図:人類の祖先の類猿人から初期人類にかけての数百万年間は主に森林に生息して木の葉や果実などの植物性食糧が主体であったため、栄養素としては糖質が主体であった。250万年くらい前から氷河期に入ると森林が縮小し人類は狩猟採集によって食糧を得るようになり、動物性の食事が主体になって糖質摂取量は減っていった。約1万年前に最後の氷河期が終わると農耕や牧畜が行われるようになり、人類は再び糖質の多い食事に戻った。産業革命後(19世紀以降)は精製した糖質の摂取が増え、さらに1970年代以降は砂糖や異性化糖などの単純糖質の摂取量が増加した。狩猟採集時代に人類は低糖質食に適応するため、インスリン抵抗性の形質が進化した。つまり、人類はインスリンが効きにくい体質を持っているため、近年における単純糖質の摂取過多が肥満や糖尿病やメタボリック症候群やがんを増やす結果となっている。
日本人はインスリンの分泌能が欧米人の半分くらいと言われています。倹約遺伝子は欧米人より多く持っていると報告されています。これは、農耕が始まったのは日本ではヨーロッパに比べてかなり遅れたためかもしれません。高糖質食に適応する時間が短いためです。
最近まで狩猟採集を行っていた地域に糖質の多い西洋的な食事が導入されると、急速に2型糖尿病が増えることが知られています。例えば、米国アリゾナ州のピマ・インディアンやオーストラリア先住民のアボリジニや南太平洋のナウル共和国の住民は肥満や2型糖尿病が極めて多いことが知られています
これらの住民は昔から肥満や2型糖尿病が多かったわけではなく、農耕が行われずに狩猟採集で最近まで暮らしてきたところに、西洋文化が導入されてグリセミック指数の高い糖質の多い食事をするようになったからです。つまり、糖質の多い食事に遺伝的に適応できていなかったことが原因になっています。
このように狩猟採集を行っている民族が、西洋的は食事や生活習慣を取り入れると、すぐに肥満や糖尿病や動脈硬化が増えることが多くの例で確かめられています。逆に、肥満した人を一時的に狩猟採集時代のような食生活を生活環境で生活させると数週間で2型糖尿病が治るという報告もあります。
【人類は糖質で太りやすい体質を持っている】
人類が狩猟採集時代にインスリン抵抗性を獲得したという「肉食関連仮説(Carnivor Connection Hypothesis)」の他にも、人間が肥満や2型糖尿病になりやすい理由を説明する仮説が幾つもあります。
その一つに「倹約遺伝子仮説(Thrifty Gene Hypothesis)」があります。狩猟採集では食物が規則的に獲得できるという保証はありません。季節的に食糧が入手できない太古の環境では、食事摂取できるときに体内にエネルギーを溜め込むために必要ないわゆる倹約遺伝子と呼ばれる遺伝子が進化の過程で人類の遺伝子プールの中に広がったという考えです。
基礎代謝量を少なくしたり、脂肪の蓄積を促進するような遺伝子が倹約遺伝子の候補になっています。
食物が足りないときには、少ないエネルギー消費量で生き残れる倹約遺伝子型を持っている人が有利です。しかし食物が豊富になると倹約遺伝子型を持っている人は肥満や糖尿病になりやすいと考えられます。この仮説は1962年に米国のニール(James V Neel)博士によって提唱されています。
その他、英国の生物学者スピークマン(John Speakman)博士の提唱している「捕食者解放仮説(Predation Release Hypothesis)」という理論もあります。
動物はより大きい肉食動物からの捕食を避けるために肥満になりやすい形質は淘汰されるという考えがあります。肥満した動物は逃げるのも遅く、かつ捕食者にとっては太っているほど獲物として魅力があります。つまり肥満は動物にとって生存しにくい形質であるため、肥満になりやすい遺伝子型は生物界の遺伝子プールには広がりにくいと考えられます。
しかし人類は火や道具を使うようになり、知能が発達して捕食者に対する防御も容易になりました。100万年くらい前に人類は捕食者からの脅威を逃れることができるようになり、捕食者からの危険が無くなったので、体重を制限するという進化上の選択圧が無くなったので、肥満になることを許す遺伝子が人類の遺伝子プールの中に広がったという仮説です。
肥満者は捕食者の餌食になりやすいので、肥満になりやすい遺伝形質は進化上淘汰されますが、人類の知能が進化して捕食者の脅威がなくなればそのような選択圧は不要になるということです。
このように、現代社会で肥満や2型糖尿病が増えている理由を説明するためにいろんな仮説が提唱されていますが、恐らくこれらの理由が複合的に作用して人類は太りやすい体質を持っていると考えられます。
食糧が豊富になり、体を動かさない生活が増えた現代において、このような太りやすい体質が肥満や2型糖尿病を増やす原因になっていると考えられます。
【食事中のタンパク質含量が減ると食事の量が増える】
肥満の原因を議論するとき、多くの研究者は炭水化物(糖質)と脂肪の摂取量を重視しています。
タンパク質に関しては、全摂取エネルギーのせいぜい15%程度をタンパク質から摂取しているに過ぎないというという事実と、肥満が流行するようになってもタンパク質の摂取量は変化がないからです。
しかし、タンパク質の摂取量が少し減っただけで、てこの原理のように人間の摂食行動に大きな影響を及ぼすことが示されています。
すなわち、食事中のタンパク質の量が減ると、食事の量が増えるという関係です。低タンパク食では食事の摂取量が増えるという現象は、昆虫、魚、鳥、齧歯類、霊長類、人間と多くの生き物で確認されています。
脂肪や糖質は主に体を動かすエネルギー源となりますが、タンパク質は筋肉や内臓や血液などの細胞を作り、生命活動に必要な酵素やホルモンや増殖因子などを作っています。
タンパク質は細胞の中や血管内に存在することで細胞内や体内の浸透圧を保っています。浸透圧が一定に保たれていないと、水分やミネラルが勝手によそに移動してしまい、生命を維持することができません。
このようにタンパク質は生命の維持と体内の代謝を円滑に行うためになくてはならない栄養素であるため「生命の源」と呼ばれます。つまり、生き物にとって、栄養素の中で糖質や脂肪より蛋白質の方が重要なのです。
タンパク質が摂取できなくなると、ショウジョウバエは交尾を先延ばしにし、こおろぎは共食いを初め、人間は過食になると言われています。
「多くの生物は体に必要な量のタンパク質を獲得するまで食事の摂取量を増やす」という理論は英国のオックスフォード大学のシンプソン博士(Stephen Simpson)とルーベンハイマー博士(David Raubenheimer)が2005年に「Protein leverage hypothesis」という名称で報告しています。「protein」は「タンパク質」、「leverage」は「てこ」、「hypothesis」は「仮説」という意味です。直訳すると「タンパク質てこ仮説」になります。なぜleverage(てこ)なのかと言うと、食事中のタンパク質の量がほんのわずかに変化するだけで、てこの原理のように食事摂取量が大きく変わるからです。
例えば、体重70kgの体重の男性にとって必要なカロリーが2400キロカロリーで15%(360キロカロリー)をタンパク質から摂取していたとすると、残りの85%(2040カロリー)が糖質と脂肪から摂取することになります。360キロカロリーのタンパク質は90グラムです(タンパク質1gが4キロカロリー)。
食事中のタンパク質の含量が13%に減ると、90g(=360キロカロリー)のタンパク質を摂取するには、摂取カロリーは360÷0.13=2769キロカロリーになります。つまり、食事に含まれるタンパク質の量が15%から13%に減ると、同じ90gのタンパク質を摂取するために、369キロカロリーも増えるということです。これは毎日体脂肪が40gづつ増えることになります。
実際に米国では、食品中のタンパク質の濃度が平均14~15%から最近は12.5%に減少しており、これが米国において摂取カロリーが増えた原因だという意見があります。
タンパク質は体を作るものとして体はより要求度が高いので、糖質が増えてタンパク質の含量が減れば、それだけ多くの食事を食べなければなりません。
体にとってはカロリー過剰になって肥満になって不健康になるリスクより、タンパク質が不足する方が重大事だということです。摂食量が増えれば、摂取カロリーも増えて肥満になることになります。
食事中のタンパクの含有量が1.5%低下すると、摂取カロリーが14%上昇するという計算がなされています。つまり、食事中のタンパク含量がほんのわずか変化するだけで、摂取カロリーが大きく変化するというのが「タンパク質てこ仮説」です。
この仮説は人間での臨床試験で実証されています。また、高タンパク食が減量効果や肥満予防効果が高いことが明らかになっています。
【肥満は流行する】
米国では「肥満の流行(Obesity Epidemic)」と表現されるくらい急速に肥満が増加しています。
米国ではこの30年間で肥満(BMIが30以上)は2倍以上、小児の肥満や成人の高度の肥満(BMI35以上)は3倍になっています。米国の人口の3分の1が肥満(BMI30以上)、3分の1が過体重(BMIが25~30)です。
BMIはBody Mass Indexの略(日本語ではボディマス指数)で、体重(kg)÷身長(m)÷身長(m)で求められます。肥満度の指標として使用されます。
精製した穀物や、高濃度のフルクトースを添加した高フルクトース・コーンシロップや砂糖のような単純糖質が増えたことが、米国における肥満と糖尿病の増加の元凶だと考えられています。
以前は肉と脂肪の摂取過剰が肥満の原因だと考えられ、1970年代以降は肉と脂肪を減らす食事指導が行われ、実際に脂肪とタンパク質の摂取が減っているのに、肥満が爆発的に増えています。
最近では、糖質を減らし、タンパク質や脂質(特にオリーブオイルやω3系多価不飽和脂肪酸)を増やす方が良いと考えられています。
前述のように、人間はインスリン抵抗性という体質を持つことによって低糖質の食事に長い期間(200万年以上)適応してきました。それが、高糖質食になってインスリンの分泌が増えたことが肥満の原因になっています。インスリンが効きにくい体質になっているため、糖質摂取が増えるとインスリンの必要量が増えるからです。肥満の解消には糖質摂取を減らすことが最も効果が高いことは明らかです。
また、妊娠中の子宮内での胎児の環境が、生後の代謝や成長に影響することが明らかになっています。遺伝情報は遺伝子のDNAの塩基配列とは別に、DNAのメチル化や、DNAに結合するタンパク質のヒストンの修飾(アセチル化など)によって遺伝子発現が変化します。
このようにDNAの塩基配列(=遺伝情報)が同じなのに、使う遺伝子と使わない遺伝子に目印をつけて、細胞に変化を生じさせる現象をエピジェネティクスと言います。遺伝子発現の状態が、食物や環境や生活習慣などの外部からの影響を受けて変化するという現象です。
妊娠中に高血糖や高インスリン血症が続くと胎児の遺伝子にエピジェネティクス的な変化が起こって、肥満になりやすい体質になることが知られています。つまり、母子間の2世代で肥満が遺伝する可能性です。「肥満は流行する」というのは遺伝子のエピジェネティクスによる制御の重要性から本当かもしれません。
【なぜ生活習慣病が増えているのか】
肥満や糖尿病やメタボリック症候群などの生活習慣病は、遺伝的要因と環境要因によって発症リスクが決まります。
糖尿病の疑いがあるとき、最初の診察で医者がまず聞くのが家族歴です。糖尿病になりやすい遺伝形質があるからです。親や兄弟に糖尿病患者がいると糖尿病にないりやすい体質をもっており、この状態で運動不足や過食といった環境要因が重なると糖尿病を発症します。
中国では大量の米が消費され食事中の糖質の割合が多いのが特徴です。体を多く動かすので、農村部の多い中国では今まで肥満はあまり問題になっていませんでしたが、経済成長とともにライフスタイルが変わり、中国の都市部では肥満が増加し、糖尿病も急激に増えています。
欧米人はインスリンの分泌能が高い人種です。その結果、糖質の摂取が増えると肥満を起こしやすい体質を持っています。この遺伝形質だけであれば肥満も糖尿病も起こりません。産業革命以前は穀物は潰したり荒く粉にしたりして調理していたので、食物繊維が豊富で糖質の消化や吸収が遅く、インスリンの分泌も多くありませんでした。
しかし、産業革命後は機械による穀物の精製技術が進歩し、精製した糖質や砂糖の摂取量が増え、インスリンの分泌が増えたために肥満が増えました。
高血糖によるインスリン分泌刺激が増えると、膵臓のランゲルハンス島のβ細胞の酸化ストレスが増強し、β細胞がアポトーシスで死滅して数が減っていき、最終的にはインスリン分泌能が極端に低下して糖尿病を発症します。
農耕が始まっても、つい最近までは肥満も糖尿病も例外的なものでした。つまり、食糧が十分に獲得でき、労働で体を動かす必要のない上流階級の病気でした。しかし、近年は肥満と糖尿病はごく普通の病気になりました。
精製した穀物や単純糖質の消費が増え、機械の発達によって労力を使わなくなり、暖房や衣服の発達によって寒い気候でも体の熱産生を高める必要がなくなりました。その結果、摂取エネルギーが消費エネルギーを超えるようになり、太りやすい体質を持っている人は簡単に肥満になります。
前述のように人間は肥満になりやすい形質を多数持っています。つまり生活習慣病を起こしやすい遺伝的要因は人類の中に蔓延しています。
残念ながらこのような遺伝形質を体から消し去ることはできません。このような遺伝形質が人類の遺伝子プールから消えるには何万年も何十万年もかかります。つまり、遺伝的素因は自分の責任ではどうすることもできません。
したがって、生活習慣病を減らすには環境要因を改善するしかありません。その第一が精製した糖質の摂取を減らすことです。
さて、昨日の新聞報道(ネット上でも話題)によると、世界保健機関(WHO)が糖類摂取に関する新しいガイドラインで、BMI正常範囲の成人の1日糖類量をティースプーン6杯程度(約25g)を推奨するそうです。
2002年のガイドラインでは糖類摂取量を1日の総エネルギーの10%未満とすることが推奨されていました。1日の成人の摂取総カロリーを2000キロカロリーとすると10%で200キロカロリーで糖類50gまでの摂取が以前は許容されていましたが、これでは多すぎるというのが専門家の意見のようです。
今回のガイドラインでは糖類摂取量を総摂取カロリーの5%以下にすることが望ましいという見解です。
「糖類」というのは、グルコース(ブドウ糖)やフルクトース(果糖)などの単糖類と、スクロース(蔗糖)やラクトース(乳糖)などの二糖類が含まれます。
これらは食品に添加されているだけでなく蜂蜜や果物にも多く含まれています。
コーラやサイダーのような清涼飲料水には1缶(350ml)に30グラム以上の糖類が入っています。
リンゴ1個(可食部約300グラム)には約40g、バナナ1本(可食部約100グラム)には約15グラムの糖類が含まれています。ソースやトマトケチャップの大さじ1杯(約15グラム)には約4gの糖類が入っています。
糖類の摂取量を成人で1日25グラム以下に制限するということは、リンゴ1個やバナナ2本でこの推奨量を超えてしまいます。糖入りの普通の清涼飲料水は1缶飲めばオーバーです。
米や小麦などの穀物にはデンプンとして糖質が含まれています。糖類(単糖類と二糖類)にデンプンなどの体内で分解されてカロリーになる多糖類(単糖が多数結合したもの)を加えたものを糖質と言います。糖質と食物繊維(消化管で分解されないのでエネルギー源にならない)を加えたものを炭水化物と言います。
WHOが糖類の摂取量の制限を厳しくしているのは、糖類の摂取量の増加が、最近の世界中の肥満や糖尿病やメタボリック症候群の増加の原因であることが明らかになったからです。
糖類摂取の制限をかなり厳しくしないと最近の肥満の流行は食い止められないというWHOの焦りを感じるようなガイドライン(指針)です。
参考文献
Obesity: evolution of a symptom of affluence. How food has shaped our existence. The Netherland Journal of Medicine, 69(4): 159-166, 2011年
The carnivore connection hypothesis: Revised. Journal of Obesity, Volume 2012, Article ID 258624
If Body Fatness is Under Physiological Regulation, Then How Come We Have an Obesity Epidemic? , Physiology (Bethesda). 29(2):88-98. 2014年
Obesity: the protein leverage hypothesis. Obes Rev. 6(2):133-42.2005年
その他、多数
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