渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

犬のいるくらし

2024年12月06日 | open
 
(1970年2月/小3/横浜)
 
犬のいる毎日は良い。
名前は一の瀬みゆきのワンコ
みたいにスペンサーではない
が(笑
これはシェルティーではなく、
コリー。
当時国内ではシェトランドも
キャバリアも見なかった。
カバリエ・キングチャールズ・
スパニエルは1990年代初
のうちの子の登録が800
番台
だったので、平成始
り頃に
日本に来たのではな
かろうか。
シーズーは1976年頃から。
犬って人間よりも先に死んじゃ
うんだよなぁ。
それがとても悲しい。
だが、ずっと犬といる。
幼い頃から何度も悲しみを受け
止めながら。
フランス人のように家族が旅行
に行くからと一緒に暮らした犬
を遠方に捨てまくるような事は
絶対にしない。私と家族は犬の
最期まで必ず一緒にいる。
 
このガキは小学生だが革ジャン
を着ている。
防寒用ではない。
屋外アイススケート、ローラー
スケート用の防護服だ。
靴は「アップシューズ」という
白い紐靴で、スニーカーが後年
普及する前に1970年前後に横浜
では広く普及した靴。陸上競技
用のシューズとテニスシューズ
のミックスのような靴で、1970
年の横浜ではアメリカンクラッ
カーと共に爆発的に普及した。
それまでは少年用の靴などは、
くっそダサの学校の上履きみた
いな物しか無かった。それらは
「ズック」と呼ばれていた。
やはり、1964年の東京オリンピ
ック以降、1970年大阪万博まで
の間に日本はかなり様変わりし
た。
「アップシューズ」の登場は、
日本の若者の日常履き履物とし
てかなり革命的だった。
1950年代中期に登場した靴だが、
日本国内の中学高校生の軽運動
や通学定番靴のようになり、そ
の後小学生にも普及したのがオ
リンピック後で、1970年万博直
前あたりに横浜では大流行した。


 

 
 
 
 
 
 
 

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