心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

パソコンでもアクションボタンが

2019年11月12日 | ほんのすこし
ずっとスマホでしか「いいね!」「応援」「続き希望」「役だった」のボタンがなく、ほとんど記事投稿はパソコンで行っているわたしには、パソコンでほかの方のブログを見たときもアクションボタンがついていたらなあ、と思っていたのですが、今日から記事の下の部分にそのボタンが表示されるようになっていました。
以前、パソコンで見る記事の下にはフェイスブックやツィッターのボタンはありましたが、その二つをしていない私には読み逃げというか、コメントを残せないときでも何かリアクションが出来たらいいなと思っていたのです。コメントを残すのはなかなか出来なくても、記事を拝見したときの自分の気持ちが少しでも残せたらなと。
ただアクションが4個しかないので、記事の内容によっては、どのボタンを選んだらいいのかと迷うこともあります。

フォローしているブロガーさんの記事は多岐にわたっていて、自分には無いものに触発されることがしばしばです。

いつもコメントをくださっている方がお休みに・・・そういう時は大丈夫かしらと思います。以前もそういう方がいてすごく心配したのですが、何ヶ月も経ってから更新されていたのを見てホッとしました。今回もゆっくりでいいから再開されることを願っています。

ここでの繋がりも長い方もいれば新しい方もいます。15年という年月はほんとにあっという間でした。2004年の11月末、ドキドキしながらのgooブログ開設でした。ただ日頃の思いを淡々と吐き出せる場が欲しかった、辛い時期を引きずって、それでも前に進もうと思える自分がいて、自分で自分を励ましていました。そして、死と隣り合わせだった時間を乗り越えて生かされたのだということを大事にしていきたいとも思ったものでした。
だんだんその意識が薄れ、こうして生きていることがずいぶん当たり前に感じてしまって・・・
あの頃の自分に戻らなくては、と思います。助かった命を丁寧に生きていかなくては、ね。

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命とは君たちが持っている時間である 日野原重明(聖路加国際病院名誉院長)月刊誌『致知』

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僕はいま人生において最も大切だと思うことを、次の世代の人に伝えていく活動を続けているんです。

僕の話を聞いた若い人たちが何かを感じ取ってくれて、僕たちの頭を乗り越えて前進してくれたらいいなと。

その一つとして僕は二年前から二週間に一回は小学校に出向いて、十歳の子どもを相手に四十五分間の授業をやっています。 

最初に校歌を歌ってもらいます。
前奏が始まると子どもたちの間に入って、僕がタクトを振るの。

すると子どもたちは外から来た年配の先生が僕らの歌を指揮してくれたというので、心が一体になるんですね。
僕が一貫してテーマとしているのは命の尊さです。難しい問題だからなかなか分からないけれどもね。
でも
「自分が生きていると思っている人は手を挙げてごらん」
と言ったら、全員が挙げるんです。

「では命はどこにあるの」って質問すると、心臓に手を当てて「ここにあります」と答える子がいます。
僕は聴診器を渡して隣同士で心臓の音を聞いてもらって、このように話を続けるんです。

「心臓は確かに大切な臓器だけれども、これは頭や手足に血液を送るポンプであり、命ではない。命とは感じるもので、目には見えないんだ。君たちね。目には見えないけれども大切なものを考えてごらん。
 空気見えるの?
 酸素は?
 風が見えるの?
 でもその空気があるから僕たちは生きている。このように本当に大切なものは目には見えないんだよ」と。

 それから僕が言うのは
「命はなぜ目に見えないか。
 それは命とは君たちが持っている時間だからなんだよ。
 死んでしまったら自分で使える時間もなくなってしまう。
 どうか一度しかない自分の時間、命をどのように使うかしっかり考えながら生きていってほしい。
 さらに言えば、その命を今度は自分以外の何かのために使うことを学んでほしい」ということです。

僕の授業を聞いた小学生からある時、手紙が届きましてね。そこには
「寿命という大きな空間の中に、自分の瞬間瞬間をどう入れるかが私たちの仕事ですね」と書かれていた。
十歳の子どもというのは、もう大人なんですよ。あらゆることをピーンと感じる感性を持っているんです。
僕自身のことを振り返っても、十歳の時におばあちゃんの死に接して、人間の死というものが分かりました。
子どもたちに命の大切さを語り続けたいと思うのもそのためです。

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このような授業を受けることが出来た子供達は幸いですね♪



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4 コメント

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生かされている ()
2019-11-12 14:19:12
けいさんの実年齢は存じ上げませんが、小生においては、いろんなシーンで「今こうして生きているのはラッキーだった」という思いでがあります。伊豆出身の小生にとっては、大地震でトンネルに巨石が落ちてくる数分前に電車を降りていたり・・・などなど。
今こうしてあることは、「生かされている」と思わざるをえません。人知を超えた何かに守ってもらっているのかなと・・・
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桂さんへ (けい)
2019-11-13 12:52:01
ラッキーだったなと思うことは沢山ありますね。それとほんの数秒とか数分の差で事故に遭わなくてすんだということも・・・
不思議なことが一日のうちで結構起きているのかもしれません。
「生かされている」本当に、そういう気持ちになることがこれまでありました。私の場合は、15年前,倒れて手術したときに助かる確率が三分の一、助かっても後遺症が残る確率が三分の二、と言われたことが人生最大の試練だったのかなあ。
まあその後、待ち受けていたショックのほうが大きかったかも。
人生、何が起きるかわからないから、今を大事に生きていくのが一番ですね♪
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Unknown (小父さん)
2019-11-17 21:13:12
>死と隣り合わせだった時間を乗り越えて生かされたのだということを大事に・・・

びっくりです。
けいさんのページって、軽くってノリノリもあれば、深くって深刻なイメージもあるんですね ♪

すみません、私のブログは近所の人と大喧嘩したもので、私のブログを悟られたくなくて自分の写真他を隠し休止していました(笑)

私もPCでのブログ投稿なのでアクションが不便でしょうがなかったです。
ただ、現在も確かアクションの足跡数が限られていて、すぐに誰からもらったかが、分からないようになる気がしてます。

FaceBookだと名前が残るんですがね・・・。

日野原重明さんは紳士でしたね!
私は中学の教師になりたいと思ったこともあったので紹介された文は素敵に思えます。

ただ学生時代と父親になってからボーイスカウトの指導者に相当エネルギーを費やしたこともあるので教育の真似事はしたつもりです。

また、訪問させていただきたく思いますのでよろしく。

自分のブログにはプライベートなものから遠ざかるかも知れませんけど・・・。
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小父さんへ (けい)
2019-11-18 12:38:07
ホッとしましたあ!(笑)
大げんかですか・・・仲直りできるといいのですが・・・

ブログを継続していくには色々と考えなくてはいけないこともあるようですね。わたしのブログもリアルで知っている方もいくらかいますので、内容には気をつけようと思ってはいるのですが、なかなか精査するまではいかず。後でこれってどうかな?と思ったりすることもあります。

ボーイスカウトの指導をされていたのですね。教師と同様大変な仕事だと思います。小父さんはきっと子供達からも慕われていたのでしょうね♪
復活できて良かったです!
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