「多爾具久能佐和多流伎波美」より、宣長は「古事記」にある「多爾且久<タニグク>」の説明をしておりますが、私の説明不足で
「おめえの いうこたあ ようわかりゃあへん」
とお叱りを頂きました。誠にその通りですので、改めて、今日、それを書いてみます。
宣長が言うには「多爾且久」の「且」と言う字は
“決く写じ誤なり、具ノ字なるべし”
とあります。「決く」は<ウツナく>と読み「疑いなく」と言う意味です。だから、「多爾且久」は「多爾具久」の誤りで、その意味は「万葉集」にある「多爾具久能佐和多流伎波美<タニクグノ サワタルキワミ>などから判断すると、
“此レは蟾蜍<ヒキガエル>のことにて”
と説明がしてありました。ががいもの穀のようなつ小さい船に乗って沖からやってきたもの言わぬ神様の名前を誰も知った人がいません。その時なぜだか分かりませんが、この何処から来たのかも分からないヒキガエルが物を申したのだそうです。
ここで又又疑問点が浮かんできます。何故「ヒキガエル」が出て来たのでしょうか???それについてこれ又ですが、明日にでも
「おめえの いうこたあ ようわかりゃあへん」
とお叱りを頂きました。誠にその通りですので、改めて、今日、それを書いてみます。
宣長が言うには「多爾且久」の「且」と言う字は
“決く写じ誤なり、具ノ字なるべし”
とあります。「決く」は<ウツナく>と読み「疑いなく」と言う意味です。だから、「多爾且久」は「多爾具久」の誤りで、その意味は「万葉集」にある「多爾具久能佐和多流伎波美<タニクグノ サワタルキワミ>などから判断すると、
“此レは蟾蜍<ヒキガエル>のことにて”
と説明がしてありました。ががいもの穀のようなつ小さい船に乗って沖からやってきたもの言わぬ神様の名前を誰も知った人がいません。その時なぜだか分かりませんが、この何処から来たのかも分からないヒキガエルが物を申したのだそうです。
ここで又又疑問点が浮かんできます。何故「ヒキガエル」が出て来たのでしょうか???それについてこれ又ですが、明日にでも