渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

江戸庶民の驚愕の生活!同じ日本なのに関東と関西での違いがヤバすぎた…

2024年12月03日 | open

江戸庶民の驚愕の生活!
同じ日本なのに関東と関西での
違いがヤバすぎた…


江戸時代、江戸市中の庶民と
上方京都大阪の人間の交流な
どは皆無に等しかった。
それはそうだろう。
実はその現象は、私が少年時
代の昭和40年代でもそうだっ
た。
東京で大阪弁を話し解する人
は一般的にはほぼいない。
京都・大阪人も自分らの方言
以外を知らないし東京弁など
は身近には存在しなかった。
島田紳助がかつて現役の頃
テレビ番組で言っていた。
「東京からの転校生が一人
だけおった。そいつが自分
の事をオレ言うんよ。映画
の世界だけでなくほんまに
オレ言う奴がこの世におん
ねんなと思うたわ」と。
私の世代でさえそれだ。
まして江戸時代。
ほぼ東西での人的交流など
は無かった事だろう。

まだ諸藩の武士は良い。
江戸の人口100万人のうち
武士人口は6割ほどだった。
諸藩の武士たちが江戸に参
勤交代で下っていたからだ。
そして諸藩の田舎侍たちは
殿に随行して江戸表に住し
た。
国許と江戸表は一年おきに
転住した。
浅葱裏の田舎侍と江戸庶民
にイナカモン扱いされなが
らも(特に吉原ではイナカ
モンは嫌われた)、諸藩の
武士たちは選抜により江戸
表に住した。
広島藩の場合は桜田門外
霞ヶ関と赤坂と青山原宿
に藩士は住していた。
一方直参旗本と御家人は江
戸府内に常住だった。
旗本は禄高は大名よりは少
ないが、格式は大名よりは
上の階層にあった。
なので、5000石の旗本も
46万5000石の大名よりも
格式は上だった。

江戸は爆発的な人口であり、
幕末にはパリを抜いて世界
一の人口過密都市となった。
世界一の街が江戸である。
江戸こそが一番。
私がこういう気風も、旧江
戸の御府内の生まれ育ちだ
からだというのは大いにあ
るだろう。
それは仕方ない。自分の責
任でもなんでもない。生ま
れた場所と育ち通った学校
がモロ江戸だ。特に生まれ
などは自分では動かしよう
もない。

そして、その気風は齢還暦
を過ぎても変わらない。
山村よりも街が私は落ち着
く。
星の見えない、夜も明るい
街のほうがずっと落ち着く。
それは古い地方の城下町に
東京から転住して四半世紀
が過ぎようとしていてもだ。
東京一番。
これは私の中で死ぬまで不
動だ。
理由は東京が都会で首都だ
からではない。
江戸だからだ。
別に悪気はない。

江戸もんだから、それぁ勘弁
してくれろ。

私と初めて刀友会の山梨合宿
で会った横浜生まれ育ち
の人
が私に言った。

「ネットでしか知らなかった
けど、実際に会うと話し方が
かなり江戸前なので驚いた」
と。
それが私の実のところの素の
日常語だ。
だが、言わねえよ。
「次の玉は、しだりしたしね
で撞く」とか。
言ってねーっつーの。
三原の撞球会ではジモチーに
よくそう言っていじられたが。
広島はきちんと「ヒロシマ」

と発音できるもんねー。
日比谷公園も「ヒビヤコウエ
ン」と言えるんだから。
東京の戦前の芝区新橋生まれ
育ちの刀工康宏師匠みたいに、
どうあがこうが、日比
谷公園
が渋谷公園にはなっち
まわな
いぜ、おいらぁ。

数年前、康宏師匠と工房で話
してい
て「わかりやした、親
方っ。
シビヤ公園すねっ」と
スネークマンショーのように
言った
ら周りの連中に「しど
いよね。聞いた?
シトを馬鹿
にするってのは
この事だよね」
と言ってた(笑

ところがだ。
岡安鋼材の社長から私に直に
「なおちゃん(康宏の本名
直紀の事)から電話番号教え
てもらってかけてるんだけど、
あーたは凄いねぇ」と電話が
あった。
その時下町生まれ育ちの岡安
社長は康宏直紀師匠と全く同
じ発音で、康宏をヤスヒロと
発音できずにヤッチロと言っ
てた。正調江戸弁。
いや、さすがに目黒の秋刀魚
で学校小石川通いの俺も
それ
はねぇな、と思っただよ
な。
ちなみに刀工康宏は自分の
刀工名を正確に発音できない。
小林ヤッチロと発音する。
ま、しかたねぇよな。江戸も
んだから。
なお、月島は地面の誕生が明
治以降
なので、左久作の兄さ
んは江
戸弁は離さない。標準
語で日常会話を話
す。

柱の陰で見守る康宏師匠が
かわゆく見える(笑
これは某大学の先生に斬鉄
剣小林康宏日本刀鍛錬所に
て切りを説明
している時の
様子。畳表は2時間浸けだ。

操刀の基本

切りの第一歩

斬鉄剣鍛造の工程の秘伝の一、
冷鍛の音が背後に入っ
ている
動画。

無双直伝英信流(山本晴介系)
の抜きつけ

斬鉄剣焼き入れ、焼き戻し
後に土を削ぐ小林康宏師匠。
この後、この刀身を刀工会
合宿参加者全員で鉄柱に何
度もこれでもかという程に
叩きつけた。
L字アングルの台座の柱に
切れ込みができるのみ。
刀身はびくともしなかった。
本物の斬鉄剣。
実は玉鋼はB2あたりが一番
良い。だが、一度卸鉄でリ
セットさせる。古鉄を卸し
て混ぜる。二代目康宏の作
域は山城粟田口に似るが、
初代と同じく虎徹の作刀の
試験的試みに近似している。
ただし、沸かしと鍛造の炉
は中世伝を復元し、焼き入
れの方法も水心子の新伝=
現代標準とはまるで異なる。
でないと斬鉄剣などは出来
ない。包丁みたいな脆い鋼
の延べ鉄になってしまう。

 




 
 


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