私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

イザナギの最後に“於投棄<ナゲスウツル>”物

2017-01-24 11:11:45 | 日記

      “竺紫日向之橘小門之阿波岐原<ツクシノヒムカノタチバナノオドノアワギハラ>”

 で

                     “禊祓也<ミソギ ハライ タマイキ>

になった最後の物は

                    

 この埴輪に見られるような左と右に巻かれた“手纒<タマキ>”です。この「手纒」に付いて、古事記伝で宣長は、一般常識として、当時には、これは弓を射る時に使うものだと言われているが、「上代には常にも着るものなりき。」と説明しております。もう、このような埴輪を目にして、宣長はその論を展開していたのでしょうかね???

 さて、これでご自分の身に着けていたものはすべてお祓いを済まします。それでお祓いが総て終わったのではありません、次にしなくてはならないお祓いがあります。御自分の御身の祓いをしなくてはなりません。どのようにお祓いしたか、又、そのお祓いで生まれでは神様は・・・それについてはまた明日にでも


「大日本国開闢由来記」って本見たことある???

2017-01-22 10:29:58 | 日記

 昨日、「本居宣長は御冠<ミカガフリ>は上代にはなかったと云った。」と、書いたのですが、江戸後期頃の「上代の冠」について一般の人達はどのように思っていたのだろうか、その証拠となるものはないだろうか、と、私の本棚を捜してみました。そこに、又、私の自慢話なのですが、万延元年に発行された書物がデンと座っておりました。

                              “大日本国開闢由来記”

 です。
 この本は、又もですが、岡山県の図書館にはない本で、大変な貴重本です。!!!

 この本の中には「伊草孫三郎国芳」の上代の神々の絵が彫りこまれております。そこに描かれている絵のどれを見ても、冠は見当たりません。

             

                  

 第1は「猿田彦大神」、2は大国主命、3は天児屋命と天押日命 4は神日本磐余彦(神武天皇)、5は日本武尊 6は少名彦命<スコナニコナノミコト> 7は大名持命<オオナモチナノミコト>です。

 総て、美豆良<ミズラ>が頭の上に盛り上がり、これでは、到底、冠等付けられないのではと思い、このような絵ずらを宣長も想像して「御冠は使われていなかったのでは」と、書いたのではないかと想像しております。どうでしょうかね????。

       「そげえなこたあ どうでもええでー」

と云わないで、ご批判を給わればと思います。ヨロシク・・・・・


「イザナギ」の時代には冠はあったのでしょうか??

2017-01-21 09:45:30 | 日記

 御褌を投げ捨てた後、イザナギが、“次於投棄”は、「御冠<ミカガフリ>」です。この冠ですが、宣長は古事記伝に  
              
             「皇国に上ツ代は冠は無りしと云う説あり」

 と書いて、髻<ミズラ>に草木などを付けていたのですから、わざわざ、冠など付けてその飾り物を覆い隠してしまうようなことをする必要はないと書いてあります。しかし、古墳時代には「冠」は、既に、図のように在ったことが証明されていますので、宣長のこの説はどうも否定されそうです。その埴輪に見られる「冠」をどうぞ・・・・

                                          

  立派に冠がありますよね。時代が進むとそれまで分からなかったことがどんどんと明白になりますね。なお、日本の考古学も明治10年に来日したエドワード・モースによって大森貝塚の発掘から出発したのですから、宣長がその事に付いて知らなかったのは当り前の事だと思いますが。
 なお、「日本風俗史」では、「御冠」は「上古から人々の間で、頭部を保護し、頭髪の乱れを防ぎ、兼ねて装飾とする俗があった。」と書いてあります。 


「衢」???????

2017-01-20 11:31:57 | 日記

 「衢」????こんな字見たことがありますか。どう読むのかも分かりません。不思議な字ですが、辞書には出ています。「ちまた」と読むのだそうです。辞書によると「道が分かれている所」「分かれ道」という意味だそうです。

 「どうして、突然に、こんなことを???」と、お思いでしょうが、今書いている「イザナギ」の脱ぎ捨てたものの中にある「御褌<ミハカマ>」ですが、此の捨てられたものが、そのまま神様になります。その神の名前が

                          “道俣神<チマタノカミ>”

 です。この<チマタ>に付いて宣長は、この「衢」という字を当てて説明しています。袴が二つに分かれている所が似ているので、このような名前を命名したのだと。
 古事記の世界では登場人物が投げ棄てたものまで総てが神になるのです。そのようにして八百万の日本の神様が生まれ出たことが分かり。夫々に何らかのその名前の由来までを考え出して、創作しております。一人や二人では、決して、生み出すことはできない膨大な思いが込められて出来あがった世界なのです

 御帯、御裳、御衣等、イザナギの投げ捨てたものは「道俣神」のように、すべて、神になっておりますが、あまりにも、夫々を書きますと、話が込み入ってきますので、この御褌<ミハカマ>だけ書いておきます。なお、この神が、かの「道祖神」となって、道行く人の守護神になったとか、猿田彦神の別名だとか、その後にも色々な神が生まれ出されております。