かずの里山ハイク

山や花、日常の出来事などの気まぐれブログ

心に響く

2010年09月15日 | 雑記
会社のOBつながりの方から、「いー便り」と題したメールが時々送られてくる。
今回は敬老の日に寄せて、とある雑誌の寄稿文が紹介されていました。
現在とは時代的背景が違うので伝わりにくい面はあると思いますが、
自身も両親の苦労をする姿を見て育ったので心に響きました。
受け売りで申し訳ありませんが、ある息子の母への手紙です。

かあちゃん

あなたがそちらの世界に還って、もう15年になりますね。あなたの事を一日も忘れたことはありません。

あなたの人生は本当に波乱万丈の人生でした。幼いときに両親を亡くし、あなたは自ら選んで里子にでました。それから戦争もあり、いろんな苦労がありました。

俺が生まれてたった八ヶ月で最愛の夫を亡くし、それから俺たち兄弟を育てるために、苦労の連続でした。

あなたは、朝から夜遅くまで働きづくめでした。俺は近くの保育園にオムツを背負って通っていたと、近所のおばさんに聞きました。

ある夜、あなたは、俺を背負って裏の海岸に行き、「死んでしまおうか」って、俺に言った事があります。俺も「うん」なんて・・・

でもあの時、よく踏ん張ってくれましたね。あの時すべてを捨ててしまったら、俺も今ごろ・・・あなたの強さに感謝しています。

学校にあがって、授業参観やPTAの集まりなんて一度も来たことが無かったけれど、
運動会のお昼だけはお弁当をもって必ず来て、一緒に食べてくれました。

仕事を無理して抜けてきたこと、そのあとあなたの姿が見えないことから、感じとっていましたよ。

発表会で、「俺が模範演技やるから観に来て」と頼んでも、とうとうあなたは来ませんでした。

近所の人から「立派だったよ」と聞いた時のあなたの横顔はニコニコ笑いながらも、なぜかさびしそうで、俺は「来て」なんて言ったことを後悔しました。

毎年クリスマスには小さなツリーを飾り、夜には枕元に長靴の中に入ったお菓子を置いてくれていました。

翌日、うれしくてその長靴を履き  家中走り回る俺を、笑顔で見ていたのに、後々、妻に聞いたところ、
その長靴をとっておいて、毎年お菓子だけ詰め替えていたから、「壊しはしないか」と冷や冷やしていたそうですね。

当時、時給がいいからと男勝りの仕事を選び、朝から夜まで働いて、夜なべ仕事に着物の縫いつけの内職、そして届けに行くのが俺の仕事でした。

ある日俺が、「近所のおじさんにスイカを投げられた」と、笑いながら言ったら、
「貧乏していても、人にバカにされる覚えは無い。何でそんな事をしたのか、今から理由を聞いて来い」と、私を怒鳴りましたね。

暗い夜道を、ショボショボとおじさんの家まで行き、おじさんは「ごめんな」と謝りました。

今ある環境の中で一所懸命生きているなら、卑屈にならず胸を張り、誇りを持って堂々と生きればいい。そうあなたは教えてくれました。

それから月日が流れ、俺も所帯をもち、あなたと一緒に仲良く暮らせました。

今まであなたは俺を信じて、進学も就職も転職も結婚も、何一つ口出ししませんでした。

俺を信頼してくれたおかげで、伸び伸びと人生をおくれました。

あなたが帰天してから妻に聞いたよ。
俺が結婚した年に、修学旅行費の分割支払いが終ったそうですね。

最後まで黙っているなんて、何を篤い使命感に燃えてんだよう。

俺の事はもう大丈夫、そう思って親父のところに還っていったのですか?
親父、おふくろを褒めてやってくれただろうな。

かあちゃん、もし俺に「苦労かけてすまなかった」なんて思っていたなら、それは違うよ。

俺はあなたと親父のおかげでこの世に生んでいただいて、たくさんのことを学ばせていただいてることを、本当に感謝しています。

かあちゃん、ありがと。  むすこより

追伸
今度生まれてくるとき、俺の娘として生まれてきてください。こんどは幸せな人生を送ってほしいから。