田園都市の風景から

筑後地方を中心とした情報や、昭和時代の生活の記憶、その時々に思うことなどを綴っていきます。

吉野ヶ里歴史公園の古代ゾーンを歩く

2018年05月17日 | 吉野ヶ里

 吉野ヶ里に行きました。吉野ヶ里遺跡は丘陵地に広がる古代集落跡です。公園としては国営、県営あわせて総面積117ヘクタールに及ぶ広大な歴史公園です。

 公園のHPからお借りした園内図です。この歴史公園は丘陵地にあり、東西1キロメートル、南北2キロメートルの細長い公園です。図の上が北になります。

 

 この日は北口から入り、公園の北部に広がっている古代の森を歩きます。これまで吉野ヶ里には何度も来ましたが、ここだけがまだ未踏のエリアなのです。

 北口サービスセンターの前には芝生広場があります。古代植物館までシャトルバスに乗ることにしました。乗客は私一人です。途中で窓越しに一組のご夫婦を見かけただけで、誰もいません。このエリアは、イベント時以外は入園者も少なく静かです。 

 古代植物館をちょっと見学して、公園の中央部にある北墳丘墓まで歩くことにしました。古代の森ゾーンには建物の遺跡はありません。

  この公園は草刈りが行き届いているためか、野草の花をあまり見かけません。

 

 古代の森といっても、昔の木々や植物が残っている訳ではありません。発掘の際に表土も削り取られて丸裸になりました。現在の林は、近くのダム水没予定地だった所の樹木を移植したものです。それも樹木だけではなく、表土も含めて土地ぐるみの引っ越しでした。

 緑が深い園路を歩きます。あたりは森閑としています。

 誰もいないと思っていたら、一人の青年とすれ違いました。遠くに人影が見えたと思うと、あっという間に近づいてきて足早に去って行きました。お互い挨拶もしませんでした。

 林を歩いていると、子どもの頃に田舎道や野原を歩いたことを思い出します。夏休みに先生や友達と昆虫採集に出かけたり、春にはピクニックを楽しみました。

 当時は町外れの農村部には田畑が広がり、雑木林がありました。未舗装のでこぼこ道は、夏の陽の照り返しもあまりなかったように思います。

 歴史公園の中央部まで来ました。環壕の向こうに小丘が見えます。北墳丘墓です。ここは歴代の首長の墓と考えられており、高さは5メートルほどあります。

  墳丘墓の中に入ることが出来ます。墳丘墓では14基の大型甕棺が発掘されました。

  保存のため、遺構の表面に樹脂を塗布しています。甕棺はレプリカではなく本物です。

  墳丘墓の前で祖霊に供物を捧げている場面のジオラマです。

 墳丘墓の前に、祠堂と祖霊が宿る柱が復元されています。柱の穴跡は直径1メートル半、深さが1メートルありました。

 北墳丘墓から少し離れた北内郭にまわります。ここは今でいえば行政センターで、まつりごとが行われていました。真ん中に見えるのが主祭殿です。周囲は二重の環壕と柵列で囲まれています。

  主祭殿の2階です。首長や周辺のムラの長たちとの話し合いの様子が再現されています。

 同じく3階の祭殿です。巫女が祖霊の託宣を受けています。その結果は下にいる支配者たちに伝えられるのでしょう。

 北内郭を出て最初に入園した北口に戻ることにしました。墳丘墓の見学を終えた小学生たちが歩いて行きます。遺跡と小学生と、のどかな風景に思わず笑みがこぼれました。

  

 往きは古代ゾーンの西を歩きましたが、還りは東側の園路を行きます。途中に甕棺墓列がありました。ここには一般人が埋葬されており、長さが600メートル、2,000基を超える甕棺がありました。向こうの方まで墓の位置を示す土饅頭があります。

 こうした墓地は遺跡内に数か所あり、全体で15,000基の甕棺が埋められていると推定されています。

  散策路をのんびりと歩きます。

  小さなヤブツバキが一輪だけ咲き残っていました。

 北口サービスセンターに戻ってきました。この日の滞在時間は2時間半。自然の中を歩いていると開放的な気分になり、日頃の屈託も忘れます。

   

 

 

 

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