ここに来て、初めて“稗田阿礼”の名前が出てきますが、。此の人物の特色を。
“時有舎人、姓稗田名阿礼。年是廿-八、為人聡明<ヒトトナリ ソウメイニシテ>、度目誦口、払耳勅心”
と書き表しております。奈良期の最高の博学者だったのでしょうか。彼の人となりについて更に」
・「度目誦口<メニワタレバ クチニヨミ>」・・・彼が一度目にした書いたものは総て記憶して諳んじることが出きる。
・「払耳勅心<ミミニフルレバ ココロニシルス>」・・一度聞いたことは、決して、忘れることない。
と。この二十八歳の青年「稗田阿礼」に天皇は “即勅語阿礼” して「帝紀日継、及先代旧辞”」を、”令誦習”。
この「令誦習<ヨミナラワシム>」について、一般には、
ただ単に「帝紀の日継や先代の旧辞」を読んで、それを稗田阿礼に覚えさせるだけはなく、「習わした」としてありますが、宣長は
「抑直に書には撰録しめずして、先ずかく人の口に移して、つらつら誦み習はしめ賜うは、語(ことば)を重みしたまふ故なり。」
と古事記伝で説明しております。
“時有舎人、姓稗田名阿礼。年是廿-八、為人聡明<ヒトトナリ ソウメイニシテ>、度目誦口、払耳勅心”
と書き表しております。奈良期の最高の博学者だったのでしょうか。彼の人となりについて更に」
・「度目誦口<メニワタレバ クチニヨミ>」・・・彼が一度目にした書いたものは総て記憶して諳んじることが出きる。
・「払耳勅心<ミミニフルレバ ココロニシルス>」・・一度聞いたことは、決して、忘れることない。
と。この二十八歳の青年「稗田阿礼」に天皇は “即勅語阿礼” して「帝紀日継、及先代旧辞”」を、”令誦習”。
この「令誦習<ヨミナラワシム>」について、一般には、
ただ単に「帝紀の日継や先代の旧辞」を読んで、それを稗田阿礼に覚えさせるだけはなく、「習わした」としてありますが、宣長は
「抑直に書には撰録しめずして、先ずかく人の口に移して、つらつら誦み習はしめ賜うは、語(ことば)を重みしたまふ故なり。」
と古事記伝で説明しております。