がんの予防や治療における漢方治療の存在意義を考察しています。がん治療に役立つ情報も紹介しています。
「漢方がん治療」を考える
357)ジェームズ・ワトソンとがん治療:②抗酸化剤ががんを促進する?!
図:放射線や多くの抗がん剤は活性酸素種を産生してがん細胞にダメージを与えて死滅させる。したがって、このような治療を行っているときに抗酸化剤を併用すると細胞を死滅させる効果が減弱する。がん細胞、特にがん幹細胞は、活性酸素種を消去するグルタチオンの細胞内レベルが高く、抗酸化酵素の発現を誘導する転写因子のNrf2の活性が高いので、活性酸素種によるダメージに抵抗性を示す。したがって、がん細胞の抗酸化力を減弱させる抗-抗酸化剤(Anti-antioxidant)はがん治療薬として有望視されている。ジェームズ・ワトソンは最近の講演や論文の中で、「がん治療における抗酸化剤の問題点」を指摘し、「末期のがんにおいては抗酸化剤はがんを促進する」「抗酸化性のサプリメントは、がんを予防するよりがんの発生を増やす可能性がある」という趣旨の発現を行っている。
357)ジェームズ・ワトソンとがん治療:②抗酸化剤ががんを促進する?!
【抗酸化剤の2面性】
酸化ストレスの2面性については352話で解説しています。以下に要点をまとめておきます。
①細胞がミトコンドリアで酸素呼吸を行うと活性酸素が発生し、炎症が起こると炎症細胞から活性酸素やフリーラジカル(化学反応性が高まって他の物質を酸化する原子や分子のこと)の産生が増える。
活性酸素やフリーラジカルは、DNAやタンパク質や脂質と反応してDNAの変異や細胞のダメージを生じさせる。
このように、活性酸素やフリーラジカルによって細胞が酸化傷害を受ける状況を酸化ストレスと言う。
②酸化ストレスの増加に対しては、細胞は活性酸素を消去する酵素(スーパーオキシド・ディスムターゼ、カタラーゼ、グルタチオン・ペルオキシダーゼなど)の発現や活性を高めたり、フリーラジカルを消去するグルタチオンなどの抗酸化物質の生成を高めたりして、酸化ストレスを軽減しようとする。
③酸化ストレスの増大は、がんの発生や再発を促進し、がん細胞の増殖や悪性進展を促進する。したがって、細胞の抗酸化力を高めることはがん細胞の発生やがん細胞の悪性化進展の抑制につながるので、「抗酸化物質の投与や抗酸化酵素の誘導によって抗酸化力を高めることは、がんの発生や再発の予防に役に立つ」と考えられている。
④しかし一方、がん細胞はこの抗酸化力を利用して治療に抵抗性になっていることが明らかになっている。放射線治療や抗がん剤治療は、酸化ストレス(酸化傷害)による細胞のダメージががん細胞を死滅させる作用として重要であり、がん細胞は正常細胞と同様に、酸化ストレスを軽減する仕組みを利用して、放射線や抗がん剤に対して抵抗性を獲得している。
特に、がん幹細胞が治療抵抗性なのは、グルタチオンなどの抗酸化物質の量が多いためと考えられている。
⑤したがって、「放射線治療や抗がん剤治療を行うときには、がん細胞の抗酸化力を弱める方法を併用すると、抗腫瘍効果を高めることができる」ということになる。
実際に、がん細胞の抗酸化力を阻害する薬の開発ががん治療に役立つという観点からの研究論文が数多く発表されている。また、がん細胞の選択的に酸化ストレスを高める物質の抗がん剤としての可能性が検討されている。
つまり、抗酸化剤の摂取は、早期のがんの段階で、治療終了後の再発予防の目的では有用かもしれませんが、進行した晩期のがん(late-stage cancer)では、放射線治療や抗がん剤治療の効果を妨げ、がんの進行を促進する可能性があるということになります。また、進行がんにおいては、がん細胞に選択的に酸化ストレスを高める治療法の有効性が指摘されています。
その観点から、がん幹細胞の抗酸化力の主体になっているグルタチオンを枯渇させるスルファサラジンの治療効果や、抗酸化酵素の発現を誘導するNrf2という転写因子の活性を阻害するような薬の開発が有望であると考えられています。
(グルタチオンの枯渇する方法については346話を参照)
【「抗酸化物質ががんを発生させているかもしれない」とジェームズ・ワトソンは言っている】
前回(356話)、ジャームズ・ワトソンの最近(2013年1月9日にオンラインで公開)の論文「Oxidants, antioxidant and the current incurability of metastatic cancers(酸化剤と抗酸化剤と転移がんの現在の不治性)」(Open Biology 3, 120144, 2013年)の内容の一部を紹介しています。
この論文の中でワトソンは「抗酸化剤ががんを促進する」という考えを述べています。
このやや過激な意見に関して、幾つかの記事がネット上に載っていますので、まずこれらの記事の内容を日本語訳しておきます。
Science Dailyの2013年1月8日の記事です。(原文はこちら)
Nobel Laureate James Watson Puts Forth Novel Hypothesis On Curing Late-Stage Cancers(ノーベル賞受賞者ジェームズ・ワトソンは進行したがんを治癒させる新たな仮説を提案している)
「白血病のように治癒率が向上しているがんもあるが、多くの上皮性腫瘍(癌)とほとんど全ての間葉系腫瘍(肉腫)は根治できない状況にある」
このような文章を前書きにして、ノーベル賞受賞者のジェームズ・D・ワトソンは、「DNA二重螺旋の発見以来、私にとって最も重要な仕事」と位置づけた最近の論文の中で、転移した末期のがん(late-stage metastatic cancers)における酸化性物質と抗酸化性物質の作用に関する新規の仮説を発表しています。
彼の主張は活性酸素に関するものです。活性酸素には二面性があります。高度のストレスを受けた細胞が自滅するとき(アポトーシスを実行するとき)、活性酸素はアポトーシスを引き起こす役割を持ちます。このアポトーシスは、生命体の生存を脅かすような異常を排除するために進化の過程で獲得したメカニズムです。
一方、活性酸素は細胞内のタンパク質や核酸(DNAやRNA)に非可逆的なダメージを与える作用があり、細胞にとって有害であることも良く知られています。
正常な状態において、異常な細胞を排除するために活性酸素が必要でないときは、細胞内では、抗酸化酵素や抗酸化物質によって活性酸素は持続的に消去されています。
ブルーベリーのように抗酸化物質の豊富な食品を多く食べるように推奨されていますが、しかし、末期のがんにおける活性酸素と抗酸化物質に関してワトソンが最近の論文で記述していることが正しければ、「ブルーベリーを多く食べるのは、がんの発生を防ぐことができるからではなく、おいしいからだ」ということになります。
「なぜ、末期がんにおいて抗酸化剤はがんの進行を早めるのか」という理由を考察するのが、ワトソンの論文の中心になっています。この論文は英国王立協会(Great Britain's Royal Society)の雑誌の一つである「Open Biology」の2013年1月9日にオンラインで発表されています。
タキソールのような毒性のある抗がん剤や、放射線治療のような、現在行われているがん治療ががん細胞を死滅させるメカニズムは、活性酸素ががん細胞にアポトーシスを誘導するからであるとワトソンは言っています。このことは、「抗がん剤治療に抵抗性になったがん細胞は放射線治療にも同様に抵抗性になる」のはなぜかという疑問を説明してくれます。それは、この2つの治療法が「活性酸素によって細胞を死滅させる」という点が共通しているからです。
コールド・スプリング・ハーバー研究所の名誉会長であるワトソンは、RASとMYCのようながん遺伝子の異常によって生じるがん細胞の場合について考察しています。これらのがん細胞は治療に抵抗性を示します。その理由として、がん細胞に活性酸素を消去する抗酸化酵素や抗酸化物質の量が多いことが原因だとワトソンは示唆しています。
彼は、がん細胞が増殖するときや、RAS, MYC, RAFのようながん遺伝子が活性化しているときに、Nrf2という転写因子の活性が高くなっているという最近の研究結果を引用しています。Nrf2は抗酸化物質の合成を制御しており、「DNAの機能を維持する時には、抗酸化物質の存在は意味がある」とワトソンは記述しています。
転移がんに有効な薬の開発を早めるためには、この論文で提唱した内容を参考にしてほしいとワトソンは願っています。「がん細胞における抗酸化物質の量を低下させる有効な方法を見つけることができなければ、転移した末期がんは10年たっても現在と同様に不治のままであろう」とワトソンは述べています。
翌日(2013年1月9日)のロイター(Reuters)のネット記事(http://www.reuters.com)では以下のような内容になっています。(原文はこちら)
DNA pioneer James Watson takes aim at "cancer establishments"(DNAのパオイニアのジェームズ・ワトソンは「がんの発生」に狙いを定める)
がんに対する米国の膨大なレポートは、がんに対する進歩が極めて遅いことを示しています。米国で最も伝説的で、しかも現状打破の精神をもつ科学者であるワトソンは、「がんに対する戦争」を重要だと思っています。しかし、彼は現実の状況に満足していません。
DNAの二重螺旋構造の共同発見者であるジャームズ・ワトソンは、多くのターゲットに目を向けています。がん研究を統括している政府の役人に関して、火曜日にOpen Biologyという雑誌に発表された論文の中で、『米国における「がんとの戦争」を指揮するような影響力の強い指導者が見当たらない』とワトソンは記述しています。
9種類のがんを発生させている遺伝子の変化を解明する10億ドルの米国のプロジェクトに対して、ワトソンは「我々が必要としている真に画期的な薬の開発ができそうにない」と言っています。
「カラフルなベリー類に多く含まれる抗酸化物質ががんと戦う」という考えに対して「抗酸化剤の摂取ががんを予防するというよりがんを促進する可能性があるということを真剣に検討する時期に来ている」とワトソンは言っています。
ワトソンの熱心な要望が年次がん報告の後に行われたのは偶然でした。
この論文のためにワトソンは数ヶ月を費やし、がんに関する数十年間の考察の集大成と位置づけています。今年84歳のワトソンは、病気における遺伝の役割の解明への扉を開けたDNAの構造解析の業績でノーベル賞を受賞する3年前の1959年には、ハーバード大学でがんに関する講義を行っていました。
このワトソンの論文に対して、他の著名な研究者は賛否両論の批評を行っています。
「この論文には多くの興味深い考えが述べられています。このうちの幾つかは、証拠によって十分に正しいと言えます。しかし、今までの常識的な見解とは異なる意見も含まれています。いつものことだが、ワトソンはより生産的な方法で議論を高めているのです」と、ワトソンに敵対したくないので匿名を条件に意見を述べたある著名ながん研究者は述べています。
しかしながら、最近のアプローチが約束された成果を達成していないことは多くの人が認めています。米国におけるがん死の減少の最大の要因は喫煙率が低下したためであって、新しい治療法の恩恵によるものではありません。
遺伝学への期待:
「がん研究における方法論で最も大きな希望は、遺伝子のDNA配列の解析によって、どの遺伝子が変異するとがんを引き起こすのかが解明できるようになったことである」とニューヨークのメモリアル・スローン・ケタリングがんセンターの分子生物学者のMark Ptashneは言っています。
その次のステップは、その遺伝子変異によって生じる細胞増殖の経路を阻止する薬をデザインすることです。
しかし、このようにして開発された抗がん剤もがんを治癒できません。
「これらの新しい治療法が効くのはほんの数ヶ月間にすぎない」「そして、肺がんや大腸がんや乳がんのような患者の多いがんにおいても、転移が起こると何も有効な治療法を私たちはもっていない」とワトソンはロイターのインタビューに語っています。
遺伝子異常をターゲットにした薬ががんを治癒できない主な理由は、がん細胞は多くの逃げ道(回避策)をもっているからです。
「例えば、非小細胞性肺がんの治療にアストロゼネカ社(AstraZeneca)のイレッサ(Iressa)やジェネンテック社(Genentech)のタルセバ(Tarceva)を使って細胞増殖のシグナル伝達系の一つを阻害しても、がん細胞は別のルートを活性化させて増殖を維持することができるのです」とマサチューセッツ工科大学(MIT)のがん生物学を専門にしているロバート・ワインバーグ(Robert Weinberg)は言っています。
これが、ワトソンが別のアプローチを提唱している理由です。彼は、特に転移した全てのがんに共通の異常をターゲットにする必要性を唱えています。
このような共通のターゲットの一つが活性酸素種です
活性酸素はDNAのような細胞の構成成分にダメージを与えます。
現在ではお菓子や清涼飲料水など多くの食品に添加されている抗酸化物質が健康に良いと思われているのは、細胞にダメージを与える活性酸素を抗酸化物質が消去してくれるからです。
しかし、この単純なメカニズムが、がん細胞が存在すると、より複雑な状況になります。
それは、放射線治療と多くの抗がん剤治療は活性酸素を発生させることによってがん細胞を死滅させるからです。
もしがん患者がベリー類のような抗酸化物質が豊富な食品やサプリメントを摂取すると、放射線治療や抗がん剤治療の効果を妨げる結果になるとワトソンは主張しています。
「多くの人は抗酸化物質はがん治療に有効であると考えていますが、私は、抗酸化物質はがん治療の効果を妨げていると考えています」と彼は言います。
抗-抗酸化物質(ANTI-ANTIOXIDANTS):
最近の研究結果はワトソンの考えを支持しています。
例えば、ビタミンEのような抗酸化物質を多く摂取してもがんの発生リスクを減らすことができないことが多くの研究で明らかになっています。むしろ逆に、抗酸化物質の摂取ががんの発生率を高めたり、寿命を短くする可能性が報告されています。
抗酸化物質の働きを阻害する「抗-抗酸化物質(anti-antioxidants)」が、現在使用されている抗がん剤の効果を高める可能性が示唆されています。
「がん細胞内の活性酸素の量を高める方法は何であれ、有効ながん治療の重要な要素になりうる」と、スローン・ケタリングがん研究所のがん研究者のRobert Benezraは言っています。
ワトソンのこの「抗-抗酸化剤(anti-antioxidant)」には、歴史的な皮肉も含まれています。
大量の抗酸化剤(特にビタミンC)の摂取で最も著明な人物は生化学者のライナス・ポーリング(Linus Pauling)です。ポーリングは1994年に93歳で亡くなっています。
ワトソンとその共同研究者のフランシス・クリックが、1953年のDNAの二重螺旋構造の発見において、最もライバルだったのがポーリングだったことはよく知られています。
解明するのが困難であるが有望なターゲットの一つがMycと呼ばれるタンパク質です。このMycタンパク質は、細胞のがん化にも関与しているタンパク質を含めて細胞内の1000種類以上の細胞内物質をコントロールしています。
多くの研究で、Mycの働きを抑制すれば、がん細胞をアポトーシスと呼ばれる細胞自滅に誘導できることが示唆されています。
「Mycをターゲットにした治療法はがんを治癒に導けるという考えはかなり昔から指摘されていました。Mycタンパク質の産生を阻止することは興味深い研究であり、その研究の中にがん治療に役立つ有望なヒントがあると考えています」とスローン・ケタリングがんセンターのがん生物学者のHans-Guido Wendelは言っています。
しかしながら、Mycをターゲットにするがん治療の研究は抗がん剤の開発の中ではあまり重視されていませんでした。
個々の患者に特異的な遺伝子変異をターゲットにした個別化された医療(Personalized medicine)に、多くの研究費が割り当てられてきました。
「がんとの戦争における最大の障害となっているのは、今日のがん研究機関の多くが本質的に保守的な性質を持っているからだ。このような状態が続けば、がんの治癒という目標の達成が10年も20年も遅れるだろう」とワトソンは記述しています。
【抗-抗酸化剤(anti-antioxidants)のがん治療薬としての可能性】
上記の記事のもとになった論文については一部(解糖系をターゲットにしたがん治療に関する部分)を前回(356話)紹介しています。
この論文は、2013年1月号のOpen Biologyという雑誌に発表され、タイトルは「Oxidants, antioxidant and the current incurability of metastatic cancers(酸化剤と抗酸化剤と転移がんの現在の不治性)」です。前述の記事に書かれているように、ワトソン自身、この論文を「DNA二重螺旋の発見以来、私にとって最も重要は仕事」とインタビューで語っています。
この論文は24項目に分けて解説しています。その中から、上記の内容と関連した部分を日本語訳しておきます。番号はこの論文でのサブタイトルの部分の番号(24項目の通し番号)です。
15. Leakage from drug-impaired mitochondrial electron transport chains raises reactive oxygen species levels(薬剤で障害されたミトコンドリアの電子伝達鎖からの漏れが活性酸素種の量を高める)
ミトコンドリアにおける電子伝達系におきてATPと熱が産生されるとき、必然的に活性酸素種(ヒドロキシラジカル、過酸化水素、スーパーオキシドのような)が発生する。
正常な状態では、これらの活性酸素種によって核酸やタンパク質が非可逆的なダメージを受けるのを防ぐために、細胞内にはグルタチオンやチオレドキシンといった強力な抗酸化性物質が存在する。
呼吸鎖へのNADHの供給を阻害するrotenoneのようなミトコンドリアに特異的に作用する薬や、アブラナ科植物に含まれるがん予防物質として古くから知られていて、ミトコンドリアのF1F10ATP合成複合体(the mitochondrial F1F0 ATP synthesis complex)を阻害する作用があるジインドリルメタン(3′-3′ diindolylmethane)によって酸化的リン酸化が阻害されると、ミトコンドリアからの活性酸素種の産生が増加する。このようにして産生された多量の活性酸素に対して、グルタチオンやチオレドキシンのような抗酸化物質が通常の量しかなければ十分に消去できない。
その結果、消去できなかった活性酸素種がミトコンドリア内の成分を酸化傷害でダメージを与え、アポトーシスによる細胞自滅を引き起こす。
ジインドリルメタンは、再発性の呼吸器乳頭腫症(recurrent respiratory papillomatosis)の補助療法として既に人間の治療に使用されている。
活性酸素種が細胞にアポトーシスを引き起こす分子メカニズムはまだ十分に解明されていないが、その速やかな解明が望まれる。
活性酸素種そのものが細胞にアポトーシスを誘導することは、一流の(first-in-class)抗がん性ミトコンドリア薬(anti-cancer mitochondrial drug)のelesclomol (アポトーシス阻害薬の探索の過程でSynta Pharmaceuticals 社で発見された)が、活性酸素種の産生を高めることによってがん細胞を死滅させるという研究結果から確かめられた。
このような活性酸素種を産生させてがん細胞を死滅させるときに抗酸化剤のN-アセチルシステインを同時に投与すると、活性酸素によるがん細胞の死滅は起こらなくなる。
正常細胞に対してはelesclomolがアポトーシスを誘導できないのは、ミトコンドリアの電子伝達系が正常な場合は、活性酸素の産生が少ないためだと思われる。
16. Reactive oxygen species may directly induce most apoptosis(活性酸素種は直接的にほとんどのアポトーシスを引き起こす)
elesclomolが活性酸素種を生成することによってアポトーシスを促進しているという事実から、多くの抗がん剤治療によって引き起こされるプログラム細胞死(アポトーシス)は、全てではないにしてもそのほとんどは活性酸素種によって引き起こされる可能性が示唆される。
パクリタキセルのようなタキサン系の微小管結合性の抗がん剤や、トポテカンやドキソルビシンのようなDNAトポイソメラーゼを阻害する抗がん剤や、アクリフラビンのようにフレームシフト型の遺伝子変異(rame-shifting mutagens)を引き起こす抗がん剤は、作用機序が全く異なるにもかかわらず、酸素に非常に感受性がある低酸素誘導因子-1α(HIF-1α)の活性を阻害することが知られており、このことは長い間の謎であった。
これらの一見無関係に思える全ての事実から導きだされる結論は、放射線照射が活性酸素種の産生によってアポトーシスを誘導するのと同じように、多くの抗がん剤やフレームシフト型遺伝子変異物質も活性酸素種を産生することによってアポトーシスを誘導していることが示唆される。
タキサン系抗がん剤のパクリタキセルがDNAに結合して活性酸素を生成しているということは、パクリタキセルに対するがん細胞の感受性がそのがん細胞の抗酸化能に逆相関するという実験結果から明らかになった。(抗酸化能の高いがん細胞ほどパクリタキセルが効きにくいということ)
多くの抗がん剤ががん細胞にアポトーシスを誘導する共通のメカニズムとして活性酸素を使っているということは、なぜ抗がん剤に抵抗性のがん細胞は放射線治療も同様に抵抗性になるかという理由を説明している。
マサチューセッツ工科大学(MIT)のコッホがんセンター(Koch Cancer Center)における5万種類の化合物からK-RASで形質転換したヒト繊維芽細胞を選択的に死滅させる物質としてピペリジン(piperidine)誘導体のランペリゾン(lanperisone)が発見された。
この物質のがん細胞を死滅させる作用は活性酸素種の発生が関与している。
驚くべきことに、このすでに臨床的に使用されている筋肉弛緩剤はp53の変異があるなしにかかわらず非アポトーシス性の細胞死を誘導する。
活性酸素を消去するdeferoxamineやbutylated hydroxylamine や troloxの存在下でlanperisoneを投与すると、lanperisoneの効果は無くなる。
17. Blockage of reactive-oxygen-species-driven apoptosis by antioxidants (抗酸化剤による活性酸素種で誘導されるアポトーシスの阻害)
活性酸素種はアポトーシスを誘導する作用などで生命の維持において有用な働きを担っていることはよく知られているが、同時に、活性酸素種はタンパク質や核酸に非可逆的なダメージを与えるという負の作用もある。
そこで、活性酸素種は必要がないときは、グルタチオンやスーパーオキシド・ディスムターゼヤカタラーゼやチオレドキシンなどの抗酸化性物質によって絶えず消去されなければならない。
このような多くの抗酸化性物質の合成を調節しているのが転写因子のNrf2であり、この転写因子は生命に重要な働きを担っているので、生命の発生の初期に出現したと考えられている。
最も重要なことは。ケンブリッジ大学のDavid Tuvesonの研究室からの研究によって、細胞の増殖や細胞分裂を促進するRAS, RAF, MYCというがん遺伝子によってNrf2の合成が増加することが示されている。
このことは生物学的に合目的なことである。というのも、DNAがより働くときに抗酸化物質が多く存在する方が都合が良いからである。
がん遺伝子のRASやMYCの異常によって増殖が亢進しているがん細胞が治療に抵抗性を示すのは、このようながん細胞では活性酸素種を消去する抗酸化物質の量が極めて多いからである。
このように細胞内の抗酸化物質の量が多いことが膵臓がんの難治性の全てを説明できるかどうかは今後の研究を待たなければならない。(まだ、十分には分っていないということ)
進行した晩期のがん(late-stage cancer)はしばしばRASやMYCの遺伝子コピーを多数もっている(遺伝子増幅)という事実があり、このことが抗酸化物質の量の増加や治療抵抗性と関連しているかもしれない。
Nrf2の発現亢進以外にもがん細胞の抗酸化物質の増加の原因になっている因子を見つけることも重要である。
酵母の細胞周期やあるいはその他の多くの生物の細胞周期においても、ミトコンドリアにおける酸化的リン酸化の過程はDNA合成の時期とは完全に区別されている。
Nrf2の発現レベルが細胞周期によって増減するかどうかを明らかにすることは重要である。
18. Enhancing apoptotic killing using pre-existing drugs that lower antioxidant levels(抗酸化物質のレベルを低下させる既存の薬を使ったアポトーシスの促進)
造血性腫瘍を使った実験で、活性酸素種を生成する三酸化砒素(arsenic trioxide; As2O3) )によるがん細胞の殺細胞能は、細胞内の主要な細胞内抗酸化物質であるグルタチオンの量に逆相関することが示されている。
三酸化砒素はまた、細胞代謝のいくつかの重要なステップに必要なチオレドキシンの還元力を減弱させる作用がある。
三酸化砒素はチオレドキシンとグルタチオンの両方を阻害する能力を持つので、前骨髄球性白血病だけでなく、その他の多くのがんに対しても有効な治療効果を示す可能性がある。
三酸化砒素お抗がん作用を促進する効果があるのがビタミンC(アスコルビン酸)で、ビタミンCは細胞内の抗酸化作用の役割を担っているが、酸化されるとデハイドロアスコルビン酸(dehydroascorbic acid)になり、これは酸化剤となる。
残念なことに、臨床例において体内にあるがん細胞内のグルタチオンのレベルを低下させる有効な方法を我々はまだ持っていない。
グルタチオンの産生を阻害するbuthionine sulphazineを使ってグルタチオンの量を減らすと、転写因子のNrf2の量と活性が直ぐに上昇し、その結果、グルタチオンの合成が促進される。
細胞内の抗酸化物質の量を減らすより一般的な方法は、テキサフィリン(texaphyrins)と呼ばれるポルフィリン分子の一つのモテキサフィンガドリニウム(motexafin gadolinium)を使うことである。
(注:motexafin gadoliniumはがん治療の分野で研究されている物質。放射線療法に対する腫瘍細胞の感受性を高めたり、磁気共鳴画像法(mri)による腫瘍の画像を鮮明にしたり、がん細胞を死滅させたりする可能性がある。金属ポルフィリン錯体の一種である。)
むだな酸化還元リサイクル(futile redox recycling)と呼ばれるプロセスによって、テキサフィンガドリニウムは抗酸化物質から水素を引き抜き、活性酸素種を発生させる。
残念ながら、抗がん剤や放射線治療の効き目をテキサフィンガドリニウムが高めるかどうかを検討した臨床試験では、わずかな延命効果を認めたが、がんを治癒させるだけの効果は認められなかった。
正常細胞には無傷でがん細胞に選択的にアポトーシスを誘導する物質の探索において、ヒハツ(Piper longum)という植物から見つかったpiperlongumineという天然物質が、非常に有効な抗がん剤となりうることが最近明らかになった。
(注:ヒハツはインドの伝統医学のアーユルヴェーダで最も多く使用される薬効植物で、香辛料として食用にも使用され、漢方薬の生薬としても流通しています。ヒハツに抗がん作用をもった成分が見つかったという報告は2011年のNatureに報告され注目されています。これについては次回紹介します)
非常に興味深い点は、活性酸素種によって誘導される酸化ストレスに対する細胞反応に関与する幾つかの主要な細胞内抗酸化物質(例えば、glutathione S transferase と carbonyl reductase 1)の活性部位にpiperlongumineが結合することによって作用することである。
正常細胞には、このpiperlongumineは活性酸素種の量を高めないが、その理由は、正常細胞ではこれらの抗酸化物質がもともと少なく、その結果、Nrf2転写因子の活性化が起こらないためと思われる。
【ジェームズ・ワトソンが言っているというインパクト】
日本語に訳しても、内容自体が専門的で難しいので、一般の人には理解するのが無理かもしれません。ただ、がんの生物学を研究している研究者にとっては、非常に示唆に富む内容です。
もともと「がんと酸化ストレスと抗酸化剤」に関する議論は相反する2つの意見があります。
「抗がん剤治療中や放射線治療中に抗酸化剤を併用すると副作用が軽減し効果も高まる」という意見と「抗酸化剤は抗がん剤や放射線治療の効き目を阻害する」という、全く相反する意見で、それぞれ実験データなどでともに根拠があるので、議論は長い間平行線でした。
抗酸化剤ががん治療を妨げる可能性については、今までも多くの議論が行われているので、抗酸化性サプリメントががんを悪化させるという意見の記事や論文をみてもあまり驚くことはありません。
抗がん剤や放射線治療中に抗酸化剤を併用すると副作用の軽減と抗腫瘍効果を高めるというメリットを補完医療を専門に行っている医療関係者は主張しています。一方、標準治療の立場の多くの人は、抗酸化剤がこれらの治療効果を妨げる可能性を指摘しています。
この議論は長く続いていて、コンセンサスが得られていません。どちらが正しいのか、それぞれ根拠や実験データがあるので、50:50くらいの関係で、永久に結論がでない可能性もあります。
そこで、ジェームズ・ワトソンが「抗酸化剤は抗がん剤や放射線治療の効き目を阻害する」「がん細胞の抗酸化力を阻害する抗-抗酸化剤ががん治療薬として有望」と主張しているので、この関係が一気に20:80くらいに抗酸化剤有害説が優位にたったかもしれません。
つまり、ジェームス・ワトソンが言っているという点で、抗酸化剤有用説はかなりの打撃を受けたことになります。
ジェームズ・ワトソンは1953年にフランシス・クリックとDNAの二重螺旋構造を解明したとき、自分では実験は何一つ行っていません。それまでに報告されている多くの実験結果やDNAに関するデータの蓄積の中から、全てを満足させるDNAの構造を理論的に構築しただけです。
つまり、全てのデータに矛盾しない理論的考察だけでノーベル賞を受賞したと言えます。そのワトソンが、最近の膨大ながん研究を総括して得た結論が「進行がんには抗酸化物質の投与は良くない」ということなので、ひょっとしたらこれが正解かもしれないと思う気持ちが強くなります。
「がん組織の酸化ストレスを抗酸化剤で軽減することはがんの悪性進展抑制に有効」という従来の常識も見直しをする必要がでてきたわけです。
ワトソンの意見が正しいと決まったわけではないのですが、ワトソンほどの研究者が得た結論は、並の研究者の意見の10倍くらいのインパクトはあるかもしれません。
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