渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

三原はタコのまち

2025年01月17日 | open

2ストビーノにタコちゃんを
着けたいなぁ。こんな感じで。
パルスジェネレーターもちゃ
んと装着して。

三原はタコの町だけに(笑




数年前の豪雨災害で大量の土砂
が海に流れて生態系が変わって、
最近はなかなか獲れなくなった
が、三原のタコは全国レベルで
突出した美味さなのよ。
まじでウマい。
東京や京都の料亭に出すレベル
のうまさ。
三原城下の海辺では、江戸時代
からタコとタイは湧くように獲
れたのが藩の史料記録にも残っ
ている。
三原は江戸時代からずっとタコ
の町。
てか、江戸時代から三原城下は
「町」だった。
つまり、タウンね(笑
タウンというより、城郭都市な
のでむしろシチー。
なので、三原っ子はブーニーで
はなくシチーボーイズ(笑
ちょい無理あるけどさ(笑
まあでも、江戸期では城郭市街
地のある都市部だった。
今の渋谷あたりの田園地帯とは
違って、当時は三原は全国レベ
ルで都会の街よ(笑
現在の県庁所在地の殆どが各藩
の領主がいた大城下町だが、広
島県は全国的にも珍しい一国の
中に二つの城郭都市を持つ国で、
いわば三原は副都心だった。
これ、イナカモン的な手前味噌
ではなく、歴史上の史実として。
日本全国、城郭都市はシティと
いう街区だった。
メトロポリタンは江戸だったけ
どさ。首都は千年王国の京都だ
った。
 
旧お城の中のメインストリート
にあるタコの銅像。かなりの数
が通りに並んでいる。

タコヘル。



 


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