私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

中西進先生にお尋ねします???

2018-12-16 16:10:48 | 日記
 「ナカニシ先生の万葉こども塾」という朝日新聞連載の万葉集を、毎週、楽しみにして読ませていただいております。
 今週の

     “母刀自も 玉にもがもや 戴きて 角髪のなかに あへ纏かまくも”

 の歌につての解説です。その中で先生は、「角髪(みずら)」について、「此の作者が角髪を結っているということは、この兵士が
            “まだ少年兵だったことの証拠です。10代半ばの少年なら・・・・”
 と解説されています。しかし、この角髪は、万葉当時の男子の髪型として、何も10代半ばの少年の髪型だけに限られているもではありません。
 古事記の中にも、この<ミズラ>がしばしば登場してきます。“美豆良”と書かれています。あのイザナギが妻イザナミの死後尋ねて行った黄泉の国でイザナミの姿を見ようとして明かり灯したのもその<ミズラ>に挿していた櫛を燃やしております。又、アマテラスがスサノウが高天原に来ると言うので男装をして待ち構える場面がありますが、その時の髪型も、亦、“纏御美豆羅而<ミミズラニ マカシテ>”とあります。そうすると、古事記に出てくる

         “ミズラ”

 は少年だけの髪型ではないはずですから、この歌の作者は何も10代の少年に限定しなくてもと思うのですがどうでしょうかね。中西先生!!!

 中には、このような絵もありますが?????

              

 まあ、歌の内容からすると、防人か何かのまだ年端のゆかないあどけない少年の姿が想像されますが・・・この人が防人なら10代の少年ではないはずですが????


 

ちょっと珍しい広告を

2018-12-13 09:47:50 | 日記
 この写真を見てください。高島屋の広告写真です。

        

 この写真は1910年に出版された
      「A GUIDE BOOK FOR TOURISTS IN JAPAN」
 の広告写真です。何か現代にも通じるデザインと思うのです。大変珍しいので見てほしいと思い載せてみました。
 なお、このガイドブック表紙もどうぞ!!!江戸を想像させる大井川の渡川の風景が富士山と共に描かれております。

          

          

                      

石長比売を返した結果は・・・・・

2018-12-12 09:33:25 | 日記
 甚凶醜<イト ミニクキ>によって、親元に石長比売は送り返されます。それが後の世にまで影響を及ぼします。大山津見神はやはり人の親です。
 「この恨みが報いとなって、それ以後の天神御子<アカツミコ>に響いてくるのに。みていらっしゃいよ」
 と、ひとり言のようつぶやかれます。
 それを

              “木花之阿痲比能微坐”

 と書いております。
 これを <コノハナノ アマヒノ ミマシナムトスト モヲシタマヒキ> と読ましております。阿痲比<アマヒ>とは「脆くはかないこと。散りやすいこと」と辞書にはあります。
 近頃、「電話の甘い言葉にだまされないで・・」と、老人会でよく耳にしますが、その「甘い」の語源が、この古事記のこの言葉に由来しているのではないかとも思うのですが、どうでしょうかね。
 また、「微<ビ>」は「かすか、少ない、少し、わずか」と。

 「木花之佐久夜毘売だけを妻にしてしまったからには、これから生まれてくる御子たちの命は、桜の花のように、もろくはかなく散りやすく、決して、長くは生きられませんよ」

 と。
 この大山津見神の恨み節が基になって、それ以後の天皇の御命は

              “御命不長也”

 だったのです。   

神様でもしかり。何ぞいはんや己をや・・・・

2018-12-10 09:50:45 | 日記
 大山津見神は石長比売<イハナガヒメ>と木花之佐久夜毘売の姉妹を大変嬉しく思って、邇邇藝命に差し上げたのですが、醜い石長比売だけが返されます。
 もし、みなさんがこの比売の父親だと仮定しますと、どう思われますか。折角、姉妹二人とも、その妻としてよからんと思い差し上げますが、一人だけ受け取って、もう一人を差し返されます。何て心の狭い神だと思われたのでしょう、「何故二人を・・・という理由も知らずして」と、恨み節でも口に出るのは当り前の親心だと思います。
 その理由が恨み節として古事記には書かれています。
 
 姉には
     “恒如石而。常堅不動坐<トコシヘナルイシノゴトクニ トキハニ カキ ハニマシ>”
 「岩の如く、永久に堅くその場を動かずにおられますよう」と、要するに、天皇と言う地位をずっと長く持ち続けられるように、長生きできるようにという思いを込めて、差し上げました。
 妹は
     “如木花之栄栄坐<コノハナノ サカユルガゴト サカエマセト>”
 「花のようにいつまでも美しく衰えることなく盛んなる勢いが打ち続くようにと、差し上げました」
 
 のにです。“麗美人<カホヨキオトメ>”だけを受け取って、“甚凶醜<イトミニクキ>”によって“返送<カヘシオクリタマヒキ>とはいかなる所存かと、大山津見神は深く恨み給いし??????。

 まあ、神様も御自分の比売となると、大方とは異なり、喜怒哀楽を素直に現わされることが分かり、小さなことで諍いが絶えない私の生活とあまり変わらない時もあることを知り
 
  「神様でもしかり。何ぞいはんや己をや・・・・」

 と、おおいに安堵しておる次第です?????どうでしょう・・・・