渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

刀剣防錆油バルブオイルと日本刀

2016年08月10日 | open



真剣刀術稽古後1日目。
昨日の稽古後に刀身の完全
脱脂をし、YAMAHAバルブ
オイル(100%
化学合成)に
て防錆のために油をすり込
んだ。

これは1日目の棟をこすった
状態。ごくごくうっすらと
錆が発生している。

この状態は驚異的で、通常
の刀剣保存油(植物油もし
くは鉱物油)では
かなりの
赤錆の出錆がみられるとこ
ろ、これだけですんでいる。


手入れは毎日続けるのだが、
この錆を1日目に完全に除去
し、バルブオイル
を塗布(と
いうよりすり込む感じ)する
と、2日目以降まったく出錆
が見られな
くなる。
これは一般刀剣油と比較して
防錆の効果の差違が歴然とし
ている。

私の友人の愛刀家は何口もの
観賞用保存刀剣にバルブオイ
ルを使用して
いるようだが、
何の問題もないどころか、か
なり良好な結果を得ていると
ことである。私も観賞用で
も試すことにする。

バルブオイルは、航空機内に
持ち込める刀剣用油がないも
のか私が探して
いたところ、
数々の油を試して私が探し当
てたベスト・オブ・ベストの
防錆油
なのであるが、やはり
その効果は絶大だ。
本来刀術などの武用の稽古に
は、江戸期のように「稽古専
用刀」があれば越したことは
ないのだが、現況はなかなか
そこまで江戸期様式を再現す
るには至っておらず、残念な
がら私も含めて「通常勤務用
の差料」に該当する刀剣を使
用している。これは文化遺産
の損耗に手を貸していること
でもあり、私自身も忸怩たる
思いもあるにはある。
防錆効果の高いバルブオイル
の使用は、ごくわずかなりに
もそうした損耗状況を助長す
ることを防ぐ効果もある。


バルブオイルに着目するまで
は、博物館等でも使用されて
いるという高級刀剣油の太田
製刀剣手入油を使用
していた。
この大人買いした刀剣柴田発
売の太田製刀剣油が旅客機に
持ち込みを
受付で断られたこ
とから私の刀剣用代替油の調
査が始まった。

結果としては、災い転じて福
となすというか瓢箪から駒と
いうか、最良の油
を発見する
ことができたのである。


購入した時、刀剣柴田さんで
「ずいぶん刀をお持ちなんで
すね」と
言われたが、刀はそ
れほど所有してはいない。

ただ、私は「常に新しい油を
新しい上質ティッシュで洗う
ように使う」
のである。ネル
に染み込ませた古油で刀身を
撫でることは一切しな
い。
理由は、刀術等で使用する刀
剣の刀身に付着した人体の汗
や脂
を古い油でこねくりまわ
すことが刀身には絶対に良い
ことではない
からだ。
稽古途中の手入れにおいても、
私は常に新しい油と新しい拭
い紙
(上質ティッシュ)を使
用している。

刀剣をケースに入れての移動
の際にも白鞘の休め鞘に刀身
を入れて
移動している。刀が
大事だからだ。

この刀剣柴田の刀剣手入油は
すでにすべて使い切り、あと
1瓶の半分
ほどが残っているだ
けである。


刀剣油をケチっていて「刀を
大切に思う」などということ
あり得ない。油は消耗品で
あり、刀剣を守るための消耗
品なので、
私は汚れたネルに
染み込ませた古油で刀身をこ
ねくり回すことは
一切しない。
これは大昔からそうだった。
他の人は知らない。私は
私の
判断において私がそうしてい
る。

バルブオイルは私が自分で見
つけ出し、自分で判断して自
分の差料に使用して、2年近
く試験使用して極めて良好な
結果をみたのでかつてこのウ
ェブ日記で私の使用実例とし
て紹介した。
多くの方も試されて良好な物
理的な結果に接し、継続使用
されているようだ。
オイルというものは、刀剣に
限らず、車でもモーターサイ
クルでも切削油でも、状況に
よって使い分けるのは地球上
の常識だ。
バルブオイルは刀剣に対しか
なり適性な物理効果を持って
いるが、それは武用稽古等に
おいて最大限の効力を発揮す
るのであり、美術刀剣の長期
保存という点においては、刀
身が汗脂に晒される可能性が
無いので、粘度の高い柴田の
太田製や藤代製(たぶんこれ
も太田製)のオイルが適性を
保持いるということについて
私は過去一度も否定していな
い。しかし、今後はバルブオ
イルを私は全面採用してみる。

繰り返すが、一般刀剣油とい
うものは旅客機には一切持ち
込めないのである。
航空機で移動する人の対策は
どうしたらよいのか。
そもそもそこから私の刀剣用
代替油探しが始まったのだ。


織田信長が本能寺で討たれる
2年前の天正8年に造られた私
の差料には刀身に斬り込み疵
がいくつもある。これは棟の
サイド部分に深く斬り込まれ
た跡を研ぎ師が寄せて塞いだ痕。


この部分だけでなく、棟にも
明らかな斬り込み疵が3ヶ所
残っている。
また、別なさらに古い天文年
間の末古刀には矢を受けた
「矢目」と呼ばれる菱型の食
い込み痕が平地に残り、やは
り棟にも斬り込み疵が残って
いる。
戦国時代のイクサの乱戦とな
ったら、剣術の一騎打ちのよ
うに、敵の刀剣がこうきたか
らこう返す、などという展開
にはまずならないだろう。
これは現代戦でも「白兵戦」
を経験してみれば即座に理解
が及ぶ。(本物の現代戦闘で
の実物銃剣での白兵戦の恐ろ
しさを知る者はごく限られた
一部だろうが)
例外としては、大坂夏の陣の
際に、甲冑を脱ぎ捨てて軽快
な動きを確保して編成した真
田決死隊が将軍秀忠のそばま
で突撃して斬りかかった時、
柳生宗矩がその突撃決死部隊
数名(5名とも7名とも)を太
刀ですべて斬り伏せている。
柳生宗矩が人を斬ったのは
後にも先にもこの一件のみ
とされているが、敵が甲冑
を装着していたらこうは
いかなかったことだろう。
チャンバラ状態の乱戦にな
っていたはずだ。
乱戦になれば、刀身はむちゃ
くちゃに疵だらけになる。

日本刀のうち、太刀・打刀
(うちがたな)・脇差・鎧
通しが使用される状況は、
敵と取っ組み合いになると
いう最終の最終段階での武
器使用という状況というこ
とだ。生きるか死ぬかの二
つしか道がないという命の
ぎりぎりの状況であるのだ。
ただの現代日本のチンピラ
の路上での殴り合いなどで
はない。本物の掴み合うほ
どの接近戦での殺し合いで
あるのだ。刀身は疵を確実
に受ける。
そうした痕跡が日本刀に残
っている。
人間は斬った者も斬られた
者も、もうとうにこの世に
はいない。
だが、日本刀はずっと末世
まで残っている。
これの重みとはなにか。
もはやそこには敵も味方も
ない、悠久の時が日本刀に
流れている。
そうした時代を乗り越えて、
幾星霜を駆け抜けてきた日本
刀を見て現代人の私たちは
「美しい」と感じる。
単なる視覚的な美しさだけで
なく、存在そのものにも冷厳
で厳粛な「何か」を私たち日
本人は確実に感じている。
日本に来て、日本の戦国甲冑
などを身に着けてイベントに
参加する外国人も、日本の武
士たちの戦いの歴史の再現イ
ベントを「ジャパニーズ・カ
ルチャー」と呼ぶ。
日本刀の文化は日本人の文化
であり、人の命に深く関わっ
た、その時代をどう生きよう
としていたのかという、まさ
に「人の文化」であるのだ。
その中心的物的存在であった
日本刀を人は「美しい」と感
じる。
人間不在のところに日本刀の
命も人の命も存在しない。

それをあえてことさらに意識
せずとも日本人が感知し得る
のは、「人の命」について日
本刀が深く関与したことが触
媒になっていることを私たち
歴史の中に生きる現代日本人
がその歴史の中にいる自分と
の関係性において無意識下に
察知しているからに外ならな
い。
刀など使わないにこしたこと
はない。それは今も昔も変わ
らない。
だが、私たちの国の歴史は、
それを赦さなかった。
そうした長く重い歴史の上に
日本刀は生き残っている。
そこを多くの人に深く受け止
めてほしいと私は願っている。
刀は刀として独立して刀のみ
が物理的な物品として存在し
ているのではない。必ず目の
前にある一刀には人の歴史が
あったのだ。
その刀に関わってきた数えき
れない多くの人の歴史が目の
前の一刀には反映されている
のである。
日本刀の命とはそのように私
たち「ヒト」の命に繋がって
いる。
そこを見てほしい。
そして、日本刀を大切にして
ほしい。