映画『武士の献立』(2013年松竹)を観た。
むちゃくちゃ良かった。
私にとっては『七人の侍』の次に良かった。
つまり、私の中ではこの作品は地球上で二番目の作ということだ。
唯一包丁の時代考証に難があり(それ以外にも実名=イミナを名指しで呼ぶ
という絶対に江戸期にはないことが他の時代劇のように行なわれているが)、
劇中で登場する包丁がこの時代よりも70年~100年ほど後世に形状が確立
して普及した包丁ばかりという難点がある。
しかし、作品総体はそうしたことを消し飛ばす程の内容だ。泣いたぜ、うん。
日本の包丁は、王政時代を除けば、近世江戸期にあっては大坂の堺の
包丁が世間を常にリードしていた。堺の包丁は形状にも工夫を凝らし、
「名物」として珍重された。堺の包丁は昔も今も洗練されている。元来は
鉄砲鍛冶の流れを汲む。
形状のガイドラインが鎌倉期より確定された刀とは違って、常に創意工夫で
最先端の形状と実質効果を重んじていた鉄砲鍛冶ならではの感性が和包丁
の形状発達に寄与したと私は見る。
かくして、日本の和包丁は料理刃物としては世界一の機能性を有するに
至った。そこには新規性のみならず、使い手から作り手へ、作り手から使い手
へという、相互情報交換のフィードバック機能があったからだ。政治機能の
中枢は江戸にあっても、上方こそが「日本の台所」といわれた所以がそこに
ある。製作者と使用者の双方が江戸政治方式のように固定的観念を押し付け
る石頭だったならば、世界一の機能を持つ今の和包丁は生まれてはこなかった
ことだろう。民意反映の意識の象徴が世界一優れた日本の包丁にある。
和食と包丁文化は日本が自信をもって世界に誇れる文化だといっても過言では
ない。勇ましさばかりを一面的に強調するサムライ文化よりも、こうした人々の
生の息吹の結実が感じられる物が日本にあることを、日本人はもっと誇りにして
よいのではなかろうか。
そして、まさに、この映画『武士の献立』は、武士というよりも、人として何が
大切かを私たちに伝えている。人の幸せは大義名分ではなく、食から生まれ、
その食は愛と歓びから生まれる。夫婦の愛も、食を共にすることを抜きにしては
発生しえない。
そして、食材を工夫して美味しい料理を作り、それを食べて幸せを感じる。その
幸せを届けたい、そうした小さな気遣いや愛から親子や夫婦などの絆が生まれて
行く。
食を大切にしない人は愛情にも情愛にも乏しい。
会食文化は、日常であれかしこまった席であれ、「同じ物を一緒に食べる」と
いう同列非差別の行為であると同時に、作り手と食べる側が一体化するという
「人と人をつなぐ文化」である。
そして、人と人をつなぐことの橋渡しとして活躍するのが包丁なのだ。
こんな素晴らしい刃物は世の中にはない。
『日本山海名物図絵 巻之三 堺包丁』(平瀬徹斎著/長谷川
光信画/宝暦四年-1754年)
この堺の包丁には、出刃包丁と刺身包丁が図示されている。
さらに「まな箸」と「たばこ包丁」も名物として紹介されている。
幅が広い菜切も見える。
ただし、これらは、1754年時点でまだ「名物」であるので、
一般的に全国的に普及するのは1800年代に入ってからで
あるとするのは、各種文献等や江戸期から続く現代包丁の
メーカーの論に蓋然性がある。
いわゆる加賀騒動の渦中での加賀藩の料理人である武士の妻と夫の
物語なのだが、ただ料理を作って飯食ってるだけの映画ではない。
いいね、こういう心に響く映画を創れるというのは。私の中では、この作は
120点/100点中だ。ぜひとも、夫婦、恋人、親子で観てほしい作品だ。
おれぁ泣いたよ、うん(笑
で、包丁については、時代考証が正確な部分と時代をやや設定年代よりも
現実的には先取りしている部分がある。それが包丁の形状だ。
現在の形の包丁が確立したのは最幕末なのであるのだが、おおよそ今の
形の包丁が歴史的に一般化したのは文化文政年間(1804年~1829年)だ
といわれている。町人文化ではいわゆる化政文化とよばれる江戸文化が
最高潮に達した時代だ。著名な文芸作品も多く生まれた。
また、武家文化としては、各藩の財政が逼迫し、藩政が著しく行き詰って
各地で人材登用などの藩政改革が行なわれた時代だった。
改革派あれば保守派もある。両派は血で血を洗う争闘を繰り広げることも
あった。やがてそれは藩主や側近の毒殺や暗殺という事態も引き起こす。
この映画は、まさに加賀藩で起きたその加賀騒動の時代に生きた夫婦の
物語である。加賀騒動の1724年前後を舞台とした物語だ。
包丁について見てみよう。
まず、加賀藩の御屋敷で料理人たちが使用している包丁は、この時代から
70~100年後に世の中で一般的となった包丁が多く使われていた。
出刃
薄刃
菜切
これらの包丁はこの時代には存在しない。
この頃までに一般的だった包丁は式包丁のような形状のものであり、かろうじて
広刃のものが存在した。
この映画の時代設定当時に存在した包丁
『十二月の内 卯月初時鳥』(豊国作/国立国会図書館蔵)
初ガツオをさばく女性(文化文政時代=1800年代)。出刃や柳刃
ではない。
映画『武士の献立』に登場するのは、ほとんどが現代と同じ形状の和包丁である。
この形状は文政時代頃に普及しはじめ、幕末に形状が確立した。
薄刃
菜切
だが、リアルな形状の物も登場させている。舞台演出としては虚実を織り交ぜている。
出刃はこの時代にはないが、出刃の横に並ぶ包丁はかなりリアルだ。
出刃。
この形状の包丁は式包丁系であり、リアルな演出だ。
一方、夫と料理勝負をする妻の上戸彩さんが使う物は現代包丁だ。
さらに、包丁式での作法、包丁等は超リアルだ。
これは昇進試験の実務試験だ。これについては、包丁以外はリアルか
どうかは私にはわからない。殿上でも武士は足袋をはかなかったこと
だけは確かだが。足袋をはくのは老人および冬季のみである。
驚いたのは、主人公「はる」の夫が、藩中の保守派重臣を討つために
刀を研ぐシーンで、『たそがれ清兵衛』のようなデタラメさがまったく
なかったことだ。
きちんとした「構え」で・・・
刀剣研ぎ師が使う砥石に、何と真剣を当てている。鎬幅が広いので
備前物ではないだろうが、蛙子丁子のような乱れ刃が明瞭に見える。
見るからに加州新刀、兼若三代目あたりの作風であり、演出が唸らせる。
(追記:日本刀研磨師が真剣のように加工した合金製模擬刀だそうです。
びっくり!)
しかし、役者さんが怪我をしてはいけないので、よく見ると、ここで使われている
真剣は刃引きがされていることが判別できる。しかし、かなりの出来の良い刀だ。
研ぎについては研ぎ師から指導を受けたことが見て取れる。
拭いを利かせた地に刃部周辺を擦って白くしている明治以降の研ぎ技法の刀で
あるのはご愛敬。この刃取りのおかげで、日本刀の刃とは白い部分と勘違いする
人が続出となった。刀の刃とは焼き刃のことであり、白く擦って描いた部分ではない。
この画像では、白く擦って描いた中にピョコンピョコンと逆涙形になっている部分が
刃なのである。(追記:担当研ぎ師によるとミリ単位で刃引きがある模擬刀だそうです)
ただし、俳優さんは平地を定法通りに研いでいるのだが、刃を浮かせて
鎬に砥当たりするような感じになっていた。あれでは本当ならば鎬の
ラインを全部蹴って(=鎬線を崩して)しまう。これもまあ、ご愛敬といった
ところか。
この主人公はるの夫の包丁侍は、剣術達者との役どころだが、木刀稽古での
太刀打ちは剣道でいったら三級くらいの腕にも満たないような剣さばきだった。
木剣を持つ手がガッチガチ。もちろん手の内など一切なく、固く握りしめた
木刀を腕で振りまわす感じだ。まあ、言ってみればド素人。
刀遣いのチャンバラ屋からすると、映画ではなくリアル社会でも、いくら物斬り
をした動画をアップしていても、遣い手かそうでないかはすぐに看破できる。
筋の良し悪しまで見えてしまう。実際に真剣日本刀を使っている人たちでさえ、
見る者が見れば見えるところが見えてしまうのだから、時代劇の剣士役の役者
さんはさらにハードルが高い。世間一般の現行の刀遣いよりもさらに素人だから
だ。
剣術を知らない俳優さんは剣術家ではないとはいえ、やはり時代劇に出て
剣の遣い手の役をやるるならば、最低限、剣の振り方くらいは覚える必要が
あるだろう。
たとえばバイクレーサーの役で、オートバイに乗る姿がまるでサマになって
ないとしたら、アウトであるのと同じだ。
剣と同様に、バイクの操縦の巧拙は、バイクに跨った姿を見れば一発で分かる。
残念ながら分かってしまう。極端な話、信号待ちしているバイクライダーの
バイクのまたがり方、姿勢、ハンドルの握り方、ステップへの足の置き方
一つを見たら、即座に「乗れる」ライダーかそうでないかは判別がつく。
本作、『武士の献立』は、そうした演技上の技術面での至らない部分は瑣末な
こととして吹き飛ばすくらいの総体的に素晴らしい仕上がりになっている。
料理も、あれ、全部すごいよ。食材などもすごく考証されている。
惜しむらくは包丁だが、これは50年ほどの年代差だから、これもご愛敬という
風に受け取るしかない。鞍馬天狗が1950年代のリボルバーを遣っていた戦後
の映画よりはずっといい(笑
眠狂四郎シリーズなんてもっとひどいよ。若山富三郎が狂四郎に宣言するもの。
「俺の少林寺拳法と貴殿の円月殺法、どちらが勝つか勝負だっ」
少林寺拳法は昭和の新武術ですってば(苦笑
本『武士の献立』には本当に感銘を受けた。この作はよい。最大級のおすすめだ。
私は映画館では最後の最後、テロップが終わって劇場内が明るくなるまでいる。
当たり前だ。映画作品は最終テロップが終わって、幕が閉じて初めて終わり
だからだ。
なので、最後の字幕が始まると劇場を出て行く映画素人が多いが、あれは
「映画途中で観るのをやめた」ということになる。映画を最後まで観てはいない
ことになる。最後に何があるかもわからないのに。『キャリー』のように(笑
最後の字幕では、やはり刀剣研ぎ師がきちんと指導していたことが判った。
それと、包丁式も生間流式包丁の指導を受けていたことも。
さらに、この映画で感心したのは、証明さん(というか監督?)が非常に良い
仕事をしていることだ。臨場感があふれていて、うなった。
ろうそくの明かりを表現しているので、総体的に暗い場面が多いが、ただ
暗いのではない。きちんと明暗を表現しきっている。その暗さの中にも
色の強弱、明暗のコントラストを表現している。作りのキメが細かい。
私の感想としては、ここ30年ほどで、一番良い時代劇だった。
この作品のスタッフは、とても良い仕事をしている。
キャストの俳優さんたちの演技も素晴らしく、また、監督がそれを
十二分に引き出している。
良作とは、まさにこの作品のことを言うのだと思う。