私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

オウジンの歌に対してオホサザキの返歌が・・・・

2020-03-08 12:01:58 | 日記
 父親の恨み節を耳にして、大雀命もまたその喜びを歌って答えます。
 その歌を

     “道の後(しり) 古波陀嬢子(こはだおとめ)を
     神の如 聞えしかども 相枕まく”
 (はるばる遠い日向の国の 古波陀の乙女。その人の名を遠い雷の鳴るように聞いていたのですが、いま、私がこうしてお互いに手を差し交わして寝ることができるのだ。なんと嬉しいことでしょうか)
 と。そして、ご丁寧に、更に続けて、みんなの前で臆面もなく歌うのです。

     “道の後(しり) 古波陀嬢子(こはだおとめ)を
     争わず 寝しくをしぞも 愛しみ思う”
 (すなおに乙女が我がもとに来てくれた。なんとうれしいことでしょう。なんと可愛い人なのでしょう)
 とも。

 このように古代からわが国では歌を詠むことが、日常の生活の中で、欠くことのできない生活習慣だったのです。それが万葉集という美しい日本の歌集の生まれる原因にもなったのです。誰かが命令して作らせたものではなく、ごく自然的にそこらあたりにあったものというか、人々の生活の中に根付いていたものを、単に、拾い上げて編集しただけのものです。平安時代の歌集のように専門的な代表者の詠んだものを集めたものではありません。そこらあたりに、読んでどこか心地よい心に響くような美しい素朴な響きが自然と感じられる原因ではないでしょうか。

 私の好きな万葉集の歌を

   ”恋ひ死なば 恋ひも死ねとか 我妹子が 我家の門を 過ぎて行くらむ”

   “うつくしと 我が思う妹は 早も死なぬか 生けるとも 我に寄るべしと 人の言はなくに”