心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
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青い皿を見ながら

2012年09月24日 | ほんのすこし
男物のアンサンブル 反物のままフリマで購入したのがあって、それをテーブルセンターに三枚。
今回は赤の帯をしまって その紺色のものを三枚ずらしてコタツの上に敷いた。
紺色だから・・・置くのは 青いお皿!
じゃないけど、このお皿 使う前に飾りたくて。しばらく立てて飾っていたんだけどね。こうしてただ置くだけでもいいなぁって思ったの。


近くで見るとこんな感じのお皿。


後ろには「陶吉」の文字が見える。どんな方が作ったんでしょうね・・・

紺色にしたら 部屋の雰囲気がまた変わった。落ち着いた雰囲気になる。赤はこげ茶のカーテンと一緒だとどぎつい?感じが夜になると漂う(笑) 少し楽しんだので押し入れの整理とともに箱の中へ。
そろそろ朝晩 寒くなった。昨日は実家のストーブ取り付けをした。喘息持ちの母は気候の変化に敏感で 最近はよく咳き込む。急いで取りつけした。今のところ 順調に運転しているようだ。
さて、わたしのところは・・・今のところはまだストーブをつける気はない。
今日はクリーニングに出したカーペットを敷こうかなと。ふかふかのカーペットを敷いただけで暖かさのある部屋に感じると思うから。その次はコタツかな。でもコタツにしてしまうとますますテレビの前で眠ってしまうことが多くなってしまうからねぇ(笑)

今朝は本当に久しぶりに歩いてみた。寒かったけど 無理をしない程度に歩いてみた。気持ち良かった。外に出るってこういうことかと思った。別に外に出ていなかったわけじゃないけど、気持ちが外に向くというか そういうことで。

昨日はずっと母のところで。ふたりで色々なことを話した。主に母がおしゃべりだったけど。父と母の昔話やら、父方の親戚の方のことや かなり昔のことをたくさん聞いた。父は後妻に入って生まれた子だった。先の妻が産んだ娘が二人、次に後妻に入った母の子がわたしの父だ。嫁いで父を産み 幼くして母親が亡くなった。その後 父の父親は三番目の妻をもらう。まもなくその父親も亡くなり 後妻さんとその実子は父親が亡くなると 家を出たそうだ。そのため父は自分の父親の最初の妻の子である義理の姉たちに育ててもらったのだけど、そのおねえさんたちはとても良くしてくれて可愛がってくれたようだ。それでもやはり両親がいないということは どんなにか寂しいものだったか・・・だけど 父はほとんど自分の生い立ちに触れることもなく、愚痴をこぼすということもなく静かに逝ってしまった。
母は母で ほんとにたくさん苦労してきたみたいだし。
そういう昔のことを 今になって聞くということ、それもまた大事な時間なんだろうな。
父と母の周りに存在した人々の人生を振り返ると 人間の逝く末の不思議さを感じる。どんなになんでも出来る人でも 人を見下したりして生きてきた人は その最後はどうなるのか・・・母から聞いたある人物の生き様を想像してみる。
そして先の見えない人生だからこそ 今 どんな気持ちで生きていこうとするのかが大事なのだと思う。
ありふれた生活 人並み以上ではなく つましい生活 それのどこに悔いるものがあろうか。
母を心配して訪れてくれるご近所さんがいる。ありがたいと思う。こうして訪ねてきてくれるのは 母という人間の良さでもあると贔屓目にも思う私なのだ。

物いわぬものたちに囲まれ、静かな時が流れる。よぎるのは過去のあれこれ。その余韻に浸りながら これからのことも考えなくては と思う。堅実に 足元を固めて しっかりと生きていくんだよ と自分に言い聞かせて・・・