最近すこし脱力状態になっている。子供達が成人になっても
やはり社会人になるまでは、どこかで保護者という意識が強い。
その子供の一番下も来年は社会人になる。
安心すると共に少し気が抜けた
ママ友の中には子供が幼稚園に入園した時に「手元から離れるみたいで
泣けたのよ」との思いをかなりの人から聞いた。
その頃私はその感覚がわからなかった。どちらかというとよーやく自分の
時間が少しは持てる!その期待の方が大きかった。
私はどちらかというとドライな親で子供がいようが子供中心の生活に
しようとは思わなかった。私の時間も欲しいし、夫との時間も欲しいと思った。
夫との時間は今はあまり望んではいないが・・・
もちろん子供達が大人になるまでは良き助言者、援助者であろうとはした。
お嬢の中学か何かの入学式だったかな?その式の中で校長先生のお話で
「あなた達はこの学校からの社会へのお手紙です。」とお話しされたと思う。
まさに子供を育てるという事はそう言う事だったのだ。ウチの3人の子供達は
我が家からの社会への、世界への手紙だ。
そう思うと私の人生で手掛けた物の最大の物は子供達だったのだな~。
名もなき小さな生き物に名前を付ける当たり前のように考えていたけれど
名前を付けた途端にそれぞれの人格が形成される。それはこの宇宙でたった
一つの個性なのだその個性の名付け親は私だぞ
聖書の最初に「神は光あれと言われた」とある。「光」という言葉を造らなかったら
光はなかったのだ。全ての物は言葉で生きる。
しかしながらこうして脱力感に襲われているのは「私の人生を子供中心には
しない」との主義を貫いていたつもりで実はかなりの部分を子供に占領されて
いたのだろう。以前ほど色々なものに興味を持たなくなってしまった。
特に知的な部分への興味が非常に失せた
これは大反省で、知らず、知らずにただの「母親」になっていた自分を一個の
人間として復活させなくてはならないな・・・
「芋がら」って知っていますか?その芋がらを使った煮物を作った。
以前TVで東北のどこかで芋がらの煮物料理が紹介されており、蕗やら姫筍と
身欠きにしん、芋がらがそれはそれは美味しそうに炊き合わさっていた
私は実にこのような純田舎料理に目が無い。単純に憧れている~
そして単純に美味しそうに見えちゃう!
で、さっそく作ってみたらこれがとても美味しかった。芋がらは柔らかいのだけれど、
シャキシャキッとした食感がある。調べてみると里芋の茎を乾燥したものらしい。
ミネラル・たんぱく質などが含まれる安価な栄養食品という事だ。
お店で芋がらを見つけたので、田舎風煮物を作ろうと姫筍や蕗の水煮を買いに
銀座の岩手銀河プラザに出かけたら、見事になかった。
この手の物は有楽町の秋田アンテナショップかこの岩手のアンテナショップに
おいてある。秋田の方が少し高いので、岩手を利用していたのだが、きっと
震災の影響か品物が少なくなっているのだろう。
ならば普通の筍を入れようと思ったが今年はどういう訳か筍が高い!
で断念し蕗だけを買って来た。
身欠きにしんの代わりにお手軽に天ぷらを入れてみました。
こういう田舎料理は大きな器にどーんと盛ると美味しそうに見えますね