三柱神社の秋季大祭、御賑会(おにぎえ)に出かけました。柳川は水郷の町。参道の太鼓橋から川下りの発着所を見下ろします。
露店が並ぶ向こうに「どろつくどん」の山車が見えます。秋季大祭はこの日が本祭で、御神幸行列が行われるのです。
「どろつくどん」とは、山車から大きく身を乗り出した踊り手が太鼓やドラの激しいリズムに乗って踊りを繰りひろげるものです。まだ行列の出発前ですが、それぞれの山車が披露を兼ねて踊り始めています。
踊り手が被る面には般若、天狗、お多福などがあり、それぞれに意味があります。体を乗り出すので、落ちないよう後ろで腰紐をつかんでいます。
御神幸行列の前に三柱神社に参拝しました。行列の準備が始まっていました。三柱神社は柳川藩の藩祖、立花宗茂とその妻、岳父を祀っています。おにぎえは三柱神社が城内の三の丸から町人地に遷座した際に、五穀豊穣の願いと神様を喜ばせるため賑やかにしようと始まったといいます。
拝殿前で風流の奉納が行われていました。
神幸行列が始まりました。
山車は三柱神社の地元の各町から出ます。昔は20基以上も出て文字通り大賑わいだったそうですが、いまは5基が運行されています。
蟹町の山車。おにぎえは女性の参加が多いです。
飛龍山車。この山車はニ十数年前、若手の呼びかけで町の枠を越えて新しく作られました。時代の変化や人口減で山車を継承する町が減ってきた中での取り組みです。
鯉口シャツに腹掛け、法被が祭り衣装です。祭り衣装を着た年配者は「取締役」や「宰領」と呼ばれて威厳があり、若者は勇んで見え、女性は小粋です。
上町の山車。
旭町の踊り山車。この山車で踊りを披露します。出発前に子どもが踊っていました。運行中は三味線や締太鼓でお囃子を奏します。以前来た時は3、4基の踊り山車が出ていましたが、今年は1基だけでした。太鼓橋を上るので引き手は気合が入っています。
神社の御輿が来ました。
その後に武者行列。同好会の人たちです。
御神幸行列が通り過ぎたあとの参道脇の川下り乗船場。向こうの建物は松月文人館。明治40年、明星派の詩人たちが九州北部を旅した時の紀行「五足の靴」や、北原白秋の詩集にも登場する建物です。建築当初は懐月楼という名前でした。
おにぎえ見物は5年振りでした。祭りはいいですね。親から次の世代へと伝承され、囃子の音を聞くと血が騒ぎます。祭りに参加するため帰省する人もいると聞きました。柳川は小学生の時、三柱神社近くの叔父の家に泊まりに来ていたので馴染みのある町です。
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