[1] 四日市キリスト教会「一書説教 ミカ書6章6~8節 主の求めていること」
聖書プロジェクト「ミカ書」
[2] 1:1「ユダの王ヨタム[前750-732]、アハズ[743-716]、ヒゼキヤ[729-687]の時代に、サマリアとエルサレムについて見た幻」南ユダから、サマリアとユダとの問題を預言して責めた。
[3] このペリシテとの境界にあったのが、ミカの出身地モレシェテでした。「モレシェテ ペリシテと国教を接するシェフェーラーと呼ばれる低地にある…エルサレムの南西30-40kmほどの所にある。(『バイブルnavi』947頁)」
[4] ミカ書に上げられる罪状は、詐欺(2:2)、盗み(2:8)、貪り(2:9)、放蕩(2:11)、圧政(3:3)、偽善(3:4)、異端(3:5)、不正(3:9)、恐喝や嘘(6:12)、殺人(7:2)など。
[5] アッシリアについては、5:5「平和は次のようにして来る。アッシリアが私たちの国に来て、私たちの宮殿を踏みにじるとき、私たちはこれに対抗して七人の牧者、八人の指導者を立てる。6彼らはアッシリアの地を剣で、ニムロデの地を抜き身の剣で飼いならす。アッシリアが私たちの国に来て、私たちの領土に踏み込んで来るとき、彼は、私たちをアッシリアから救い出す。」、また、7:12「その日、アッシリアとエジプトの町々から、エジプトから大河まで、海から海まで、山から山まで、あなたのところに人々がやって来る。」。バビロンについては、4:10「娘シオンよ。子を産む女のように、身もだえして、もがき回れ。今、あなたは町を出て野に宿り、バビロンまで行く。そこで、あなたは助け出される。そこで、主があなたを敵の手から贖い出される。」
[6] 一〇〇年後のエレミヤ書では、ミカの名前が遡って言及されます。エレミヤ書26:18 「かつてモレシェテ人ミカも、ユダの王ヒゼキヤの時代に預言して、ユダの民全体にこう語ったことがある。万軍の主はこう言われる。シオンは畑のように耕され、エルサレムは瓦礫の山となり、神殿の山は木々におおわれた丘となる。19そのとき、ユダの王ヒゼキヤとユダのすべては彼を殺しただろうか。ヒゼキヤが主を恐れ、主に願ったので、主も彼らに語ったわざわいを思い直されたではないか。ところが、私たちはわが身に大きなわざわいを招こうとしている。」
[7] ヘブル語「シムウー」。1:2(すべての民族よ、聞け。地とそこに満ちているものたちよ、耳を傾けよ。神である主は、あなたがたのうちで証人となり、主はその聖なる宮から来て証人となられる。)、3:1(私は言った。「聞け。ヤコブのかしらたち、イスラエルの家の首領たち。あなたがたは公正を知っているはずではないか。)、3:9(これを聞け。ヤコブの家のかしらたち、イスラエルの家の首領たち。あなたがたは公正を忌み嫌い、あらゆる正しいことを曲げている。)、6:1(さあ、主の言われることを聞け。立ち上がれ。山々に訴えよ。もろもろの丘にあなたの声を聞かせよ。2山々よ、聞け。主の訴えを。変わることのない地の基よ。主がご自分の民を訴え、イスラエルと論争される。)、6:9(主の御声が都に向かって叫ぶ。──あなたの御名を恐れることは英知だ──「聞け、杖のことを。だれがその都を指定したのか。)
[8] アウトライン:
1~2章 サマリアの荒廃とエルサレムへの警告 2:12~13 回復の希望
3~4章 エルサレムに対する神のさばき 4:1~7 シオンの回復
4:8-5:14 アッシリア、バビロン捕囚、回復
6-7章 不正な経済システム 7:8-20 確かな救いの希望と懇願
[9] 4:6 「その日──主のことば──わたしは足を引きずる者を集め、追いやられた者、また、わたしが苦しめた者を呼び集める。7わたしは足を引きずる者を、残りの者とし、遠くへ移された者を、強い国民とする。主であるわたしが、シオンの山で、今よりとこしえまで、彼らの王となる。8あなたは、羊の群れのやぐら、娘シオンの丘。あなたには、あのかつての主権、娘エルサレムの王国が戻って来る。」
[10] 2:12「ヤコブよ。わたしは、あなたを必ずみな集め、イスラエルの残りの者を必ず呼び集める。わたしは彼らを、囲いの中の羊のように、牧場の中の群れのように、一つに集める。こうして、人々のざわめきが起こる。13打ち破る者は彼らの先頭に立って上って行く。彼らは門を打ち破って進み、そこを出て行く。彼らの王が彼らの前を、主が彼らの先頭を進む。」
[11] 4:1-7「その終わりの日、主の家の山は、山々のかしらとして堅く立ち、もろもろの丘よりも高くそびえ立つ。そこへもろもろの民が流れて来る。2多くの国々が来て言う。「さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を私たちに教えてくださる。私たちはその道筋を進もう。」それは、シオンからみおしえが、エルサレムから主のことばが出るからだ。3主は多くの民族の間をさばき、遠く離れた強い国々に判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍を鎌に打ち直す。国は国に向かって剣を上げず、もう戦うことを学ばない。4彼らはみな、それぞれ自分のぶどうの木の下や、いちじくの木の下に座るようになり、彼らを脅かす者はいない。まことに万軍の主の御口が告げる。5まことに、すべての民族は、それぞれ自分たちの神の名によって歩む。しかし、私たちは、世々限りなく、私たちの神、主の御名によって歩む。6「その日──主のことば──わたしは足を引きずる者を集め、追いやられた者、また、わたしが苦しめた者を呼び集める。7わたしは足を引きずる者を、残りの者とし、遠くへ移された者を、強い国民とする。主であるわたしが、シオンの山で、今よりとこしえまで、彼らの王となる。」 この1~3節は、イザヤ書2章3~4節と酷似しています。同時代ゆえ、影響があったと思われます。どちらが先か、は諸議論あり断定できません。
[12] この言葉は、更に続く7節まででも「彼は」と繋がって、具体化されています。5:3「それゆえ、彼らはそのままにしておかれる。産婦が子を産む時まで。そのとき、彼の兄弟のほかの者はイスラエルの子らのもとに帰る。4彼は立って、主の力と、彼の神、主の御名の威光によって群れを飼う。そして彼は安らかに住まう。今や彼の威力が、地の果ての果てにまで及ぶからだ。5平和は次のようにして来る。アッシリアが私たちの国に来て、私たちの宮殿を踏みにじるとき、私たちはこれに対抗して七人の牧者、八人の指導者を立てる。」 また、ミカ書がここまで語ってきた、とこしえの王の約束ともつながっています。4:7(わたしは足を引きずる者を、残りの者とし、遠くへ移された者を、強い国民とする。主であるわたしが、シオンの山で、今よりとこしえまで、彼らの王となる。8あなたは、羊の群れのやぐら、娘シオンの丘。あなたには、あのかつての主権、娘エルサレムの王国が戻って来る。」)、
5:6 彼らはアッシリアの地を剣で、ニムロデの地を抜き身の剣で飼いならす。アッシリアが私たちの国に来て、私たちの領土に踏み込んで来るとき、彼は、私たちをアッシリアから救い出す。
[13] 7:7 しかし、私は主を仰ぎ見、私の救いの神を待ち望む。私の神は私の言うことを聞いてくださる。8私の敵よ、私のことで喜ぶな。私は倒れても起き上がる。私は闇の中に座しても、主が私の光だ。9私は主の激しい怒りを身に受けている。私が主の前に罪ある者だからだ。しかし、それは、主が私の訴えを取り上げ、私を正しくさばいてくださるまでだ。主は私を光に連れ出してくださる。私は、その義を見る。10私の敵はこれを見て恥におおわれる。彼らは、私に向かって「あなたの神、主は、どこにいるのか」と言った者たちだ。私の目は、確かに見る。今に、敵は道の泥のように踏みつけられる。
[15] 英語聖書は、主なものはどれも、「深みに投げ込んでください」と祈願ではなく、「投げ込んでくださいます」と終止形で訳しています。聖書協会共同訳も「主は私たちを再び憐れみ/私たちの過ちを不問にされる。/あなたは私たちの罪をことごとく/海の深みに投げ込まれる。」と終止形です。
[16] ミカ 誰が(ミー)あなたのよう(キー)主よ(ヤハ) 7:18
[17] ミカ書6章6~8節「何をもって、私は主の前に進み行き、いと高き神の前にひれ伏そうか。全焼ささげ物、一歳の子牛をもって御前に進み行くべきだろうか。7主は幾千の雄羊、幾万の油を喜ばれるだろうか。私の背きのために、私の長子を、私のたましいの罪のために、胎の実を献げるべきだろうか。8主はあなたに告げられた。人よ、何が良いことなのか、主があなたに何を求めておられるのかを。それは、ただ公正を行い、誠実を愛し、へりくだって、あなたの神とともに歩むことではないか。」 この言葉自体が、過去の「こうすべき」だった規準ではなく、現在も、将来も、変わらず求められている生き方であることに注意。散々、神の正義に反して生きている民に告げられた言葉である。彼らにはもう希望がないのではないこと、そして、彼らの「救い」とは滅びからの救い以上に、御心に生きることそのものである。
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