聖書のはなし ある長老派系キリスト教会礼拝の説教原稿

「聖書って、おもしろい!」「ナルホド!」と思ってもらえたら、「しめた!」

ニュー・シティ・カテキズム6 2019/11/17 申命記10章12節~11章1節「神が備えてくださる人生」

2019-11-17 16:43:17 | ニュー・シティ・カテキズム
2019/11/17 申命記10章12節~11章1節「神が備えてくださる人生」
ニュー・シティ・カテキズム6

 夕拝は、ニュー・シティ・カテキズムに沿ってお話しをしています。問4で私たちは、
神は私たちを、なぜ、どのように創造されましたか? 神は私たちを神ご自身のかたちとして男性と女性とに造られ、神を知り、愛し、共に生き、栄光を表す為に造られました。神に造られた私たちが神の栄光を表わす為に生きる事は正しい事です。
と学びました。私たちは、神の栄光を現すために造られたのです。神の栄光を現すこと。それが人間の目的であり、私たち全員の人生の目的なのです。しかし、神の栄光を現すなんて、どうすれば出来るのでしょうか? そこで今日の問6を見ていきましょう。
第六問 私たちはどのようにして神の栄光を表すことが出来ますか?
答 私たちは神を喜び、愛し、信じ、神の御心と命令と律法に従うことによって神の栄光を表わします。
 これが神の栄光を現す生き方です。よく、この前半を飛ばしていることがあります。神の御心と命令と律法に従う。聖書の言葉をきっちり行う。それが神の求める要求だ。そう思い込んで、真面目に厳しく生きている人がいます。でも、そういう規則を守ることを神が求めている、という以前に、ここが大事なのです。神を喜び、神を愛し、神を信じる。それが、神の栄光を現すことに欠かせないのです。なぜなら、神は私たちを喜んで創造し、私たちを愛し、私たちが信頼するに足るお方だからです。申命記でも、
10:12イスラエルよ。今、あなたの神、主が、あなたに求めておられることは何か。それは、ただあなたの神、主を恐れ、主のすべての道に歩み、主を愛し、心を尽くし、いのちを尽くしてあなたの神、主に仕え、13あなたの幸せのために私が今日あなたに命じる、主の命令と掟を守ることである。
 ここにも、神が求めておられる事が、主を心から恐れ、主を愛し、心を尽くして、いのちを尽くしてあなたの神、主に仕えることだ、と言われています。心はどこかに置いたまま、蓋をしたまま、神の命令の字面だけを行う。そんな服従は神が願っていることではないのです。強制的に服従を要求する神では決してない。それを聴いて、ホッとします。でも、神を喜び、神を愛し、神を信じる方が実はもっと難しいのだとも思います。神を愛し、神を喜べ、と言われても出来ることではありません。神を愛したいと思ってもどうすればいいのでしょうか。実は、その事も聖書には丁寧に書かれています。
14見よ。天と、もろもろの天の天、地とそこにあるすべてのものは、あなたの神、主のものである。15主はただあなたの父祖たちを慕って、彼らを愛された。そのため彼らの後の子孫であるあなたがたを、あらゆる民の中から選ばれた。…
 神が天と地を造られた方、すべては神のもの。そして、その中に住む人を愛し、選び、聖書の物語が始まって行きました。今、私たちがここにあるのは、神が私たちを造られたからです。神の言葉は、細い橋のように思えるかもしれません。しかし実は、この細い橋だけでなく、こういう世界全体を造り、治め、この先にある世界も用意されているのが神なのです。私たちは、神がどれほど偉大で、私たちのすべてと関わっているかをまず知らなければなりません。神を知れば知るほど、私たちは神を喜び、愛し、信じずにはおれません。まず神が私たちを喜び、私を愛しておられると知るからです。
 また、聖書を通して更に気づかされるのは、神の私たちに対する恵みです。神の主権性と、神の善さ。その間に私たちはいます。神が宇宙よりも偉大な、大いなるお方であり、私たち一人一人に最も近く、どんな時も愛し、支えてくださる。それを知ることが、私たちの生き方になるのです。神のために何かしなくちゃ、ではなく、主を心から信頼して、喜びに溢れて、神を賛美し、神様の言葉に従っていこう、と思うようになります。その心から信頼があって、初めて私たちが本当の意味で神の戒めを行う事も出来るのです。神が求めているのも、私たちがますます神を知って、主に心を向けることです。
16あなたがたは心の包皮に割礼を施しなさい。…
 心を包む皮を取り除きなさい。私たちは心を隠します。心を人に開くことは、恐る恐るします。心を守り、見せないでいたいです。でも、神は私たちに、心を開きなさい、心を隠している覆いを取りなさい、と求めます。それは、私たちが主を知る時に、伴って始まる在り方の一つです。神を怖がったり、嫌々従ったり、うわべだけで賛美したりするのではない、深い深い安心した関係なのです。そういう神の偉大さと善さを知る時に、私たちは、心から神の栄光を現す生き方が出来る。何かをすることで神の栄光を現す、というのではありません。私たちが神を知り、神を喜び、神を愛し、信頼するようになり、神の律法に従って生きる。そして、それが他の人をも愛し、ともに生きていく生き方になる。そのこと自体が、神の栄光を現す、という意味なのです。

大事を成そうとして力を与えてほしいと神に求めたのに
慎み深く、従順であるようにと弱さを授かった

より偉大なことができるように健康を求めたのに
よりよきことができるようにと病弱を与えられた

幸せになろうとして富を求めたのに
賢明であるようにと貧困を授かった

世の人々の賞賛を得ようとして権力を求めたのに
神の前にひざまずくようにと弱さを授かった

人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに
あらゆることを喜べるように命を授かった

求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞きとどけられた

神の意にそわぬ者であるにもかかわらず
心の中の言い表せない祈りはすべてかなえられた
私はあらゆる人の中で最も豊かに祝福されたのだ

 大きなことが神の栄光を現すのではありません。小さなことを大事にし、弱さや命を喜ぶことが神の栄光なのです。何より、私が神の栄光を現すために造られたなんて、素晴らしいことです。神は私たちを通して、必ず栄光を現されます。だから私たちは、喜んで、御名を崇め、心を開いて正直に、ともに仕え合い、ともに歩んで行くのです。



「恵み深い主よ。私たちはあなたを完全に知り、喜ぶようになりたいのです。私たちの目を開いてあなたがどんなお方であるか、そのままに、よく知ることが出来るようにしてください。それによって、私たちがますますあなたに信頼し、私たちのすべてをもってあなたの戒めを守ることが出来ますように。小さな親切であれ、大きな勇敢さであれ、どんな従順のわざを通しても、あなたの栄光を現させてください」
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