない。だから、優柔不断・意志薄弱に見える。精神主義により改善を図ろうとした気運もあった。だが、失敗した。武芸の鍛錬により機敏な動作をする人間は得られたが、リーズン (理性・理由・適当) の獲得には失敗した。
'敗因について一言いはしてくれ。我が国人が あまりの皇国を信じ過ぎて 英米をあなどつたことである。我が軍人は 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたことである'  (昭和天皇)

>しかし同時に、「中心が空」であるからこそ、さまざまなものを受け入れ、たとえ「中心が空」であっても、そのときの状況に合わせて自分たちの力で立つことができる文化といえるのではないでしょうか。

アメリカから来たマッカーサを ‘中心の空’ に据えたようなものですかね。

>これこそが日本のビジネスでよく言われる「強力なリーダーが不在でも成り立つ組織」の本質ではないかと私は考えるのです。

意思のあるところに方法・仕方がある。だから、意思のある人には、指導性がある。指導者・責任者に成れる。
日本人には、意思がない。意思は、未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制というものがない。だから、日本語の脳裏には未来時制は無く、日本人には意思がない。この国がひっくり返った時にも、責任者は出なかった。責任者がいなければ、国の舵取りもできるはずがない。

>このような日本の社会構造や組織、日本人の心性の特徴に自覚的になるためには、私たち日本人の心の深層にある「中空構造」を掘り起こし、そのものに意識を向け、それを言語化していく努力が必要だと河合氏は指摘しています。

英文法には、時制がある。英米人には、意思がある。彼らは、指導性を発揮する。
自己の意思を表明する人は、当事者・関係者になる。表明しない人は、傍観者にとどまる。わが国は、世界の中にあって、世界に属してはいない。孤高の国か。

(略)


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