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[1] 不定期に続けています聖書の「一書説教」は、原則「みことばの光」の聖書通読表を参考にしていますが(http://www.sujp.org/SUpage.html)、今月はすでにお話しした歴代誌第二とローマ書、10月も既出のローマ書です。オバデヤ書は12月に予定されていますが、なにしろ短い書ですので、以前にスルーした書でもありますので、今月はオバデヤ書を取り上げます。他の資料として、聖書プロジェクト オバデヤ書、平和台恵み教会 聖書66巻 オバデヤ書 尾張小牧教会「思いあがってはならない」オバデヤ書もご覧ください。
[2] 「オバデヤ」という名前は旧約聖書に延べ13名でてきますが、その誰ともこの預言書の著者を同一視することは困難です。いっそ象徴的な名前だ、イスラエル民族のことだ、とする説さえあります。
[3] 11~14節はいつか? ①レハブアム王治下、エジプト王シシャクによるもの(Ⅰ列王14:25-26)、②ヨラム王治下、ペリシテ人及びアラビア人によるもの(Ⅱ歴代21:16-17、参照Ⅱ列王8:20)、③ユダのヨアシュ王治下、アラム王ハザエルによるもの(Ⅱ列王12:17-18、Ⅱ歴代24:23-24)、④ユダのアマツヤ王治下、イスラエル王ヨアシュによるもの(Ⅱ列王14:13-14)、⑤アハズ王治下、アラムとイスラエル、ペリシテ、エドムによるもの(Ⅱ歴代28:5-18)、⑥前605-586年のネブカドネザル王によるもの(Ⅱ列王24:1以下)。②と⑥が最有力。②の場合、紀元前850年頃、⑥の場合、前586年頃。
[4] 創世記25章19節から、二人が母の胎にいる時の出来事に始まる、長い確執が綴られています。
[5] 民数記20章14節以下。
[6] 申命記23章7節「あなたはエドム人を忌み嫌ってはならない。これはあなたの兄弟だからである。エジプト人を忌み嫌ってはならない。あなたはその地で寄留者だったからである。」、また、Ⅱ列王3章9節「こうして、イスラエルの王は、ユダの王とエドムの王と一緒に出かけたが、七日間も回り道をしたので、陣営の者と、後について来る動物たちのための水がなくなった。」
[7] Ⅱサムエル記8章14節「彼はエドムに守備隊を、エドム全土に守備隊を置いた。こうして、全エドムはダビデのしもべとなった。主は、ダビデの行く先々で、彼に勝利を与えられた。」
[8] Ⅱ列王8章20~22節「ヨラムの時代に、エドムが背いてユダの支配から脱し、自分たちの上に王を立てた。21ヨラムは、すべての戦車を率いてツァイルへ渡って行き、夜襲を試みて、彼を包囲していたエドムと戦車隊長たちを討った。ところが、ヨラムの兵たちは自分たちの天幕に逃げ帰った。22エドムは背いてユダの支配から脱した。今日もそうである。リブナもそのときに背こうとした。」、14章7節「アマツヤは塩の谷で一万人のエドム人を討って、セラを取り、その場所をヨクテエルと呼んだ。今日もそうである。」、Ⅱ歴代誌28章17節「エドム人も再び攻めて来て、ユダを打ち、捕虜を捕らえて行った。」
[9] Ⅰ列王記11章14節「こうして主は、ソロモンに敵対する者としてエドム人ハダドを起こされた。彼はエドムの王の子孫であった。」
[10] オバデヤ書4節「鷲のように高く上っても、星々の間に巣を作っても、わたしは、おまえをそこから引きずり降ろす。――主のことば。」
[11] 「…おまえもまた、彼らのうちの一人のようであった。」
[12] 「日」が、12節(*2)、13節(*3)、14節、15節と7度も繰り返されています。
[13] 申命記29章22~28節(後の世代、あなたがたの後に起こるあなたがたの子孫や、遠くの地から来る異国人は、その地の災害と、主がそこで起こされた病気を見て言うであろう。23その全土は硫黄と塩によって焼け土となり、種も蒔かれず、芽も出ず、草一本も生えなくなっていて、主が怒りと憤りでくつがえされた、ソドム、ゴモラ、アデマ、ツェボイムの破滅のようなので、24すべての国々は言うであろう。「何のために、主はこの地にこのようなことをされたのか。この激しい燃える怒りは何なのか。」25人々は言うであろう。「それは彼らが、彼らの父祖の神、主が彼らをエジプトの地から導き出したときに結ばれた契約を捨て、26彼らの知らない、また彼らに割り当てられたのでもない、ほかの神々のもとに行って仕え、それらを拝んだからだ。27それで主の怒りがこの地に向かって燃え上がり、この書に記されたすべてののろいが、この地にもたらされたのだ。28主は怒りと憤りと激怒をもって彼らをこの地から根こそぎにし、ほかの地に彼らを投げ捨てられた。今日のとおりに。」)、Ⅰ列王記9章6-9節(もし、あなたがたとあなたがたの子孫が、わたしに背を向けて離れ、あなたがたの前に置いたわたしの命令とわたしの掟を守らずに、行ってほかの神々に仕え、それを拝むなら、7わたしは彼らに与えた地の面からイスラエルを断ち切り、わたしがわたしの名のために聖別した宮をわたしの前から投げ捨てる。イスラエルは、すべての民の間で物笑いの種となり、嘲りの的となる。8この宮は廃墟となり、そのそばを通り過ぎる者はみな驚き恐れてささやき、『何のために、主はこの地とこの宮に、このような仕打ちをされたのだろう』と言う。9人々は、『彼らは、エジプトの地から自分たちの先祖を導き出した彼らの神、主を捨ててほかの神々に頼り、それを拝み、それに仕えた。そのため主はこのすべてのわざわいを彼らに下されたのだ』と言う。」、エレミヤ書2章8-9節「多くの国々の者がこの都のそばを過ぎ、彼らが互いに、『何のために、主はこの大きな都をこのようにしたのだろうか』と言えば、9人々は、『彼らが、自分の髪、主の契約を捨ててほかの神々を拝み、仕えたからだ』と言う。」、など。
[14] 「…そこは聖となり、ヤコブの家は自分の領地を所有するようになる。」
[15] 詩篇137篇7節(主よ 思い出してください。エルサレムの日に「破壊せよ 破壊せよ。その基までも」と言ったエドムの子らを。)、エゼキエル書25章(12~14節)、35章、アモス書1章6-9節、9章11-15節、参照。
[16] イエスを抹殺しようとした王であり、エルサレムの大神殿を建てた建築家でもあります。
[17] マルコ伝3章8節。
[18] 聖書の描くのは、「諸国の民は都の光によって歩み、地の王たちは自分たちの栄光を都に携えて来る。(ヨハネ黙示録21章24節)」――すべての王たちが栄光を自分のものとせず、神の都に携えて来る将来です。
[19] もう一歩踏み込んでいうならば、イエスはシオンの山に上って、イドマヤ人の血を引くヘロデの前に立ったのでした。しかし、イエスはヘロデをさばくより、ヘロデの前で黙ったままでした。そして、ご自身がいのちを捧げることで、神の国を現されたのでした。
[20] 過去の刈り取りは、それ自体がなす。他者が罰を加えることは、報いではない。他者に求められるのは、自分の問題を顧みて、神の国を建て上げていくこと。
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