聖書のはなし ある長老派系キリスト教会礼拝の説教原稿

「聖書って、おもしろい!」「ナルホド!」と思ってもらえたら、「しめた!」

ルカ2章1~7節「救い主がお生まれに」クリスマス礼拝

2018-12-24 06:36:03 | 聖書の物語の全体像

2018/12/23 ルカ2章1~7節「救い主がお生まれに」クリスマス礼拝

 ルカ2章には、イエスが生まれる直前の出来事が記されています。紀元前7年頃です[1]

そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストゥスから出た。

 ローマ帝国の皇帝アウグストゥスは、地中海一帯を統治する絶大な権力を手にしていました。その皇帝が住民登録をしたのは、国の経済と軍事力を知るためです。徴税と徴兵のための基礎資料です。そのために、支配下にある民は有無を言わずに服従して登録をしなければならない。最高権力者である皇帝を頂点とする、ピラミッド型のローマ帝国が浮かび上がってきます。そこから2節で帝国の東のシリア州、3節で命じられるまま移動せざるを得ない人々、4節ではその一人のヨセフ、5節ではお腹の大きな妊婦の妻マリア、とズームインしていきます。この対照的な姿を通して、ローマ帝国の勅令とは全く異なる、主イエスの王の姿が印象づけられます。私たちの王であるイエスは、ローマ皇帝やあらゆる人間の支配者とは全く違う王なのです。

 ひと言で言えば、イエス・キリストは権力の頂点から勅令を出すのとは反対に、底辺に下りて来られます。帝国を見て全員を従わせる王ではなく、最下層の現場にいる一人一人を大事になさる王です。世界の片隅の闇に光を届ける王です。この下りて行く支配が、神の治め方です。最も低い所に来て、ともにいてくださり、喜びを与えてくださるような王です。

 母マリアはイエスを産んだ時、

7布に包んで飼葉桶に寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。

 彼らのいる場所がなかった。イエスの誕生は、王のお生まれだと特別な部屋で迎えられはしませんでした。皇帝なら特別な部屋で大勢の助産師を控えての出産だったでしょう[2]。イエスの場合は違いました。産まれた時、居場所がなく、家畜の餌を入れる飼葉桶に寝かせられたのです。尤(もっと)もそれは、特別惨めで非人道的な扱いだったということではないのかもしれません。貧しい人々はみんなそんな扱いだったのかもしれません。

「宿屋」

が今風の宿泊施設を思うと時代錯誤で、旅人は誰かの家の軒先に泊まるのが御の字で、家畜と一緒に身を寄せ合ったりもしたでしょう。今でも大勢の難民がそんな暮らしをしています。産気づけば片隅でお産をして、産まれた子どもはその辺の飼葉桶か何かに置いた。だとしたら尚更、そうした貧しい庶民と変わらない形で、イエスの生涯はスタートしたのです。自分の場所などない底辺の一人。ローマ皇帝にとっては、気にもかけない庶民。徴税対象の一人にも数えられるかどうかという民衆。しかし、イエスはその一人にまで低くなってくださったのです[3]。そしてそのイエスの誕生が、8節以下で御使いにより「羊飼いたち」に告げられます。

10…「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。11今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。12あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです。」

 実は、この「救い主」「主」とは、当時のローマ皇帝アウグストゥスに帰せられていた称号でした。アウグストゥスという名称自体、ローマを安定させ、繁栄させたことで授けられた、「尊厳者」という称号でした。帝政を嫌ったローマに皇帝として認められ、「ローマの平和(パックス・ロマーナ)」の黄金時代をもたらしたのです[4]。しかし実態は「帝政」、皇帝が支配する階級社会でした。ローマ市民や政治家、富裕層は優遇されて安泰であっても、庶民は重税に苦しみ、植民地には軍隊が駐留して暴行沙汰があり、従わない者、役に立たない者は人間扱いさえされない「平和」でした。それでも皇帝は自分を「救い主」「主」と呼ばせて崇拝をさせていたのです。

 そうした現実を逆手に取って、キリストのお生まれは「福音」「救い主」「主」「平和」だと羊飼いたちに告げられます。あなたがたのための本当の救い主、本当の主が貧しくお生まれになって、平和を下さると告げるのです。「ローマの平和」では眼中になく、統計上の数字としてしか扱われなかった人のためにキリストはお生まれになった[5]。しかし、それはローマ帝国を倒したり、キリストが代わりに皇帝になる、という方法ではありませんでした。イエスがその最も低い所に来られて、人の近くにおいでになった。居場所のない人のひとりになり、その場所に来るものを布に包まれただけの赤ん坊として迎えてくださいました。イエスという王は、居場所がない思いをしている人、生きづらい思いを抱えている人の一人となって、すべての人に語りかけて、喜びや平和のうちに入れてくださいます。イエスはそういう王なのです。

 今年はスポーツ界のパワハラや大企業の巨額な不記載などのニュースが記憶に残っています。有力者とか功績がある人の乱暴な行動が取り上げられるようになりました。そして、そこには組織の上下関係で、下にいるものには監督や先輩には反論がしにくい構図があります。理不尽なことを言われても、従わないのは難しいのです。それは教会の中でも起こり得ることで、起こっていること。聖書の言葉や、神の権威を振りかざして、服従を強いたり、従わないことへの罪悪感を抱かせたりすることは残念ながら、よく起こることです。それは、教会がローマ帝国のような権威の使い方をしてしまうと言い換える事も出来ます。神に従う者は神に祝福され、良い地位をもらい、従わない者、役に立たない者は裁かれて滅ぼされても仕方がない、という考え方です。従う者には恵みを惜しまないので、従っている限りは怖がる必要はないのですが、最終的には従わない者を滅ぼすのが神だろう、という「皇帝」のような神様です。

 イエス・キリストはそうではありませんでした。上から支配するのではなく、ご自身が最も低い所に降りてこられました。人に従うことを求めるよりも、まずご自身から人の方に来てくださいました。権力や剣で脅すのとは逆に、裸の赤ん坊として産まれ、布に包まれて飼葉桶に寝かせてもらう姿で来られました。自分が上に立ち、尊敬や称賛を得ようとはせず、神としての栄誉を捨ててでも、人に近寄りたい、私たちを神の民として回復したいと飛び降りてくださいました。イエスは、権威を笠に着て、人に従うことを強いる王ではなく、まず人を求められ、探して近づかれて、関係を回復してくださる。その上で、心からの信頼を始めてくださいます。

ルカ十九10人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです。」

 主イエスに出会った後も、私たちはしくじったり、疑ったり、間違ったりさ迷ったしてしまいます。その時、私たちの頭には「皇帝」のようなイメージがあって、「もうダメだろう。こんな反逆は赦されなくてもしかたない」と思うかもしれません。しかし、イエスにとって大事なのは、私たち一人一人です。私たちはいつしか「こうあるべき」というキリスト者の理想像を造り上げてしまいます。教会の組織や伝統や秩序を大事にする余り、人にその枠を押しつけてしまいやすい。その権威に従うことが求められているのだと思いがちです。けれども、イエスはまず、このあるがままの私たちを求められるのです。私たちが何度失敗しても、何百回でも私たちを赦し、受け入れてくださいます。私たちとの関係を修復するために、神ご自身が傷つき、辱められ、犠牲を払うことも厭われませんでした。キリストはこの世に来られたのです。

「共同体に対する理想を愛する者は共同体を破壊する。共同体のメンバーを愛する者は共同体を建て上げる。」ディートリヒ・ボンヘファー

 主イエスは、理想的なクリスチャン像や素晴らしい教会を愛されるのでなく、私たち一人一人を愛されます。人に表面的な従順や賛美を求めるのではなく、私たちの心の悲しみや喜びや夢や願いをそのままに受け止めて、そこに光を照らしてくださいます。そして、私たちも互いにそのようなあるがままを喜び、尊び合うようにしてくださいます。この時、私たちのために救い主がお生まれになった。この招きは、帝国の住民登録よりも遥かに素晴らしい勅令です。

「私たちのために来られ、十字架にかかりよみがえられた主よ。あなたの測り知れない犠牲を思い、人知を越えた大きな愛を崇めます。私たちにご自身を与えて、救いと平和が与えられ、私たちは自分をもお互いをも新しく贈り物として受けることが始まりました。どうぞその恵みを踏みにじるような暴力や恐れ、冷たい言葉から救い出してください。闇の中に、光を輝かせてください。この世界を引っ繰り返すほどの主の喜びの知らせをともに祝わせてください。」



[1] 六世紀の修道士ディオニシウス・エクシグウスが、525年に計算をしたのがキリスト紀元。さらに、八世紀に知られるようになり、一〇世紀に一部の国で使われ始め、普及したのは一五世紀とのこと。しかし、イエスを殺そうと二歳以下の男児を皆殺しにしたヘロデ大王が、キリスト紀元だと前4年に死んでいるので、キリスト誕生はずれており、紀元7年か4年ごろだと考えられています。

[2] そもそも、臨月の母親に、今と違って危険な長旅をさせるなんて無理は絶対にしなかったでしょう。しかし、当時の史料を見ても、住民登録が夫婦同伴でなければならないとか、故郷に帰って登録しなければならないという法律は見つかりません。ですからヨセフがマリアを同伴したのはその義務があったからではなく、別の理由からだったとも考えられます。考えられる理由の一つは、マリアの不自然な妊娠への、ナザレの村人が好奇の目で見ることを案じて、ヨセフがマリアを同伴して守ろうとした、という事情です。だとすると、マリアとヨセフは、故郷ナザレにさえ、「いる場所がなかった」のです。

[3] また、この出産にも特別なことは書かれていません。アウグストゥスの養父であるカイザルは普通の人と違って、母の産道からでなく脇腹から産まれた、という伝説を残しています。お釈迦様は生まれてすぐに立ち上がり「天上天下唯我独尊」と叫んだという逸話があります。真偽はともかく、イエスについてはそんな特別な神話やドラマはありません。また、「折角産まれてあげたのに、こんな惨めで平凡な誕生は不愉快だ」とイエスが帰ってしまうこともありませんでした。マリアはイエスを産み、布に包んで飼葉桶に寝かせた、と淡々と書かれています。イエスの誕生の特別さは、その誕生自体の出来事ではなく、その周りで起きた羊飼いたちの変化・喜びなどを通して現されたのです。

[4] 「ルカはイエスが生まれられた時、天から声があったと伝えます。その声は「民全体に与えられる大きな喜びを告げる」(2:10)でした。「告げる」、ギリシア語「エウアンゲリゾー」、「福音(エウアンゲリオン)」の動詞形であり、元々はローマ帝国の皇帝礼拝で用いられた言葉でした。当時の人々は「皇帝アウグストゥスこそ、平和をもたらす世界の“救い主(ソーテール)”であり、神なる皇帝の誕生日が、世界に新しい時代の幕開けを告げる“福音(エウアンゲリオン)”の始まりである」と考えました。それに対してルカは、「皇帝アウグストゥスの時代にローマ帝国のはずれ、ユダヤの片田舎に一人の幼子が生まれた。この方こそ本当の主(キュリエ)である」と語っているのです。」篠崎キリスト教会HP「2017年12月24日説教(ルカ2:1-7、イエスの生誕物語)」より。

[5] いいえ、羊飼いたちはこの時、住民登録をせずに、野原で仕事をし続けていたのですから、統計からさえ除外されていたのかもしれません。「羊飼いは信用がならない」と記す文献も残っています。一方で、神殿でささげるのに不可欠な羊を飼う羊飼いたちは、社会的にも尊敬を受ける身分だったとする説もあります。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ルカ1章26~38節「マリアへの... | トップ | マタイ2章1-12節「東から来... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

聖書の物語の全体像」カテゴリの最新記事