これが最後の稲刈り動画です。
実家の稲刈りを手伝う良娘。
ほんとに良い娘さんだと思
う。
農家の深刻な現実も伝えて
いる。
備前、備中、備後の国。
三国を合わせた大元の大国
の事を吉備の国といった。
出雲と並ぶ、古代の大きな
国だった。
この吉備の国には温羅(うら)
という吉備国を治めていた
在地勢力がヤマトの日本統
一過程で踏みにじられて産
鉄技術が剥奪されたという
悲しい歴史がある。
ヤマト政権は吉備を踏みし
だき征服し、出雲を傀儡化
させる事で成立した。
そして吉備征圧征服の軍事
作戦は「桃太郎」伝説とし
て朝廷により美化美談とさ
れた。
滅ぼされた在地勢力は「鬼」
であるとされてしまう勝者
が描く歴史によって。
だが、岡山県人は土性骨が
ある。根性がある。
「うらじゃ」という滅ぼさ
れた鬼とされた大元の超古
代の在地勢力を讃える素晴
らしい祭りを開催させてい
るのだ。
祭りというのは「祀り」か
ら派生し、ほとんどがヤマ
ト中央からの、つまりお上
が政治目的で敢行する「神
事」として行われて来た歴
史が日本にはある。
目的は、朝廷に従うか、あ
るいは中央に盾突く者かを
区分けし、従う者たちを
オオミタカラとして良民と
し、歯向かう者たちは鬼や
蛇や鹿や悪や悪衆(=葦)とし
て排除していくというもの
だ。そのために注連縄やそ
れに類する物を設えて結界
を作る。
それゆえ、すべからく日本
の祭りは神事である事が多
い。原意は血祭の祭りだ。
そしてそれらは古代製鐵と
も密接な関係を有している。
一方それらの祭りとは別に
人民の側から発生した祭り
は神事ではなくカーニバル
的な形態と実相を持ってい
る。
岡山県にある不撓不屈の魂
を讃歌とする「ウラじゃ」
の祭りには、祀(まつ)ろわ
ぬいにしえの魂の鎮魂とか
つての悲哀の払拭を求める
在地の人々の心が祭りとし
て形成されている。
ゆえに、不滅の岡山県人の
土性骨がそこには存在して
いるのだ。
全国的にも日本史の観点か
らも極めて珍しい、中央権
力には阿ねようとはしない
反骨の民衆の祭りとしてあ
るのが岡山の「うらじゃ」
だ。祭りの名の意味は「(わ
れらは)温羅だぞ!」という
意味だ。
吉備国の西方の範囲は、か
つては現在の広島県三原ま
でが吉備の国だった。
備後刀である三原の刀は、
備前福岡一文字派(現備前市)
から派生し、備中青江鍛冶
(現倉敷市)の流れと合流して
備後鍛冶(現福山市、尾道市、
三原市)の一大刀剣産地とし
て栄えた。
備前・備中・備後と分けて
考察するよりも、旧吉備国
の刀工群として広範に考え
たほうが実は刀剣史の流れ
と関係性としては正鵠を射
る現実がある。
ところが、そうした大局的
な視点はあまり刀剣界では
援用されてはいない。備前
と備後という吉備国分裂後
の行政区割りでキッパリと
分けるような意識性が強く
働いている。
だが、技法の連面性は如実
に残存日本刀の作品に残さ
れており、備後鍛冶の祖と
される備州(=備後)国分寺
助國などは明らかに備前福
岡一文字や鵜飼派の流れに
ある事は作品から見て明白
だ。
その流れが法華一条や多く
の備後鍛冶の作風へと繋が
って行き、古三原鍛冶(尾道)
へと続いたのだろう。
なお、さらに末物(室町以降)
の三原鍛冶は周防國の二王
との作域の共通性も強く観
られる。
これまでの刀剣界の見解で
は備後三原鍛冶は大和の流
れとする説が強かったが、
私はそれには大いに疑義が
ある。
備前刀、備中刀との繋がりが
備後刀には明らかに見られる
からだ。
そして、安藝の大山鍛冶には
備後三原派と周防の二王派と
の技術的共通項が顕著に現れ
ている。
備前から周防まで続く、刀工
群ベルト地帯が明らかに存在
している。
しかし、単独地域ごとの派と
いう見方しか刀剣界はしよう
とはせず、派生の連面性を俯
瞰的に見ようとはしない。
それには理由がある。
日本刀界には悪しき意識性が
古来よりあり、備前第一主義
ともいえる刀剣観があり、そ
れ以外は「脇物」と称して非
常に備前よりも低い連中、と
する備前中華思想を導入して
いるからだ。
それは、備前刀群が後鳥羽上
皇の御番鍛冶を務めた刀工の
大多数を占める、という事を
起因として、備前刀工こそが
気高く最良最上位である、と
する中世の鑑定師たちが創作
した思惟性に後世の人間たち
も依拠したところに原因があ
る。
それは昭和平成時代まで継続
していたし、今も根強く残存
している。
アッキーの今回の動画では、
ご親戚の備前焼の陶芸家の
方がアッキーの実家の藁を
使って備前焼を焼いている。
実は日本刀の製造には藁は
絶対不可欠で、鍛錬過程に
おいては、藁にまぶし、泥
を釉薬のようにかける。
これは単に脱炭を防ぐだけ
ではなく、フラックスとし
ての役目とケイ素の反応を
得る目的がある。
そして、その技法は、実は
古くは超古代に須恵器から
発達した備前焼の焼き物の
技法と密接な関係があるの
だが、日本刀界ではその刀
剣製造法と備前焼の技法の
結節点について解析しよう
とはしていない。
備前焼の技法の成立と変化
の過程に連動して日本刀の
製法の変遷が同時進行で見
られる重要な事実に日本刀
界は着目しようとしないの
だ。
刀は刀だけ観ていては駄目
なのだ。
それは木を見て森を見ない
のと同じなのであるから。
極言すれば、アッキーの実
家のような農家さんがいる
から日本刀が作れる。
これ、かなり日本刀につい
て重要な事なのだ。
そして、日本刀の焼き入れ
の際に一番適している焼刃
土は、田んぼの土を濾して
練った土なのである。
それに炭粉と大村砥の粉を
混ぜて乳鉢で何十時間も磨
って焼刃土を作る。
農家が作る稲→藁と田んぼ
そのものが消滅したら日本
刀は絶滅する。
そして日本刀界では決定的
に忘れている事がある。
もち米を使った餅つきは何
かに似ていると思わないだ
ろうか?
そう、日本刀の鍛造形態に
餅つきはそっくりだ。杵さ
えも。
そして折り返して練り叩く
事も。
実は、餅つきと刀剣製造は
繋がっているのだ。
鏡餅そのものが鍛冶と密接
な関係にある。鏡餅を敷く
三方の上の植物の葉がなぜ
カネクサであるのか、なぜ
餅の上に蜜柑を置くのか。
蜜柑は刀剣鍛造と極めて重
要な関係にある。
そして、鍛冶屋のフイゴ祭り
にはなぜ蜜柑が出て来るの
か。
それはすべてが古代において
結節した技術体系と思想性が
存在していたからだ。
そうした事は、歴史学だけで
なく民俗学を深めないと見え
ては来ない。
刀剣を見る時には、刀だけを
観ていては刀さえ見えなくな
るのだ。
アッキーの実家の藁が親戚の
方の備前焼の完成に重要な役
を持つのと同じく、日本刀の
製造にも現在第一次産業と呼
ばれる農家の仕事は貢献して
いるのである。
単に我々が食べる米を作って
くれるだけではない。
農家無くして日本刀の完成は
絶対にできないのだ。
そういった複合的かつ包括的
な正しい視点と着眼を以て刀
を正しく理解して行かないと、
本当に木を見て森を見ない=
物事そのものが見えない事に
なってしまうのだ。
そうしたあたりにお歴々含め
て現在の日本刀界はある。
つまらぬ派閥も存在する。
ほぼ全員が、森の中で迷って
いる。
毎日米を食う時に、ふと気づ
けばよいのだが。
日本刀完成までには、実に多
くの人々の存在があって、初
めて一口の日本刀が完成する
のだ、と。
日本の農家なくして日本刀は
作れないのである。