私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

 犢鼻褌<タフサギ>とは

2017-01-19 12:32:17 | 日記

 古事記に書かれている「御褌」は、昨日書いたように、<ミハカマ>と読み、決して、現代で言う「ふんどし」ではなかったのです。では、現在、我々が使っている通称「パンツ」、または「さるまた」ですが、こんな男性用の下着は上古の日本にはなかったのでしょうか????

 さきにあげた江馬 務の「日本風俗史」には、ちゃんと、「在った」と書かれてあります。それは「正倉院御蔵下袴」のようなもので

                       ”犢鼻褌<タフサギ>”

 と呼ばれていたものだそうです。
 これは「股塞ぎ(またふさぎ)」がつまって出来た言葉だろうと説明があります。これも絵をお見せしすが、実を云うと私はもう何回も秋の正倉院展を見てきたのですが、此の御物には、まだ、かって、お目にかかったことがなかったように覚えております????

                      

 どうでしょうか???
 なお、この犢鼻褌に付いている紐は、御帯とは違って、腹の左脇で結んだものであろうと説明がしてあり、大きさについては中央にある股下に当たる三角形の斜辺の長さは一尺二寸(約40cm)の数字が見えます。また、全体の長さは二尺五寸二分(約80cm)という数字が図の右上に書き込まれており、現在のステテコみたいなものに近い形をしていたのではないかと想像しております。


御褌とは

2017-01-18 14:28:36 | 日記

                                “御褌”

 この字を見た時、まさか、如何に神にあっても、履いていた<フンドシ>を「阿波岐原」に投げ捨てたりはしないのではないかと思ってよく読んでみると、この“御褌”に<ミハカマ>とルビが符ってありました。これがどうしてハカマなのでしょうか???それについて宣長は「古事記伝」の中で

   “和名抄に、褌ハ須万之毛能<スマシモノ>、一ハ云フ知比佐岐毛乃<チイサキモノ>などがあり、如此<カク>分けて呼ぶは後のことで、本は袴も褌もただ波加麻<ハカマ>なるべし”

 と解説しております。上古の日本では、袴も褌も、どちらも、「はかま」と読んでいたのです。それを葛飾北斎は、当時の武士階級の人達は着けていた服装「袴」だと思って、このような絵にしたのだと思います。江戸の北斎の時代には、まだ、埴輪など十分なる発掘は行われていなく、それで「はかま」と言う「ことば」だけから、このような絵に仕上げたのでなないかと想像しております。一方、右の絵2枚は現代の情報を元に描き上げたものですから、同じ袴(褌)であってもズボンのような格好に描きあげたのです。

         

  その情報とは、次の写真等を参考にして、北斎が考えた「袴ハカマ」ではない「褌ハカマ」を絵柄として作り上げたのではないでしょうか

                     

                                          


葛飾北斎の描く上古の服装 

2017-01-16 09:41:02 | 日記

 日本における上古の服装に付いて、今、捜しているのですが、昨日も書いたように「江馬 務」の「日本風俗史」にある絵が、一番、それに近いのではないかと思ったのですが、もう他にないかと捜してみました。

 これも私の自慢話になるのですが、私の持っているあの「北斎漫画」(文化8年版)の中には、何か、それらしき絵は出ていないだろうかと捜して見ると、「ありました。ありました。」
 先ず、その漫画を!!!

                           

 

 この絵を見ると、流石に葛飾北斎だけあります。古事記を読んだのでしょうか、その歴史に忠実なる絵を創作しております。猿田彦命の服装を描くにあったって、古事記にある「御帯」は描きこんではいないのですが、ちゃんと「御裳<ミモ>」・「御衣<ミケシ>」・「御褌<ミハカマ>」を模様を違えて描いております。なお、「御裳」は白く描かれている部分です


 まずは「御裳」から

2017-01-15 10:03:25 | 日記

 イザナギがまず脱ぎ捨てたのが「御裳」です。これを<ミモ>と読みます。宣長は、これに付いて「裳<モ>」は女性の着る物で男性の物として使用されてはおらず、その為がどうかは分からないが、日本書紀には「御裳」は見えないと説明があります。しかし、これは昨日載せた「江馬 務」の絵から考えられるのは

                  

 御帯の下にあるスカートみたいなものが「御裳<ミモ>」で、刀などを装着するための衣服を、どうも呼んだのではと私は思っております。なお、法隆寺の五重塔や薬師寺の三重の塔や吉備津神社の拝殿の屋根に見られるような裳階<モコシ>からもそうではないのかなとも思うのですが、どうでしょうかね????