都市近郊の田んぼの中に神社がある。ここは小さな町を一歩出たところ。左にある住宅は新興の小さな分譲団地である。
鎮守の神様は村の守護神。車を走らせていると小高い所に鎮座する氏神様をよく見かける。平地では町はずれの田んぼの中に鎮守の森をつくることもある。この神社は八幡宮で昔でいえば村社、いまは字として名前が残る村の鎮守である。
応神天皇を主祭神としているためか、拝殿前の狛犬はいまにも飛びかからんとしている。この地方では珍しい形である。鎮守の森とはいかないまでも、境内には大木が濃い影を落としている。村の鎮守様には縁がない町っ子の私だが、佇んでいると、昔ここにいたことがあるような微かな郷愁を覚える。
作家の五木寛之は最近のエッセイで「ノスタルジーは、生きるエネルギーである」と書き、ノスタルジーにひたる高齢者のひそかな楽しみは、老いた人間の特権であるとも言っている。巷間、昔の思い出話にふけるのは老いた証拠だというが、若い人には味わうべき果実はまだないともいうべきか。
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