私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

葦守での応神天皇

2018-10-06 08:46:45 | 日記
 葉田葦守に着いた応神天皇は、早速、兄媛にお逢いになったことは確かだと思うのですが、何も書紀には記されてなく、ただ

               “以其兄弟子孫為膳夫”

 と書かれてあるだけです。御友別のその兄弟や其の子たちは「膳夫」に<カシハデ>として、天皇に“饗<ミアエ>を奉ったのです。要するに、応神天皇の葦守にご滞在中、食事は、勿論の事、日々の生活総てにおいて、下へも置かない大変な、今流行りの「おもてなし」をしたのです。それを

             “膳夫<カシハデ>”

 と呼んだのですす、「膳」を、辞書にも<カシハ>とは出ておりません。古事記で<カシハデ>と読ましております。
 では、どうして“膳夫”を<カシハデ>と読ましたのでしょうかね????

 これも宣長からの借りものですが、彼は

 "上代に於いては、凡て、饌<ケ>を木ノ葉に盛ける、その葉をば、何ノ木まれ、総て「加志波傳<カシハデ>」と  云うなり”

 と説明しております。

 なお、これも余残事ですが、あの有間皇子の歌

    "家にあれば、笥<ケ>に盛る飯を 旅にしあれば 椎の葉に盛る”

 の、笥<ケ>と饌<ケ>とは違っています。「笥」とは三宝のような箱物ですが、宣長の云う「鐉」は食べ物を意味しております。

  これで、今回も、随分と、長たらしくなったのですが「膳夫」の説明は終わり、また、明日からはオホクニに戻ります