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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

永守重信会長

2019-08-29 00:51:22 | 教育

>※※※以下、引用※※※
>「2030年までに京大抜く」京都先端科学大学の理事長 >  京都先端科学大学理事長で、日本電産の永守重信会長(74)が23日、京都市内であった全国高等学校PTA連合会の京都大会で講演をした。>同社を一代で世界最大手のモーターメーカーに育てた経験から「先生の授業ノートが30年前。そんな基礎知識をスマホ時代に教えてどうするのか」と教育の現状を批判。

学生自身に考えさせるのが教育ですね。

>世界大学ランキングで2025年までに「関関同立」を、30年に京大を抜くとも宣言した。

大学同士が切磋琢磨することは良いことですね。

>講演内容は次の通り。
>  今の日本の教育は間違っている。 >偏差値とブランド主義が日本の高等教育をひずませている。

そうですね。序列社会の弊害ですね。

>  企業はお客さんが買ってくれる商品を作り出して、売らないといけない。 >しかし今の大学は、英語は話せない、専門はできない、礼儀作法はできない。 >そんなのをどんどん出してくるんです。

企業に適した人間は、企業家が良く知っているはずですね。何も大学に適した人材を期待する事はないでしょう。

>  採用する側もブランドでとるしかない。

それは、盲目の判断になりますね。

>ところが今の一流大学の半分以下は普通の生徒。>昔なら受かっていないような子ですわ。>しかし今は、一流の予備校でテクニックを覚えて暗記をすれば受かる。>そんなのが半分ぐらいおるわけです。

受験テクニックは、一種の処世術 (現実) ですからね。何も学問 (非現実) と関係するわけではないでしょう。

>  京都先端科学大の理事長になって教育現場を詳しく見ました。>ああ、こういう教育をしているのかと。 >他の大学もたくさん見に行って授業も見せてもらった。>まあ、みんなよく似たものです。>後ろでスマートフォンを持って遊んでいる。>寝ている。>授業中に帽子をかぶっている。>何しにきとんねんと。

そうですね。受講態度は、見ればわかりますね。

>  しかし、もっと悪いのは先生。>生徒が寝ていても、帽子をかぶっていても、スマホで遊んでいても、私語をしとっても注意一つしない。

困ったものですね。礼儀正しい日本人は、何処へやら。

(略)
>某一流大学の授業なんて、何を言っているのかわからない。 >僕の専門分野を聞きに行っているのにですよ。 >僕がわからないのに学生にわかるはずがない。

永守理事長も、全知全能ではないのでしょう。

>先生のノートを見たら30年ぐらい前のノートを見てやっているんです。>  大学進学率が5%とか10%のときはそれでもよかった。 >しかし今はそうではない。>なのに教育は30年前50年前の教育をやっている。

学問は、商品開発とは同じにはならないでしょう。

>大学は基礎研究、基礎の知識を教えるんだと言う。

そうですね。大学は、基礎研究ですね。商品開発 (応用研究) ではないですね。

>でもそんなのはスマホで調べたら全部わかります。>そんなことを教えて、社会に出してどうするんですか。

スマホでわかることを、わざわざ大学で研究することもないでしょう。そんなことが、成り立つはずもない。教授は、即刻廃業ですね。

>  教育は教えるだけではなくて、人間を育てるということなんです。

そうですね。’考える人’ を育てることですね。

>  しかし、これでは受け入れ側の企業は一から全部教えないといけない。

企業に必要なことは、企業が教えると良いでしょう。

>京大や東大を出たといっても英語を話せない。

英語が話せないのは、困ったものですね。対話・議論が出来ないのでは、知識人としては成り立ちませんね。

>経済学部を出ても、決算を組めるのかといったらできない。>専門用語もわからない。>名刺の出し方もわからない。

細かいことはともかくとして、各人が大学で個性を伸ばすことが必要ですね。

>  京都先端科学大は、2025年までには関関同立を抜く。>これはおそらく前倒しです。>そして2030年に京大を抜く。>偏差値ランキングではなくて、世界大学ランキングで抜きます。

そうですね。世界大学ランキングが大切ですね。

>そう言うと笑われますけどね。>いいんです。>笑ってもらったほうが成功します。>1973年に従業員3人で自宅でつくった会社が、46年間で14万人の世界ナンバーワンの会社になったんですから。

それは、大成功ですね。

>  偏差値とブランド主義を打破する。

そうですね。完全打破ですね。偏差値とブランド主義は、序列思考の成れの果てですね。
日本語には、階称 (言葉遣い) というものがある。’上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断ができなければ、日本語の日常会話にも差し支える状態になっている。また、日本人の礼儀作法は、序列作法になっている。だから、世俗的上下判断ができなければ、礼儀正しい日本人にもなれない。序列なきところに、礼儀なし。外国に出かけたら、そういう状態になる。
‘人を見損なってはいけない’ という想いが強迫観念の域に達していて、日本人は気疲れのする生活を送っている。だから、序列の存在を確認すると、一途に価値のあるものと思い込む。そして、ものの真価を考える習慣を失っている。これが、日本人の陋習である。巧言令色鮮し仁 (こうげん れいしょく すくなしじん: 巧みな言葉を用い、表情をとりつくろって人の気にいられようとする者には、仁の心が欠けている。: 論語 学而)

>大学の目標もはっきりしている。>偏差値をあげて上にあがるんじゃないですよ。

そうですね。序列思考の次元の問題ではないですね。

>本当に役に立つ人たちをつくりあげるということです。

そうですね。個性を伸ばすことが大切ですね。

>※※※引用、以上※※※


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夢を持て

2019-08-28 11:22:25 | 教育

>348859 「夢を持て」と強要する、大人たちがダメすぎる >ABC豆 ( 23 会社員 ) 19/08/27 PM09
>よく学校では「将来の夢」についての宿題が出ます。>夢というと聞こえは良いですが、それによって大人は子供を縛り付けていないか?

そうですね。とりとめもないことを書くことになりますね。

>本来、子供の将来の為に必要なのは「夢」を持つことを強要することでなく、今の社会をより深く知り何が求められている能力なのかを掴み取っていく力ではないか?と考えさせられます。

世界観があれば、未来社会の建設を夢見ることもできますがね。

> 以下引用抜粋
> ======================
> 「夢」という言葉は多くの大人にとって、大切な言葉として扱われています。

現 (うつつ) は現実、夢・幻の内容は非現実ですね。

>教育機関に従事する先生にも、子どもには夢が必要と考える方がたくさんいます。

皆が、’いつでも夢を’ と歌うのは、夢・幻の事でしょうね。その内容が定かではない。

>しかし、これを「夢の押し付け」になっていることが少なくありません。

夢という言葉の一人歩きでしょうね。

>子ども側からすれば、「勉強しなさい」という言葉同様、「夢を持ちなさい」という命令に聞こえ、大きなお世話になってしまうこともあるでしょう。

それは、そうですね。命令ですね。

>ひどい場合には、“ドリームハラスメント”に近い場合すらあります。 (略)
>やる気になれる要因の1つに「夢を持つ」というのがあります。

夢の内容は、未来時制の文章内容なりますから作文が難しいですね。
日本人の夢は、夢・幻の類とみなされていて、辻褄の合わない内容になっていても不思議ではありませんね。夢は見ることはできても、触れることのできないものですからね。現実離れがしていますね。

>しかし、この「夢」という言葉はとても曲者(くせもの)で、大人は夢を持つ子どもを、それこそ夢見ているのです。

大人の ‘夢・幻’ のようなものですね。

>そうするとややこしいことが起こります。>それは、夢を持っていない子に「大丈夫か?」と感じてしまうことです。

夢・幻の内容を話す人たちは、話の内容にうつつ (現) を抜かすことになりますね。現実直視ができていない。浮いた話になる。

>そして夢を持たせようとあれこれ画策することすらあります。>すると、これは強制されて持った「まやかしの夢」であり、本当の夢ではないのです。>つまり、夢を言わなければならないから言った夢なのです。>こういう背景もあるということを大人は知るべきでしょう。

そうですね。夢・幻の話は、むなしい限りですね。

>例えば、家庭が医者一家であった場合、「お前も医者になるんだぞ」ということでレールを敷いていくことがあります。>開業医ができれば家業を継いでもらいたいと思うのは当然で、そのような“計画”を作ることはあるでしょう。

夢の計画ですね。

>しかし、子どもが医者になることを嫌がり、仕方なしに親の言われるまま進んだ場合に、悲劇になる場合があります。>そうやって現在、仕方なしに医者をしている方から何通も相談メールをいただき、「自分はやりたくない医者になるように育てられたけど、自分の子どもにはそうさせたくない」という方もいました。

世襲制度の弊害ですね。

> 中略
>このように、夢を持っていないことに不安を感じることで、夢を強制させるケースがある一方で、夢を潰していくというケースもあります。

未来の内容創作は、日本人には難しいですね。それは、日本語に未来時制がないからです。未来の内容を確たる文章にすることができません。

>とくに教育に従事されている方々は、子どもが自身の才能や能力を自然と自覚できるような場づくり、家庭においてはプラス・マイナス含めたさまざまな経験、体験から子どもの長所を見てあげるといいでしょう。

子供の長所を見つけて、教育従事者はそれを伸ばす必要がありますね。

>それがやがて、子どもの本物の夢につながっていくことでしょう。

アメリカのキング牧師は、’私は、夢を持っている’ (I have a dream.) と言った。その夢の内容は、’いつの日にか、この国が立ち上がりその建国の信条の本当の意味と共に存続するようになること’ です。(One day this nation will rise up and live out the true meaning of its creed.)
原文の夢の内容は、未来時制 (非現実) の文章内容になっていますね。日本語訳の ’立ち上がり、共に存続するようになる’ は、現在時制 (非現実) ですかね。それとも、非現実の内容は、日本語にはないのですかね。日本語訳は、絵空事になるのか。いずれにしても、日本人には親近感の無い内容ですね。
> ======================
> 参考引用:東洋経済ONLINE 「「夢を持て」と強要する、大人たちがダメすぎる」 より
>リンク



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主体と強制

2019-08-27 15:55:49 | 社会
>348836 歴史に学び、仕事観を立て直す2  >山澤貴志 ( 54 鹿児島 ITコンサル ) 19/08/26 PM11 【印刷用へ】
>4. 仕事を「主体的に楽しむ」のではなく、仕事に「強制感」を感じてしまうのは何故か?
>にもかかわらず、私たちが、仕事を「主体的に楽しむ」のではなく、仕事に「強制感」を感じてしまうのは何故か?

日本人には意思がないからでしょう。
意思は、未来時制の文章内容である。日本語の文法には時制というものがないので、日本語の脳裏には未来時制もない。だから、日本人には意思がない。
自己の意思に基づく行為は、主体的であり楽しみを伴う。しかし、無意志の行為には、強制力を感じてしまう。

> 「追求充足」によって、極限的な生存圧力を克服した人類は、次第に集団規模を大きくし、ついには集団と集団が縄張りを接して同居する緊張状態を生み出していく。>そこで当初は贈与関係を構築することで、この緊張状態を緩和させていたが、5500年前、中央アジア地域が乾燥化したのをきっかけに、略奪闘争が勃発し、武力支配の時代に突入。 >戦闘集団の勝ち抜き戦を通じて、勝った者たちは財を独り占めし、負けた者たちは、自分たちの集団も土地も生産財も奪われて、勝ったものに服従し、奴隷として働くしかないという社会ができあがる。>その後、貨幣の登場によって、武力支配社会は、資力支配社会へと転換したが、私権(土地やお金)を手に入れない限り生きていけないという、「私権の強制圧力」が働いているという本質は同じである。>つまり仕事が「主体的に楽しむ」ものから、「強制感」を伴うものに転換したのは、世の中が「いやも応もない私権の強制圧力によって支配される社会」に転換したからである。

それもあるでしょうね。

> 5. 貧困の圧力の消失によって、もはや「私権の強制圧力」は無効。
>しかし、貧困の圧力が働いていればこそ、人々は私権の強制圧力に従うしかなかったが、現在では既に貧困圧力は克服。>とりわけ日本は市場縮小を上回る勢いで人口が減少しており、仕事をえり好みしたり、豪華な生活を求めなければ、生きていくために必要な仕事はそれほど過酷なものではない。

そうですね。

>むしろ、企業間のまっとうな評価競争圧力の下で、「仕事の質を巡る創造競争」の時代に突入しており、「追求充足」を活力源として、「仕事を主体的に楽しむ」基盤は既に整っている。

無意志の状態を続けていれば、仕事を主体的に楽しむことも難しいでしょうね。

> 6. 日本における「仕事=奴隷労働」の歴史は非常に短い。
> 本来、縄文人が宿していた「追求充足」の回路を全開にすれば、日本人が本当の意味での「労働の解放」を手に入れることは可能だ。>実際に江戸が繁栄したのは、江戸の日本人が縄文以来の「追求充足」の回路を全開にして、日本独自の市場経済を生み出したからに他ならない。>そしてそれが可能だったのは、略奪戦争が勃発した中央アジアから最も離れた、東海の島国であったこと、そして大陸から渡来してきた支配階級もその多くが負け組であり、彼らは日本を本格的な武力闘争で支配したのではなく、彼らの持つ稲作や製鉄などの技術力を持ってリーダーに担がれたからである。

我が国への技術導入の時期ですね。

>そのため中央集権的な制度は必ず形骸化し、土着の共同体社会が残存し続けた。>田植え歌や田植えにまつわる祭事が持つおおらかさは、日本社会には「奴隷労働観」はほぼ定着することなく、仲間とともに、追求充足を楽しむ仕事観が絶えることなく引き継がれたことを証明している。> 百姓一揆すら最近の研究では江戸時代は少なく、農民の反乱が生じたのは、明治以降、農村が商品作物を作り、その結果、飢饉に巻き込まれるようになってからだ。324191  337689  >つまり日本における「仕事=奴隷労働」の歴史は非常に短い。

そうですね。しかし、わが国における家畜・社畜の存在は、見逃すことができませんね。

>それは都市部においては明治末期頃からあっただろうが、地方の農民まで、「お金儲けしなくては生きていけない」となったのは、戦後、農地改革とともに、農村共同体が解体されてからであろう。>しかし、市場は縮小過程に入り、いざという時でも生きていける農民に比べれば、都会のサラリーマンは根無し草で、住まいを手に入れるにすらヒーヒーいっている。>何を好き好んで、サラリーマンという強制労働を選ぶのか?と疑問に思い、人々が農村回帰を強めているのは必然であろう。 >と同時に、世界中でも最も社員の活力が低いのも、私権社会・強制労働の歴史が短く、「私権の獲得なしには生きていけない」という切迫性や内在的な必然性が弱いからだ。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。意思の無い人は、仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。それで、精神修養の必要性を思い付く人も少なくない。
'敗因について一言いはしてくれ。我が国人が あまりの皇国を信じ過ぎて 英米をあなどつたことである。我が軍人は 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたことである'  (昭和天皇)

>日本は「金儲けのために働くという観念」と「追求充足を得たいという潜在思念」の間に断層を孕んでいる。>このままでは日本は活力衰弱から滅亡の道を歩むしかないが、旧観念を打破し、潜在思念を解放することができれば、「豊かさの実現、市場縮小社会」を突破するトップランナーになりうる可能性も秘めているのだ。

そうですね。旧観念の打破と潜在思念の解放は、どのようにして成し遂げられるのでしょうかね。

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古賀メロディー

2019-08-27 06:10:21 | 言語
日本人には、意思がない。
意思 (will) は、未来時制の文章内容である。日本語の文法には、時制 (tense) というものがない。だから、日本語の脳裏には未来時制は無く、日本人には意思がない。それで、日本人には能動がなくて、受動ばかりがある。自主性がなくて、後追いばかりがある。
すると、労働には、’ねぎらい’ と ‘励まし’ が必要になる。日本人は常に ’お疲れ様’ 、’頑張って’ と言い合っている。この心境は、牛馬も日本人も同じである。家畜も社畜も同じである。自己の意思の表明がない暮らしは苦役になり、短調の曲のような雰囲気になる。それは、暗い。古賀メロディーのようなものか。彼の曲は、日本人の心に深く食い込んでいる。
アメリカ生まれは日系二世のALT (外国語指導助手) のS 先生に日本語の ‘頑張って’ の意味を尋ねてみると、’Good luck!’ (うまくやれ) とか ‘Take it easy.’ (気楽にやれ) だという。 彼女は、毎日日本人の中に暮らしていても、日本人の気持ちは伝わらない。

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当事者

2019-08-25 22:33:05 | 教育

>168544 誰もが当事者になれる次代へ!  >川井孝浩 HP ( 34 設計 ) 08/01/06 AM01 【印刷用へ】 >ネットサロンへの初参加、お疲れ様でした!
> < おそらく、今はテレビや新聞といったマスコミの意見を一方的に聞かされてばかりで「自分の頭で考える事」が少なかったのかなと気づかされました。 168521

そうですね。生徒に自主性を持たせずに押し込むように教えることが多かったですね。

>この気付きは、とても大きな前進だと想います。

そうですね。アクティブ・ラーニングの始まりですね。

>これまでは生存圧力の元で、私権の強制圧力とそれを制御する序列原理によって頭を押さえつけられて来たお陰で、自ら考え、発信する事すら封じ込められていた訳ですから。

そうですね。序列に従って受信ばかりをしていましたね。

> 考えてみれば、生存圧力というものも、黙っていても向うから迫ってくる外圧であり、頭を使うこと以上に本能的に、あるいは反射的に反応(適応)するのが精一杯だったとも言えます。

そうですね。我々は、長い間食うのに追われていましたね。

>そして、貧困の消滅(生存圧力の消滅)以降も、その名残で一方的に与えられるものにだけしか反応できない現代人が大量生産されてきたのが実態なのでしょう。

思考停止の状態ですからね。他人の受け売りしかできない人たちでしたね。

>しかし、外圧状況が大きく変わってしまった現代となっては、その受身な日常でただひたすら消費を繰り返すだけの毎日に違和感を感じ始める事も当然です。

そうですね。日本人には、意思がない。だから、能動がなくて、受動ばかりになっています。何か違和感がありますね。

>日々与え続けられる娯楽に埋没していたところで、なんの充足も得られない上に、不適応体として活力衰弱していくばかり。

それは、人生の目的を見失っているからではありませんか。

>そこで認識転換し、自ら頭を使って考える事の可能性に気付けば、大きく状況は変わっていきます。

そうですね。我々には、気づきが必要ですね。
非現実 (考え) の内容は、頭の中にある。それは、見ることができない。ただの話である。その話の内容を理解するには、文法に従って文章内容を理解しなくてはならない。
全ての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。
矛盾を含まない文章は、全て正しい考えを示している。だから、正解は、一つではない。考えの内容は、人様々である。だから、正解はいくらでもある。
矛盾を含む文章も、その矛盾を取り除けば、正しい考えを表す文章になる。正しい考えを得るためには、対話・議論が役に立つ。 

>今度は自らが外圧となり、当事者として、そして答えの供給者として人々に活力を与える側へと一気に転換していけるんだから!

各人に哲学は、必要である。Everyone needs a philosophy. 他人に教えを垂れることは、やめにしましょうよ。また、元の道に戻ります。

> 実現論の〆の言葉に、次の一文があります。>jig:040707  >> 現に、彼ら電源の切れかかったロボットたちは、何もしようとせず、ただ廃棄処分される日をじっと待っているだけではないか。>>それが嫌なら、考えればいい、立ち上がればいい。

そうですね。でも、そう簡単にできることでしょうかね。

>>共認闘争は、新たな活力源として、人類が待ち望むところである。> 私達は、家畜でもなければ、ロボットでもない。>紛れも無く、この社会を形成している当事者に他ならない。

そうですね。自己の意思を示せば、当事者・関係者になる。示さなければ傍観者にとどまる。
日本人には、意思がない。意思 (will) は、未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には、時制 (tense) というものがない。だから、日本語の脳裏には未来時制は存在せず、日本人には意思がない。

>その事を肝に銘じて、是非とも頭(新認識)をフル稼働させて活きましょう!

そうですね。頭をフル稼働させる為には、その前に解決すべき問題が色々ありますね。
我々日本人は、日本語と英語の両言語を良く学び、時制の大切さを十分に深く理解しなくてはなりませんね。さすれば、自己の意思と世界観を文章にすることが可能になります。
このようにして、相手の理解を通して信頼を得ることが可能になります。未来社会の構想を明らかにして、その建設計画に協力者を得て、人類の進歩に貢献をすることができます。
英米人は、日本語で話す時でも、日本語思考に特有な閉塞感に襲われることはありません。それは、英語として別に考え方を持っているからです。我々は、英米人の考え方を見習うべきです。彼らは、英語の勉強をしても ‘ただの人’ になるばかりです。しかし、我々の英語は違います。日本人に正しい考え方を教え、外国人に日本人特有な長所を論理的に説明することができます。ですから、我々にとって英語の勉強は、宝の山を探検するようなものになるでしょう。ぜひ、知的な英語を話すように努めましょう。


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