詩が心の扉を開いた 奈良少年刑務所からのメッセージ
作家、寮美千子さんの話を聞く機会があった。
明治の名煉瓦建築である奈良少年刑務所を一般公開日に訪問したことから、このドラマは始まる。その日、受刑者の作品に共感した寮さんに更生教育の講師の要請がきたのだ。受講生は、強盗、殺人、レイプ、放火、薬物違反者だと言う。怖気づく寮さんに熱いコールが送られ、根負けして引き受けることになったのだ。
◎やさしさが教室に溢れて
絵本を読んだり、詩を読んだりの授業が始まった。そんなある日、「みんなも詩を書いてみようか」と誘うが、何もないと言う。「いいんだよ、何でも…。好きな色についてでも書いてください」。
すると、祐くんは「ぼくのすきな色は青色です。つぎにすきな色は、赤色です」と書いたのだ。
あまりにも直球、どんな言葉をかけたらいいのかと戸惑っていたら、「ぼくは、祐くんの好きな色を一つだけじゃなくて、二つ聞けてよかったです」「ぼくも同じです。祐くんの好きな色を二つも教えてもらってうれしかったです」。
それを聞いた寮さんは、熱いものが思わずこみ上げてきて言うのだ。「世間のどんな大人が、どんな先生が、こんなやさしい言葉を祐くんにかけてあげることができるでしょうか」と。こんな優しい素朴な子たちが、どんな罪を犯したんだと煩悶するのだ。
「くも 空が青いから白をえらんだのです」
こんな一行詩を書いたのは明くん。「省略の効いた、なんと美しい一行詩だろう」と驚く寮さん。作者に読んでほしいと言うが、薬物中毒の後遺症のある彼は、うまく読めない。何度かやり直してもらい、やっとみんなに聞こえるように読めたのだ。そのとたん、大きな拍手が湧いた。
そして「ぼく話したいことがあるんです」と言って、堰を切ったように語り出したのだ。
「ぼくのお母さんは、今年で七回忌です。お母さんは、体が弱かった。けれど、お父さんは、いつもお母さんを殴っていました。お母さんは、亡くなる前に、ぼくに『つらくなったら空を見てね、わたしはそこにいるから』と言いました。ぼくはお母さんのことを思って、この詩を書きました」
あまりの話にあっけにとられていた寮さん。すると、受講生から次々に手が挙がって「ぼくは、明くんは、この詩を書いただけで、親孝行やったと思います」「ぼくは、明くんのおかあさんは、きっと雲みたいにふわふわでやさしい人かなって思いました」。
「ぼくは、ぼくは…」と言いよどんだ子は「ぼくは、お母さんを知りません。でも、この詩を読んだら、空を見たら、ぼくもお母さんに会えるような気がしました」と言って、わっと泣き出してしまったと言うのだ。
◎受けとめてもらうだけで
一人の受講生の心が詩で開かれ、次々に仲間の心が開かれていく。「教室にやさしさが溢れ出して奇跡だと思いました」と寮さん。聞いている私たちも涙が溢れ出てくる。寮さんは続けます。
「この奇跡は、教室内にとどまらず、刑務所に入ってから自傷行為の絶えなかった、母を知らないその青年は、この日を境にぴたりと自傷行為が止まった」と言うではないか。そして、笑顔まで出るようになったと言う。寮さんは、著書の中でこう結んでいる。
「自己表現をする。それを聞いてもらう。受けとめてもらったと実感する。それだけで人はこんなにも変われるものだと知った。押し殺していた感情が芽生え、うれしい、かなしいがわかるようになる。やさしさが自然と溢れてくる。人を殺した者の中に、こんなやさしさがあるのかと驚いた。人間とは捨てたものではないと思った。心を開くと、人の気持ちを思いやれるようになる。そうなってはじめて、彼らは罪に向き合うこともできるようになっていく」
これは、まさしく私がずっと実践してきた生活綴方教育そのものではないかと大きく手を打った。
夕べ、東北の被災地の中学校で生活を綴る中で、自分と向き合い、心の内の本当を吐き出し、それを仲間と共有しながら育ち合っていく実践の記録をテレビで視たところだ。ここでも作文教育の出番しきりだった。
*参考文献 寮美千子著『空が青いから白をえらんだのです』
(とさ・いくこ 和歌山大学講師・大阪大学講師)