私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

どうして“私不可産”とサクヤヒメ云ったのでしょうか

2018-12-26 13:09:47 | 日記
 “私不可産<ワタシニ ウミマツル ベキニ アラズ>”と云う「サクヤヒメ」の言葉がどうしても理解できません。どうして、せっかく授かった命をそんなにも簡単に葬り去れるものでしょうか????何かいい解釈をした訳翻が見つからないかとあちらこちらと捜しましたが、どうもそれらしい説明に出合えません。
 これを「日本書紀」では、と思い付き、開けてみました。すると、

            “不可私以生也”

 <私に生みまつるべくもあらず>、その解釈として「出産する時にはその夫の元に赴いてする風習があったと語る。」と出ています。
 「私一人で、誰にも知られず生むべきではなく、あなたのお側に行って生ましてもらってもいいでしょうか。」と云う解釈になると出でおりました。
  奈良か平安の時代からでしょうか???女性が出産するの場合は、多くの場合、その母親方の家にて生むのが普通になってきたと言われますが、このサクヤヒメとニニギの事例から、太古では、夫方の家で出産したのだと言う事が分かります。
 とすると、サクヤヒメが言った

             “私不可産。故請”

 と云うのは、「夫の邇邇藝命の所で生もうと思うのですが、いかかでしょういかづでしょうか?」と云う問い掛けの言葉であることが分かり、漸く、この数日間のもやもやが解消され、得心が得られました。

 古事記を読んでいけばいくほど、その時々の社会情勢に随って色々な風習が作りだされていることが分かり、それを現代と比べて、やれ分からないとか、やれおかしい等と云うのは、NHKの「ちこちゃんに叱られる」のではと、びくびくしております。

ここでまたちょっと???

2018-12-24 09:34:43 | 日記
 木咲之佐久夜毘売<コノハナノサクヤヒメ>が、一般に知られておる名前とばかり思っていたのですが、豈はからんやです。日本書紀には、その名前を

           “吾田鹿葦津姫<アタカアシツヒメ>”

 と、そして亦の名は「木の花の開耶姫」と申す、とででおります。
 ということは古事記に記されている「木咲之佐久夜毘売」は、本来の持つこの女性の持つ正式な名ではなく、所謂、「あだ名」に近い名で、姫をやや嘲り卑下して邇邇藝命がそう呼んだのではないでしょうか。「あなたのことはあまり信用していないのですよ。」と。
 なお、古事記には

           “阿多都比売<アタツヒメ>”

 とあります。

“私不可産”とは

2018-12-21 13:40:46 | 日記
 サクヤヒメはニニギに伝えます。
 「私のお腹に宿している御子は貴い“天神之御子”です。」
 だから、

       “私不可産。故請”

 「私には此の御子を生むべきでない。」です。
 この「生むべきでない」とは、どういうことでしょうか、その意味する所が分かり兼ねます。どうでしょうか。サクヤヒメも、決して、素姓の怪しからざる姫ではありません。大山津見神の娘です。サクヤヒメとニニギとは、本来、従兄弟関係に当たり、サクヤヒメも、また、「天神之御子」のはずだと思うのですが。
 その辺りの理由については、かの宣長先生も何も説明がしてありません。ということは、稗田阿礼の心の内が読めきれていなかったのではないでしょうか???おっと!!!!これは礼を失する考えかもしれませんが????
 
 まあ、しかし、この後、古事記ではニニギが、その妻の問いに対して答えております。

   “是非我古<ソハ アガコニ アラズ>”

 ニニギは、即座に、そう言い切ります。なんと冷たい神でしょうか。愛する妻が真剣に夫に対して尋ねたことに対して、こともなげに、「私の子ではない」と・・・・・

 此処ら辺りのやり取りを見ていますと、大変人間臭いにおいがぷんぷんと匂い立っているように思われるのですが???神様だったら、ことの真実ぐらいは、予め、予知できていたのではないでしょうかね。それが分かってないと言うことは人間臭くて大変面白い事だとは思うのですが、どうでしょうかね????????

木花之咲夜毘売は妊娠します

2018-12-19 09:21:13 | 日記
 コノハナはニニギのお側に来て

       “参出白”

 と書かれております。どう読めばいいのでしょうか???これを
    <マヰデテ マオシ タマハク>
 と読んでいます。 太安万侶の苦労が忍ばれる場面です。まあ、こんな場面は「古事記」中にいくらでも見られるのですか、稗田阿礼としばしば協議しただろうと思われます。大変な苦労を重ねたうえでの編集作業であったのでは思いながら、何時も、私は読んでおりますが・・・・・。その次に

        “妾妊身。今臨産時”

 とあります。これも読み方はどうでも、書いてある内容はたやすく読み取れます。ちなみに、これを

        <アレ ハラメルヲ イマ コウムベキトキニナリヌ>

 と読ましております。 
  

“御命不長也”について

2018-12-18 11:41:07 | 日記
大山津見神の詛によってでしょうか???それ以後の天皇のお命は短命に終わったのだと古事記には書かれてあります。
 果たしてそうであったのでしょうか??初代の天皇である神武天皇の御年は127歳ですし、2代目の綏靖天皇でさへ、御年は84歳で、崩御されておられます。決して、短命ではないはずですがどうしたことでしょうかね???どうしても、大山津見神が予言した通りではないのではないでしょうか???
 そこで、また、宣長先生の出番ということになりますが???

  “そもそも上代の天皇達は、百歳に多く余らせ賜ふが、あまた坐しましけるは、人代にては、御壽長かりしけれど、神代の人の壽の、なほこよなく長かりし時を以て云えば、甚く短きなり。此の詛の後、日子穂穂出見命は、
           「高千穂宮に五百八十歳に坐ます」
とあれども、これなほ不長<ナガカラザ>りしなり。”

と説明がしてあります。神代と人代とでは歳は違い、神代では百歳ぐらいは短命の部類に入るらしいのです。
 だから、大山津見神の詛に

             “御命不長也”

 とあったのです。合点して頂けましたでしょうか????