渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

カーティス・ロード

2014年08月12日 | open

渓流に、自分だけの理想郷で
あるカーティス・クリークが
あるとするならば、バイク乗
りにも自分だけのカーティス・
ロードがあるはずだ。


映画『キリン』


この映画の中で、キリン(真木
蔵人)がスズキ隼を初めて走ら
せているワインディングロード
は、箱根のここだ。


向こうからの下りをフルバンク
で走っている。

私は向こうに向かう上りが好き
だった。この場所は気持ちが良い。



ここらはかなりの注意が必要だ。
上り直線先の左コーナーの上り
短直線の先に右の深い複合コー
ナーがある。


ここは出口が狭く、知らない
人間は直線後の上り左コーナ
ー後の短い直線で速度を調節
するバイクを抜いて行こうと
するが、大抵はオーバースピ
ードで次の複合の右ブライン
ドで飛ぶ。

私もガンマで走っていた時、
一度私のガンマと相方のGSX
400Rをこの短直線でスッと
抜いた知らないRZ250がいた。

「あ~あ。その速度で次の
右に突っ込むと曲がれない
よ」と思ったら、案の定、
飛んでいた。我々はそこを
抜けた後、すぐに戻ったが、
RZライダーは何ともなさそ
うなので立ち去ったが。

今は舗装されて整備されて
いるが、かつてはその複合
右コーナーの外側には富士
山の火山岩がいくつもむき
出しになったちょっと広め
の展望場があった。立つの
も怖いくらいの断崖絶壁の
先にある展望駐車スペース
だ。

富士山が正面に見えて絶景。
しかし、ここから車やバイ
クで転落したらまず死ぬね。

そこにRZは道路のコーナー
から飛び出して、むき出し
溶岩で跳ねて大ロデオ大会
をやらかしていた。

コーナーを曲がりきれない
からマシンを立てて直線的
に突っ込んだのだろう。

だから言ったじゃないの。
モトクロスのように散々
跳ねた後にマシンと体ごと
吹っ飛んでいた。

崖に落ちなくてよかったね。
戻って「大丈夫か」と声か
けたら「大丈夫だ、行って
くれ」というので立ち去っ
た。バイクもなんとか動く
ようだった。

この画像のシーンでは、吹
き替えを宮崎敬一郎氏がや
っている。





1984年5月、発売されたばかり
のYAMAHA FZ400Rをこの箱根
スカイラインと乙女道路でテス
トしていたのは宮崎敬一郎氏で
はなかろうか。

フォームと乗り方等からして、
私が見るにそのように思うの
だが。

乙女道路では下りの直線で
ウイリーしたりして遊んで
いた。

コーナーは最速で駆け抜け、
フルバンクで膝擦りだ。

1990年代初期頃まで、自動車
やバイク雑誌では、公道を使
った新車テストがよく行なわ
れていた。ビデオも多く発売
されていて、今では動画サイ
トで観ることができる。

現在では絶対に撮影も販売も
不可能だ。

なぜならば、40km/h制限の
道路で、普通に常に100km/h
オーバーで走っているからだ。
直線では150km/hほどをサクッ
と出すこともある。

そうした映像が発売されてい
た。

厳密に言わなくとも、犯罪行
為をビデオで公開していたの
で、よく免許取り消しになら
なかったと思うが、今の時代
では不可能である。

映画『キリン』では、宮崎敬
一郎氏が往年のように公道の
峠でフルスロットルをくれて
いる。
私はよく知る場所なので判る
が、この箱スカの場所はコー
ナリング速度自体が軽く
100km/hはオーバーするし、
さらに直線ではかなり出る。
事実、映画のこのシーンでは、
それなりの速度で走っている。
フロントサスペンションのボ
トミングからどれくらい速度
がでているかはごまかせない。
箱根ターンパイクは箱根ター
ンパイク株式会社が所有する
私道であるので、そこでは道
路を貸し切りにしてこの映画
の撮影がなされた。バイクの
バトルシーンなどはそれだ。

しかし、この箱根スカイライ
ンは公社が保有している有料
一般道路なので、撮影とはい
え、貸し切りはムツカシイの
ではなかろうか。

野暮なこと言うようだが、こ
のキリンが隼を最初にライド
テストしているシーンは

「早送りです」とでも言い訳
しないとならないくらいに、
高速度走行している。

免許サヨナラコースのような
速度だ。


年は私の一学年上。

宮崎さん、あの頃と同じことやって
るし(笑


お構いなしにウイリーです。


コーナーでは、擦ってます。
Gでトラクションが発生して
サスが仕事しているからスリ
ップダウンはしません。








彼が峠を走る時はこんな感じ
です。

このようなRの狭いUターン
コーナーはバイク乗りは好
まない。定常円旋回はバイ
ク性能を出す区間ではない
からだ。
このような低速Uターンコー
ナーは四輪のドリフターズ
たちが好むコーナーだ。

(実写版映画『頭文字D』のロケ地)

1989年以来、私は箱根を走って
はいない。

毎週水曜日早朝、約1年通った箱
根だったが。

今でも心の中ではカーティス・
ロード、マイフェイバリット・
ワインディングが箱根の芦ノ湖
箱根スカイラインから乙女道路
にかけての道だ。

谷が迫って来ないから、走って
いて気持ちいいよ~。
それに一番いいのは、小うるさ
い蝿のような峠小僧たちがいな
いことだ。
これは峠族全盛の80年代から
全くいなかった。
なぜならば、見物コーナーが
少ないし、有料だからだ。
コーナーだけ早くて、連続し
た距離のトータルは超ドン速
の峠小僧たちは、見物コーナ
ーで見せつけるだけが目的な
ので、一つのコーナーを行っ
たり来たりする。マシンの性
能がどうとか、コーナリング
がどうとかではない。
見物コーナーでどれだけ目立
てるかだけを競う。ローリン
グ族は厳密には走り屋とも異
なる。人目がないと走らない
からだ。
本当の走り屋は、人知れず夜
明け前に走る。己のためだけ
に。
私は峠も膝擦りながら散々走
ったが、ローリング族ではな
い。
そして、80年代末期から「チ
ーム」と称する徒党を組む連
中が峠に現れた。それらは
漫画の中でもいわゆる「バカ
(固有名詞)」と呼ばれてい
たが、ヘルメットに妙な物を
着けたり、揃いのTシャツを
を作ったり、マシンにゼッケ
ンを貼ったり、今でいうハン
ドルネームのような幼児的な
あだ名で呼び合ったりしてい
た。知性は感じられなかった。
80年代後半からは、これらが
ローリング族の主体を構成す
るようになった。
走り屋はほとんど峠からいな
くなり、いつからか峠のロー
ドは「バカ」ばかりが占領す
るようになって行った。
図式としては、峠族というの
がまずあって、その中に走り
屋とローリング族とに別れて
いるという構造があったのだ
が、取締りの警察からしたら、
どちらも「暴走族」と位置づ
けている。