大地震・津波・原発のあの日から~福島の子どもの作文
◎前を向けるように
福島県の先生方が編集した子どもの作文集が送られてきました。
「終わらない原発災害の渦中にある私たちは、未だ前を向けない重苦しさにともすると心が打ちひしがれそうです。でも、その中で生活を再建し、教育活動を前に進めようと懸命な努力」をなさっている先生方の手で、編まれた文詩集です。目をそむけたい事実ですが、そのことをみつめ、胸にある怖れ、不安や心配を吐き出し、受け止め共有することで、少しずつ前を向けるようになってくれたらと願ってのことでした。
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大じしんとほうしゃのう 一年 まさと
3月11日しんさいがあった。いえについたとき、いえのれんががわれました。おちゃわんがいっぱいわれていました。パパのトロフィーがこわれていました。そして、でんきやすいどうがとまりました。もうこんな日はいやです。
一ねんせいになったら、ともだちもふえました。るいくんやれんくんや、はるとくんやたけるくんやゆいとくんとあえました。
さいしょにたけるくんがてんこうしました。つぎに、ゆいとくんがてんこうしました。ほうしゃのうがいちばんきらいです。だって、ほうしゃのうで、ともだちがてんこうしたり、そとであそべなくなったりするからです。ゆきがふっても、たべられません。
家がこわされ、友だちと引き離され、外で遊べなくなって、放射能が一番きらい。あの真っ白な雪だって、もう食べられないよと一年生の子の心の叫びです。
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祖父の桃 中学三年 勇輝
事故から一ヶ月、「風評被害で福島の野菜や果物が危ない」と言っていた。六十九歳になる祖父は、果樹園(桃とりんご)を営んでおり、ニュースを聞いて、祖父のところはどうなのかと気になった。
ぼくは夏休みに手伝いがてら、祖父の話を聞きに行った。夏は、桃の収穫、出荷の時期だ。ぼくは、祖父が採った桃のかごを車で運ぶ手伝いをした。本当に重くて大変な仕事だ。その後、ぼくは、祖父と叔父に風評被害について、おそるおそる聞いてみた。
祖父は頭をかきながら「今、福島のものは打撃を受けている。だから、売上げが落ちるのはしょうがないことだ。今自分にできることをやるだけだぞい」と言った。ぼくは、とても心が強いなと思った。その一方で「原発事故で、これから大丈夫なの」と聞いてみた。「規制値を下回っていても、何年後かに放射能が土壌から根に侵食して駄目になる可能性があるんだぞい」と言った。(中略)
ぼくは、今年の果樹園の大変さを知った。桃の糖度は去年と同じくらい高く、甘くおいしい桃なのに売れ残り、選果場にはたくさんの桃が運ばれていくところを見た。インターネットでも福島の桃を批判する書き込みが多く、他県の人々に「がんばろう福島、がんばろう東北」と言われても納得ができない。
原子力発電所の事故のせいで、福島県民のみんなが困っている。生産者にとっては、大変なときだ。しかし、何年かけても福島が復興し、今までどおりの生活が戻ることを願っている。そのためには、ぼくたち若い世代が、未来を切り拓いていくという強い意志を持って生活していくことが大事だと思う。今一番伝えたいことは、日本中のみなさんに、福島の桃、おじいちゃんの桃を笑顔で食べてもらいたいということだ。
福島の苦悩を祖父の苦しみを通して、わがこととして受け止め、未来をどう切り拓くかを真っ直ぐに考える中学三年生がたのもしいです。
そして、こんな大学生もいます。
「私の夢は、この福島県の教師になることです。そのために今大学で学んでいます。私は、子ども時代、ソフト、鬼ごっこ、虫捕りをしました。今、子どもたちは外で遊ぶことができません。子どもの権利が侵されています」
明日に希望をつなぎ、たくましく育ってきている子どもや青年たちの姿にふれ、私たちに何ができるのか、何をしなければいけないのか改めて問いかけられています。
(とさ・いくこ 和歌山大学講師・大阪大学講師)