小学六年生のこんな作文が目にとまりました。
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ぼくの将来の夢は、医者になることです。医者になりたい理由は三つあります。
一つ目は、父が医者で、手術をしている写真が家にかざってあるのですが、その写真がとてもかっこよく見えたからです。父は何も話してくれませんが、がんばって仕事をしているのがよく分かります。
二つ目は、マンガで見たんですが、手術をしてもらって、病気が治った人やその家族、または親族などは、とてもうれしそうに「ありがとうございました」といって、そういう顔や姿を見たいからです。
三つ目は、世界にはまだまだ病気やうえで苦しんでいる人たちがたくさんいますが、こうした人たちを救い、元気な体にしてみんなと一緒に生活させてあげたいからです。
医者になるという夢をかなえるためには、たくさんの努力をしていかなければならないと思います。だから、たくさん努力して、自分の夢…をかなえたいと思います。
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読まれていかがでしょうか。
こんな子どもだったら親は、どんなにか幸せでしょう。ゴルフの石川遼くんみたいにかっこいいなあ…。それに比べうちの子なんて…と思われた方もおありでしょう。学生たちに感想を尋ねると、大多数がいい話だと言いました。
実はこの少年は、この4年後、高校一年生のときに自宅に放火し、継母と幼い二人の兄弟を焼死させたあの「奈良事件」の加害者です。あこがれていたはずの父親を殺害したかったと報じられました。
六年生の卒業前に、少年が抱いた夢は嘘ではなかったでしょう。しかも、この作文と事件との関係を云々できる資料もありませんので、あれこれ論じることはできません。
私の受け持った子の中にも医者になることを夢みていた四年生がいました。その子は六年生になると「医者か弁護士以外はなったらあかんねん」と言い始め、あたりかまわず「死ね!死ね!」とわめき散らして、ずいぶん荒れたことがありました。
この子はSOSを出せたのです。お父さんの期待にこたえて立派でがんばる子を続けるのはもう嫌だ! でも、お父さんはすばらしい医者で、ぼくにも後を継いでくれと…ああ、どうすればいいんだ!とその狭間で苦しみもがき、とうとう糸が切れてしまったのです。この子の場合は、お母さんが受け皿になってくれたことで、自分が本当にやりたいことを見つけることができたのですが、奈良の少年はどうだったのでしょうか。
四年生の一貴くんは将来の夢をこんなふうに書きました。
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友だちに「なあ一貴、大人になったら、いっしょに芸能人になろうな」と言われて将来のことを考えるのです。
「でも、ぼくは、やっぱり、けい官か消防士になろう」と思うのです。ところが、お母さんが「けい官はやめた方がいい。だって、あいつがおれの子分をつかまえたとかいろいろうらみがあるよ。お父さんも、けいじはやめときって言ってたよ」などと言うのです。
そこで、また考えるのです。やっぱり父ちゃんみたいに消防士になろうかと。しかし、大工さんに家を作ってもらって、犬をかって、結婚して…でもお金がかかるなあ…。犬の散髪代だけでも五千円。やっぱり犬をかうのはやめよう。うーん、ぼくは消防士になれるか不安になってきました。
お母さんも「消防士は、人を助けるからいいよ」って言うけど…芸能人なあテレビにも出たい気もするしなあ…。
また友だちが言うのです。「じゃあ結婚はやめて、ぼくらで二人でくらそう」と。
でも、ぼくは、やっぱり「大阪の消防士になる」と決めました。おわり。
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まだ四年生ですから、それこそ夢みたいなことも考えていますが、生活の中からものを見て、本当のことを書いているのです。父ちゃんは「オレの後を継いで消防士になれ、道はそれしかない」などと言わないのです。「お前の人生や、自分で決めたらええで」と言うのです。奈良の少年はどうだったのでしょうか。
(とさ・いくこ 中泉尾小学校教育専門員・大阪大学講師)