人前で話すこと~話したいことを積み上げる
今、年間100回近い講演をしている。相手は教職員、保育や学童保育関係者、お母さん方、学生その他いろいろである。
決して上手な講演ができているわけではないが、よく「話術は、どうやって身につけたんですか」と聞かれる。
話術なあ、身につけようと意識したことなど皆無である。話したいことが頭の中にいっぱいあって、それを話したいように語っているだけだ。つかみはどうするか、どこで笑いをとろうかなど一度も考えたことはない。
◎無口だった子ども時代
ところがである。こんな「六口」な私が子どものころは無口であったと言うと、驚きを越えて笑いさえ出る。ほんとうだ。
小学校の頃、進んで挙手をしたなどということは一度もなかったように思う。小学校六年生のとき、地域の子ども会があり、最高学年だから司会をと言われたが、一言も出ない。それが恥ずかしくて、情けなくて、菜の花がいっぱい咲いていた畑の畦道を、まだ顔を真っ赤にしたまま走って帰った。それ誰のこと?私なのです。
小学生の頃、我が家にも近所の家より後れて白黒テレビがやって来た。驚いた。人間が流暢に会話をかわし、話のキャッチボールをやっているではないか。自分の思いや考えを自分の言葉にして相手に伝えていることに驚いたのだ。カルチャーショックだった。
中学生になって、相変わらず友だちとはベラベラしゃべっていても、あらたまった場で話などはできなかった。
劣等感だった。悩みながらしたことは自分の感じたこと、思ったことや考えたことを言葉にして書くということだった。
◎書き読むことで克服
書くことで、自分と向き合い始めた。物事を考え始めた。これがおもしろくなってきた。自分発見の喜びだろう。
庭のみかんの実が黄金色になり、深い緑の葉の中で光っている様が、書くことで一層美しくなり泣きそうになったものだ。母が作ってくれた毛糸の赤いカーディガンが、一生の宝物のようにうれしくて、書くことでそれがさらに深くなってくるのに驚いた。
そうすると、自分の表現したいことにぴったりの言葉さがしが始まった。その頃、詩のおもしろさを見つけ、感動した言葉をノートに書きしるすようになったのだ。これは、自分さがしと自己形成に大きな力になったなあと思う。
しかし、やはり、あらたまった場ではなかなか話はできなかった。
大学に入り、自分の生き方を深く模索し、学生運動華やかな時代だったので、社会の問題にも目が開かれ、自分の世界が大きく広がった。問題意識も鋭くなり、かたっぱしからいろんなジャンルの本を読んだ。
それでも、サークルで何か報告する機会が与えられた時、緊張と苦痛で、病気のようになり、やれずじまいだった。あー情けない。大学の学生ゼミナールなどで、生き生きと話をする仲間に憧れた。私もあんなふうになりたいと。
教師になってからも話をするとなると緊張が続いた。短い話や連絡事項でも、話すことは全部書いた。作文の会という研究サークルに通うようになり、ある時、実践報告をすることになった。この報告も全部話をするように書き、テープにとって練習までしたものだ。
こうして書くことで自分を見つめ、自己確認や自己発見をし、自分の言葉を貯めていった若い日々。話す技術ではなく、話したいことを豊かに自分の中に積み上げることであった。語りたいとつき上げてくるものがあれば、とつとつであろうが、しどろもどろであろうが、相手に伝わると思えた。
自分の周りには、よい聴き手がいてくださったのだと思う。同時に相手の話をよく聴き、ことばを胸に刻むこと、たくさんの読書をして、すぐれた日本語、言語感性をわが物にしたいと学んでいった。
これは、死ぬまで続く勉強だと思っている。これまで1500回を超える講演や講座をしてきたが、今でこそ緊張して身体が震えるということはないが(慣れ)、毎回準備をして臨むが、毎回勉強不足を感じている。しかし、今、会場の皆さんと場を作り上げていくおもしろさを楽しんでいる。
(とさ・いくこ 和歌山大学講師・大阪大学講師)