古事記に書かれている「御褌」は、昨日書いたように、<ミハカマ>と読み、決して、現代で言う「ふんどし」ではなかったのです。では、現在、我々が使っている通称「パンツ」、または「さるまた」ですが、こんな男性用の下着は上古の日本にはなかったのでしょうか????
さきにあげた江馬 務の「日本風俗史」には、ちゃんと、「在った」と書かれてあります。それは「正倉院御蔵下袴」のようなもので
”犢鼻褌<タフサギ>”
と呼ばれていたものだそうです。
これは「股塞ぎ(またふさぎ)」がつまって出来た言葉だろうと説明があります。これも絵をお見せしすが、実を云うと私はもう何回も秋の正倉院展を見てきたのですが、此の御物には、まだ、かって、お目にかかったことがなかったように覚えております????
どうでしょうか???
なお、この犢鼻褌に付いている紐は、御帯とは違って、腹の左脇で結んだものであろうと説明がしてあり、大きさについては中央にある股下に当たる三角形の斜辺の長さは一尺二寸(約40cm)の数字が見えます。また、全体の長さは二尺五寸二分(約80cm)という数字が図の右上に書き込まれており、現在のステテコみたいなものに近い形をしていたのではないかと想像しております。