応神天皇にこよなく愛されていた兄媛が浪速の港「大津」より、淡路の海人に送られて、天皇の二十二年四月に船出して吉備に還ります。その別れの時です。難波の大隅宮の高殿より恋しい妃の船出を見送りながら、詩が、ふと口を衝いて出てきます。
“淡路島 いや二ならび 小豆島 いや二ならび よろしき島々
誰か たされあらちし 吉備なる妹を 相見つるもの”
と。「たされあらちし」を「多佐例阿羅智之」と書いてありますが、「たされ」も「あらちし」も、辞書にもななく意味不明です。しかし、ある本の説明によると、「たされ」の「た」は接頭語で「され」は「去れ」で、「あらちし」は「放ちし」としてあり、「私と兄媛二人を、誰が、どうして避け放してしまったのだろうか」という意味になると説明があります。
この歌の意味は、
「あの淡路島と小豆島は、二つ並んで大変仲が宜しい。あの二つの島のように、いつまでも仲良く並んでいたいのですが、わたしと兄媛は、どうして、誰が別れさせたのだろうか。」
愁いをあらわにした美人の顔(かんばせ)は、古今東西の世界に於いて、男をして、ひどく惑わせるものです。楊貴妃しかりクレオパトラしかりです。
まさに「傾国の美女」ですよね!兄媛は!!!!!!!!
“淡路島 いや二ならび 小豆島 いや二ならび よろしき島々
誰か たされあらちし 吉備なる妹を 相見つるもの”
と。「たされあらちし」を「多佐例阿羅智之」と書いてありますが、「たされ」も「あらちし」も、辞書にもななく意味不明です。しかし、ある本の説明によると、「たされ」の「た」は接頭語で「され」は「去れ」で、「あらちし」は「放ちし」としてあり、「私と兄媛二人を、誰が、どうして避け放してしまったのだろうか」という意味になると説明があります。
この歌の意味は、
「あの淡路島と小豆島は、二つ並んで大変仲が宜しい。あの二つの島のように、いつまでも仲良く並んでいたいのですが、わたしと兄媛は、どうして、誰が別れさせたのだろうか。」
愁いをあらわにした美人の顔(かんばせ)は、古今東西の世界に於いて、男をして、ひどく惑わせるものです。楊貴妃しかりクレオパトラしかりです。
まさに「傾国の美女」ですよね!兄媛は!!!!!!!!