私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

「兵馬行」という杜甫の詩です

2016-02-16 07:40:09 | 日記

 例のお人のご注告の「兵馬行」を、まずは見てください。

    

         

  私の持つ本の「兵馬行」の詩には 写真のように、その下に、小字で、補足説明として、「唐の玄宗の末年 辺地に派遣した兵隊が随分窮し傷つけられた事を歌った詩」と記してあります。是を読むと筆敬氏のご指摘通りですが、無視してもと思ったりもしましたが、まあ、なんとなく致し方無しの気持ちにもなり、又、しばらく、この本に従って、楊貴妃の時代の一般市民の生活を、どうなることか分かりませんが、覗いてみたいと思いますのでお付き合いください。

 それにしても 、先ず書き出しです 
             ”車轔轔 馬蕭蕭”
 この六字から受ける印象はどうでしょうか???。


「オツカレサント」いう挨拶が

2016-02-15 09:07:04 | 日記

 また、また、例の「筆敬」氏からメールが届きました。

 「わしがおせえたった 「麗人行」の詩を ようしらべもせんと けえたもんじゃのう。そりゃあ マア ほめたるけえど、  けえで おしめえにするんじゃと。 なにゅう ぬかしょんなら。 そげんことじゃあねえかと おもようたんじゃが、  「長恨歌」を もうちょびっと ふこう わからしょうと おもうんなら、 まだ、 よまにゃあ おえりゃあせんもんが あるんじゃ。 杜甫がけえたなけえなあ  おしえたるけえ もうちょびっと けえてみんせえ。」

 と。

 それは、「麗人行」と同じ、杜甫の「兵車行」という詩だ、と言うのです。「わしがおせえたった麗人行」は、当時の、支配階級最上層部の人達の、特に、楊一族の専横ぶりを歌ったもので、それに対して、「こんどおせえたる兵車行」は一般の人たちの、特に、兵隊に徴収された一般国民の必死な暮らしぶりについて書かれたものだ。この詩を読む事によって、当時の人達が、楊国忠を中心とした楊一族の専横ぶりやその根源になっている楊貴妃に対して、如何に恨みを抱いていたか、そこら辺りの様子がよく理解できる。だから、「兵車行」を読まなくては、真の「長恨歌」の理解にはならないのだと強調するのです。

 今、私は、あくまで、「私の 吉備津」欄で、「吉備の三大美女」を追及しているのです。だから、「麗人行」、まして、「兵車行」なんて、どうでもええことなのですが、折角の、これだけのご注告、有難く聞かざるを得ません。昨日、「乞う!ご期待」と大見栄を切ったのですが、またまた、頓挫させて、筆敬氏のお教えに従いまして(捜してみますと、「兵車行」の詩を書いてある本が手元にありましたので)、また、しばらく、そちらを優先することにします。どうなることかと、内心、心配しておりますが、あしからず。

      大いなるご批判を頂けますればと思っております。


名作の漫画

2016-02-14 14:02:13 | 日記

 漫画は私の好みではありませんが、強いて上げるとすれば長谷川町子女史の「サザエさん」かな。でも、名作と名がつくものでしたら、今、読んでいる杜甫の詩「麗人行」かな。白居易の「長恨歌」かな。日本だと、島崎藤村か夏目漱石あたりの本かな???漫画でなくてごめんなさい。そうそう、そう言えば、その昔、橋口五葉の「トチメンボー」に荒く肩入れしたようにも思うのですが。あれって漫画の名作でしょうか???


麗人行も最終です。

2016-02-14 10:02:55 | 日記

 杜甫がその技巧をこらして書き上げた「麗人行」の最終です。 
 ”御紅巾”で「転」が終わります。何か男女の間の秘められた淫らな空気がそこはかとなく漂っている感じです。でも、杜甫は、ただ、それだけ、それ以上もそれ以下も書き表してはおりません。意味深な表現で終わっております。そして、次に、場面をがらりと転換して、最後の「七言二句」で、この詩を完成さしております。

     ”炙手可熱勢絶倫"  <手を炙らば熱すべし 勢ひ絶倫なり>   
        「手を炙る」、その人の事をとやかく批判しておれば、「熱すべし」、火傷しますよ。大変なことになりますよ。余りにもその権勢が強大だから。
 その勢力を火に例えて歌っているのです。これくらいの意味になりましょうか。
 
                            だから、皆さんは、今

    ” 慎莫近前丞相嗔”  <慎んで近前する莫かれ 丞相嗔らん>
        知らん顔して、遠くからじっと見つめておればそれでいいのです。あまり近寄りすぎるととんでもない事に巻き込まれますよ。
  「君子危うきに近寄らず」ですよ、と警戒を呼び掛けているのです。「丞相」から、この人が「楊国忠」ということが分かります

 これで「麗人行」は終わります。
 杜甫は、この詩を「起・承・転・結」の文章で書き上げて、玄宗皇帝など、当時の支配体制上層部の体たらくな様子を諧謔的手法で風刺しているのです。そして、その最後の「結」の部分も、やはり「起・承・転・結」で締めくくっております。
 もう一度、その麗人行の「結」の部分を挙げておきますので、御読みいただければと思います。名詩中の名詩だと私は思っているのですが。

                    簫管哀吟感鬼
                         賓從雜遝實要津

                  後來鞍馬何逡巡
                       當軒下馬入錦茵

            楊花雪落覆白蘋
               鳥飛去銜紅巾
                      
            炙手可熱勢絶倫
                         慎莫近前丞相嗔

 長いこと、脱線の「中国四大美女」に付いて見ていただきましてありがとうございました。明日からは、やっと、本題の「古代吉備国三大美女」に入ることができます。

                    乞う、ご期待!!!

  


「麗人行」も、七言四句を残すのみとなりました。た

2016-02-13 09:51:38 | 日記

    ”後来鞍馬何逡巡 当軒下馬入錦茵”
 ある解説本によると「錦茵」とは<ご婦人用の車>であると説明したいますが、此処では、前に“就中雲幕・・・・”とあることからも分かるように、虢夫人のために特別に用意された仮のテントだと思われます。だからこそ、ゆっくりとそこに到着した人の錦茵に入る様子が、
 「その気勢洋洋として傍に人がいないようであった」
 と、説明してあるのだと思います。

 さて、此処からが起承転結の「結」の、又、その「結」の部分です。どのようにその意味を取ればいいのか、すぐには、分からないような書きぶりです。その二句をどうぞ。

   柳花雪落覆白蘋  
    青鳥飛去御紅巾        

 どうでしょうか。「柳花」とは、また、「青鳥」とは、杜甫はこれで何を言い表わそうとしているのでしょうか???「白蘋」とは白い浮草です。紅巾たは赤色のハンカチです。

 これを私流に解釈してみます。
 柳花とは、楊国忠のことで、雪のようにふんわりと何処からともなくやってきて、白蘋とは「白い浮草」のことです。虢夫人のいるテントを指しています。その中に堂々と入って行き、昔、西王母の傍に飛んできた青鳥のように「紅巾」、女性の飾り物です。それを銜え込むというのです。虢夫人との浮気を暗示しているのです。なお、この詩の解説として、中国のある説明によると、「淫亂無恥的醜行」と書いてあります。将に、京都かどこかの代議士のような破廉恥な行為を、それも白中に堂々と傍若無人の如くに行っているのです。いつかきっと何かの天罰があること間違いなしのことも暗示しています。それが白居易の「長恨歌」にある馬嵬駅の乱に発展していきます。

 でも考えてみると、この時代の詩人たちは、単刀直入でなく、間接的にそのことを暗示するような廻りくどいい書き方によって、その時代の流れを端的に言い表しているのには感心させられます。