渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

推定判明

2022年10月28日 | open



刀剣鑑定に一番大切なものは、
それは学識ではない。
見抜く眼だ。眼力だ。
それはいくら座学を積んでも身
に着く事はない。
刀剣、焼き物、書画。骨董の世
界は贋物が実に多いが、それは
鑑識眼が備わっていると、見え
る一つの筋がある。

私は日本刀はある程度見える。
刀剣学習はことしでちょうど50
年目になる。
そこそこ勉強したし、痛い授業料
払って勉強させられた経験もある。
偽銘もそれなりに判るし、代銘も
見える。それは現代刀の裏世界の
事まで知悉するに至る。
その見抜きにはある特殊なセンス
という物が存在する。

それの援用で、キューにおいても
見えるものがある。
私の入手したこのキューは、どう
もステンシルでプリントされた
ブランド銘が腑に落ちなかった。
造り込みがどう見てもよく知る
メーカーの物であるからだ。
それまでのそのブランドの製品
とは根本から異なる。
銘など見ずに上(かみ)のみで見抜
く刀剣鑑識眼を動員したほうが
鑑するところに信憑性が高い。

ある資料から見えた。
このキューは、それこそよく知る
メーカーのキューで、製造は1987
年-1989年だ。(89年の線が濃い)
日本刀でいうならば影打ちのよう
な存在。
ステンシルの銘は後銘だろう。
あえて著名メーカーの銘にしてい
ない理由も推測が及んだ。
それは、日本刀にもよくある事だ
が、真打の入念作を際立たせる為
に、影打ちはその存在を消される
かのように扱われるのだ。

この作は、そのカスタムの影打ち
のような存在で作られた作だろう。
あるいは、テストピースとして
一品物の真打に先行して作った
簡略化したプロトタイプのよう
な物。
そのめぼしきメーカーのその頃の
タイムリーな国際的な動きの事実
とも背景と現出現象の事実がピタ
リと付合する。全てに説明がつく。
また、細かい技法と使用材料部分
で、他には見た事のないこのキュ
ー独自の「試し」が製作過程で
実行されているのも実物を精査
すると明らかになって来る。
この私の超長期間寝かされていた
キューは、2002年頃の作ではない。
1989年1月乃至2月に作られた物
だ。
昭和が終わり、平成の新元号の時
代が始まる頃だ。
私の鑑するところの見立ては、ま
ず間違いないだろう。

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