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お疲れ様です。
みなさまお元気ですか?
今日は先日、
休日を間違えて出社した日に立ち寄った場所
のパート2です。
ちょっと見にくいですが、
現在復元中の「鼠多門復元」工事です。
その日は加賀藩の前田利家とお松の方を
祀った「尾山神社」に寄ったのですが、
そこから、さらに「金沢城公園」の方へ
向かいました。
尾山神社を出るとすぐその現場。
それが、地元新聞でもニュースになっている
「鼠多門復元」工事です。
それが、地元新聞でもニュースになっている
「鼠多門復元」工事です。
今年夏場完成に向けて着々と
工事は進められています。
工事は進められています。
この「鼠多門」
現在の尾山神社の場所にあった「金谷出丸」
そこはらお堀を挟んで
金沢城の西側にあった「玉泉院丸」に
繋がる二階建ての櫓門(やぐらもん)です。
金沢城の西側にあった「玉泉院丸」に
繋がる二階建ての櫓門(やぐらもん)です。
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創建は、いろいろな資料から推測すると
江戸時代前期と予想されています。
江戸時代前期と予想されています。
金沢城は残念ながら
宝暦9年(1759年)の大火で
建物が、かなり消失してしまいました。
ですが、この「鼠多門」は
その火災を免れ、明治10年(1877年)
くらいまで倉庫などとして利用され
なんとか持ちこたえていたのですが
残念ながら、明治17年(1884年)
の火災で消滅してしまいました。
今回はそんな「鼠多門」の復元です。
完成イメージは
こんな感じになるらしいです。
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屋根は木型を薄い鉛の板でおおう鉛板
外壁上部は白漆喰(しろじっくい)
海鼠壁の平瓦の目地には、黒漆喰(くろじっくい)が用いられ
他の門とは一線を画すデザインだったようです。
そして、鼠多門を出るルートは
非公式に使う「勝手方ルート」ではないかと
考えられてます。
建設については
今では使われることが少なくなった
伝統工法が実際に使われる場となり
関わる職人達からは
「復元工事は最高の勉強の場。
次の世代に経験や技術を伝えたい」
そんな言葉も出ているようです。
現在は橋の一部が
少しだけ顔を覗かせてました。
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完成は東京オリンピックに
合わせた夏ごろ
どんな建物になるか楽しみです。
ということで
今日は、職人の伝統的な匠の技が生かさせる場所
「鼠多門復元」工事
でした。
夏以降になりますが
金沢観光の際には是非
お立ち寄り下さい。